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好きな曲は好き~SAYONARA-NOSTALGIA/Base Ball Bear~

はじめに


今日はベボベの『SAYONARA-NOSTALGIA』という曲についてお話します。

この曲は中学生の頃に良く聴いていましたが、歌詞のわけもわからずに聴いていました。
ギターのジャキジャキ感とリズムが大好きで、サビだけよく聞き取れていたような気がします。
また、この曲は先日紹介した『夕方ジェネレーション』と同じアルバムに収録されています。

他にも好きな曲はこちらで紹介しております。

衝動的行動と青春風景


はじめから大好きなギターのリズミカルなメロディーから始まります。
癖になるリフレインです。

『やめてしまったの?詩を書くことも。
 結構、良いことだと思っていたのだけど。
 荒れていたんだろ?
 忘れてしまえよ。
 きっと、消そうと思えばあっさりとしているんだ。』

私は中学生のころから歌詞を書いてみることが好きでした。
誰にも見せることができないノートになってしまいましたが、一日に何個も稚拙な表現で歌詞を書いていました。
この歌詞では何だかよくわからない状況で、所謂思春期によくあるような突発的な行動、衝動などが表現されていると思います。

やりたいと思ったことをやってみることと、やりたくないことをスパっとやめてみたくなるような感覚

これが若者感あふれる歌詞の一因になっていると思いました。

『小ぶりの胸 夏の涼風
 フェンス越しに電車走って
 渋谷の坂の上』

私の地域では近くに電車などなくて、もちろん渋谷も行ったことがありませんでした。
知らない町の知らない情景を聴いてぼんやりと想像することが好きでした。
こいちゃんはどんな風景を見ていたのでしょうか。
それでも、さわやかな青春感が伝わってくる歌詞だと感じていました。

『求めた喪失感 さよなら』

またここのリズムがチャカチャカチャッ チャカッ…とライブでは「へい!」と言いたくなること必須のメロディーになっていて、大好きです。


こいちゃん、いまだにわからない


次の歌詞です。

『彼女の見る幻影、地を這う女。
 もっとひどいものだって
 別にかまわない。
 お香を焚いて
 バニラの香りが部屋に
 しだしたとたんに窓を開けた。』

ここの歌詞がいまだに私には理解できません。
何か想像できる方は、コメントをお願いします(twitterでも!)。
地を這う女とは?渋谷って夜は飲み屋街になるんですか?
お香をたいたのに香りが充満するまえに、窓を開けるということは、やっぱりその香りが嫌いだったという衝動的な感情ゆえの行動なのでしょうか?
いまだによくわかりません。

『夕方腐っていた昨年を思い出してみる。
 脱ぎ捨てた白いYシャツ
 それ以外は忘れた。』

ここはなんとなく勝手に夕方ジェネレーションに繋がっている歌詞なのかと考えていました。
白いYシャツは制服で、夕方にもやもやを抱えて、過ごしていたのでしょうか。
でも、脱いだシャツをポイってする適当さ、投げやり感がさらに若さを表現していると思いました。

『失くした幻想感 さよなら』

またここは「へい!」パートです。
映像を見ながらぜひ一緒に手を天に挙げましょう。


今日も普通がいいや


さいごの歌詞です。

『愛してるなんて言っていた気持ちが
 どうもこうも笑えて来る今日は、
 現実的すぎる一日。
 今日も普通が良いや。
 愛しているなんて言っていた気持ちが
 どうもこうも笑えて来る今日は、
 現実的すぎる一日。
 今日も普通がいいや。』

私は中学生のころ、歌詞を見ずに聴いていたため、『普通がいいや』を「普通が嫌」だと思っていました。
真逆ですね。
そのため、『現実的すぎる一日』、学生であれば期末考査試験や進路希望調査などがあった日だと考えていました。
そのような将来を考えて今やらないと怒られるようなことをこなす日が嫌なのかと思い、勝手に共感していました。

『愛しているなんて言っていた気持ちが~』という部分は好きだった誰かに裏切られた気分でしょうか。
友人や恋人誰かはわかりませんが、好きだった気持ちがばかばかしくなって、全部もうどうでもいいやという気持ちでしょうか…。
それがゆえに、特別なことなんて何もなくていい。

普通が良い。普通で良い。


さいごに

ベボベっぽさをうまく言葉にできる日は来るのでしょうか。
まだまだ未熟です…。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。

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