好きな曲は好き~ホワイトワイライト/Base Ball Bear~
はじめに
今日は大好きなバンド、Base Ball Bearの『ホワイトワイライト』についてお話します。
他の曲については前の記事でお話ししています。
弱音を吐いたり泣いてはいけないルール
この曲はギターの優しくエコーの効いたリフから始まります。
『少年の吸うたばこみたいに
煙に巻かれた日々があってもいい
ただ、目指す場所が決まったら
弱音を吐いたり
泣いてはいけないルール』
私は煙草を吸ったことがありませんが、『煙に巻かれた日々』の比喩は中学生の時も想像つきました。
もやもやと目の前が不明瞭な状態、遠い未来が見えないのか、明日、最早数時間後もわからないのか。
後半の、『ただ、目指す場所が決まったら 弱音を吐いたり泣いてはいけないルール』という歌詞が、中学生の私には“厳しく”聞こえました。
目標があっても、それを到達する過程できっと苦しいことも悲しいことも悔しいこともたくさんあると思います。
それでも、弱音を吐いたり泣いてはいけないのです。
こいちゃん、なんて厳しいことを…と思っていました。
でも、大学生になって聴いたときに少し意識が変わりました。
この歌詞を“厳しい”と思う私には何か足りないものがあるんだな、と考えました。
もやもやと一寸先も見えない状況でも、叶えたいことがあるなら、泣いたりする暇なく進んでいかなければならない、と。
また、これはこいちゃんがこういうルールだと言っているのではなく、“世間が”、“大人が”こう言っているんだな、と感じました。
大人は幼い私に「泣くな!」と言います。
「つべこべ言わずにやれ!」と。
こいちゃんはこんなことを言われる幼い私に寄り添ってくれたのかもしれません。
こいちゃん厳しいとかおもってごめんね、の気持ちでした。
そりゃできるなら、暗い未来なんていらん
次の歌詞です。
『「暗い未来はいらない」
今日も願っている僕らは
空に願いを放ってくだけさー
君が願うように 僕が想うように
誰が望むように 光る世界が
君が願う通り 僕が想う通り
誰もが望む通り
淡い青春が描かれてゆく』
誰だって暗い未来を自ら望んではいないのではないでしょうか。
できるなら、自分の思う通り、願う通りの未来が欲しいです。
心から欲しいです。
だからこそ頑張ることもできます。
でもかなわない願いも多くて、その願いの大きさや期間、重要性に関わらず、叶わなかった願いはただ空に消えていくだけです。
でも、私は今は、こう思うのです。
叶わなかった願いはただ宇宙ゴミのように放り投げたくないです。
叶わなかったからと言って、無駄にしてあげたくないです。
今は大事にしてあげたいです。
こんなことを想う今も未来の私から見たら青春のように映るのでしょうか。
叶わなかったからこそ、淡いのでしょうか。
想い通りの未来になるといいなあ、なんていうその曖昧さが幼さを感じさせるようだと思いました。
中学生の私にはぴったりです。
変わらないものなんてないと思ってる
次の歌詞です。
『いつも同じ場所で遊んでた
あの頃のみんな
大人になる準備をしてる
もし変わりはしないものがあるなら
それはきっと友情だっていう』
私の中学生までの同級生はもう働いている人が多いです。
田舎であればあるほど、帰ってくることが親孝行だと考えられると、私は思っています。
地元の同級生たちも地元に帰って来て、働いています。
両親から「〇〇ちゃんは、△△で働いていたよ~」という話を聞く度に、「そんな親孝行ができそうになくてごめんね」という気持ちになります。
親不孝の罪悪感です。
あの子たちは大人になる準備どころか、もう立派な大人です。多分。
一方、私はどうでしょう。まだ学生です。
人の人生は様々だと言いますが、いつまでたっても、人の一面は羨ましく思ってしまうものです。
みなさんは「変わりはしないものは何か」と問われたらなんて答えるでしょうか。
私は今は「そんなものはない」と答えると思います。
だからこそ、まっすぐに友情だと言えるこいちゃんたちが羨ましかったです。
やっぱり人の一面は羨ましく思ってしまうものですね。
ないものねだりです。
忘れたくないものは忘れないようにしよう
次の歌詞です。
『忘れたくない気持ちがあるなら
忘れないよ残しておこう
時代に願いを 置くなんてしないさー
君が願うように 僕が想うように
誰が望むように 光る世界が
君が願う通り 僕が想う通り
誰もが望む通り 叶うよきっと』
私はこの歌を中学生で聞いてから、忘れたくないことは忘れないようにする癖がつきました。
私は「よくおぼえてるねえ!」と言われることが多いですが、その時に覚えようと思ったことしか覚えることができません。
その他は場面をストーリーで普通に記憶している程度です。
何か特別なことが起こったタイミングで「あっこれは覚えておこう」と思うようにしています。
例えば、英語の先生に良いように使われたとき、同級生の男子が名字呼びから名前呼びに変わった瞬間、私が嘘をついたとき、誰かに嘘をつかれたとき、親しい人がいつもと違うことをしたとき、親の願いを聴いたとき。
このような引っ掛かりを覚えておこうと思うようになりました。
『時代に願いを 置くなんてしないさ』という歌詞が、すごく好きでした。
中学生の私には大学生やそれ以上の自分は不透明ですが、連続した私です。
こんな中学生のときに感じた記憶や願い、希望をすべて十年後の私が覚えておいてくれるだろうか、と考えていました。
意外と覚えています。
…成長していないわけではないと信じたいです。
僕と君の願いが叶って、光る世界に
さいごの歌詞です
『君が願うように 僕が想うように
誰が望むように 光る世界が
君が願う通り 僕が想う通り
誰もが望む通り
淡い青春が描かれてゆく
ホワイトワイライト 淡く暗くない
未来遠くはない』
中学生の時の目下の不安は高校受験でした。
そして複数の可能性を考え、それぞれの可能性でどんな大人になるかわかりませんでした。
望む高校に受かれば未来は明るいと考えていました。
その高校生活が比較的明るかったと考えることができるのはやっぱり未来の私です。
苦しいこともたくさんありました。つらかったです。
でも、いつどの年代の私でも光る世界を求めています。
だからこそ、この曲はいつどんな私が聞いても、私の枯れることのない望みと欲望を認めてくれているように感じます。
こうやって、未来は遠くないよと、黄昏時のようにぼんやりとしているけれど暗くはないよよ、と優しく言ってくれていることがありがたいです。
やっぱりベボベが大好きです、という結論になってしまいます。
さいごに
今日は大好きなベボベのホワイトワイライトという曲について語りました。
大好きです。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
♡励みになりますありがとうございます。
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