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ババアと、ゴンとわたし。

一生敵わないなぁという、ババアの記憶である。

私の初めての友人は、大地主の農家の出身だった。

友人、岡田ハナちゃんの家は、いわゆる大金持ちで、
巨大な母屋や、田んぼ、畑、亀の住む池に、井戸、トラクターが何台も入るような車庫
さらには、セントバーナードのゴンという成犬が住んでいた。ゴンの体重は、悠に100キロを超えていると言っていたし、当時小2の私とは、視線がさらに高く、見下ろされる位置にあったように思う。

本来は救助犬なんだよ、っとハナちゃんは教えてくれた。


お前は軽自動車なのか?
と、初見の私はたいそう驚いた。


それも、私よりも小柄であろう140cmないハナちゃんのお婆様がメインでゴンを世話していた。

檻に(もはや、収監された)造作もなく入り、どえらい量のうんこを処理したり、餌や水の交換をしていたり、時には、庭で押し倒されて、ベロベロ舐め回されている日には、
食われるのではないかとヒヤヒヤしていた。

ハナちゃんは、お婆様の事を、ババアと呼んでいた。
私はその呼び方にギョッとしたが、
ババア自身も、
「よっ、ババアって呼んでね、小僧」
と自己紹介をされてから、完全にババア呼びを定着するまでに時間はかからなかった。

このセントバーナードの鳴き声は、
心臓を抉られるような重低な音圧で、地響きにも変わるようだった。


おおーーーん!!!


と、一声鳴けば、1.5キロ離れる私たちの通う小学校まで聞こえてくることもよくあった。

あ、ゴンが鳴いてる。

なんてことはザラだったし、ゴンの鳴き声すらも生活の一部で、特に誰も指摘することもなかった。

ある日、ハナちゃんと下校していた時のことである。道の向こうからゴンの声がした。


ものすごいスピードのゴンが走ってくる。


うぉっうぉっ
おおーーーーーん!!!!


躍動感のある軽自動車は、
交通安全という熟語をあまりにも無視した速度で
私たちの隣をすれ違っていった。


と、その後から、ヴーーー!っと高音気味のスクーターとそれに埋もれた年寄りが私たちをすれ違っていく。

ハナちゃんは、特に話を変えるとこもなく、その風景を無視していた。

スクーターを運転していたのは、ババアだった。

その後、猛スピードのゴンとババアは高低音を同時に発信しながら、私たちを2度ほど追い抜かしていった。

ババアは、すごい。
あの小柄で、華奢な体つきで、6人の男子を自然分娩したという。それも皆田んぼに水引きする時期に臨月を迎え、米を刈り入れる頃までは、絶対に出産させないという強靭な女性だった。

ババアには、皆声には出さずに、リスペクトを持っていた。
ババアなしでは、家を守れないという根底のある岡田家を、私は愛していた。

ババアは、ゴンの檻の前で、七輪でステーキを焼き、15時のおやつに一人で食らっていた。

本当にたくましい女性である。
そんな、ババアが唯一、泣き叫んでいた記憶がある。

台所奥のトイレから、ババアが発狂しているのである。

そっとトイレを覗き入れると、
弧を描いた噴水がトイレから燦々と放水されていた。
パンツを下げ、露わになって垂れた尻をブルブルと振るわせながら、ババアは泣いていた。
その後ろ姿は危機にも迫る勢いで、しなっている。

私はそっと扉を閉めた。

ボットン便所、いわゆる汲み取り式だった岡田家は、突如、ウォシュレットという最新鋭の水洗便所を採用していた。ババアも、文明の利器には無力だったのだ。

先日、私はババアが97歳でこの世を去ったという訃報を受ける。
たまたま岡田家の近くを通りかかった私は、線香をあげるべく、岡田家の仏壇に手を合わせた。
ババアの写真の隣には、
あのセントバーナードの写真も飾ってあった。
享年10歳、木の札が置いてあった。


ネーミングは、ババアがつけたと言った、ハナちゃんがから笑いする様子が浮かんだ。


岡田権田、享年10歳。

ババアと、ゴンと、わたしの記憶である。

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