好きな曲は好き~東京/赤い公園~
はじめに
今日は赤い公園の『東京』という曲についてお話します。
故郷とおもうにはあまりにも窮屈かい
『東京 ダイヤモンドになりたい
青い珊瑚が集まる それを迎え入れる
東京 グッドラックを背負って
飛び込んできたモノは 帰る海がある』
私はこの曲を聴いたときに、地方から上京する人のことを想像しました。
上京とまではいきませんが、私も地方から出てきた身なので、想像しやすかったです。
そのため、私の中でこの『東京』は“都会”であると定義しました。
都会はなにかしらの目標って出てきた人、漠然と来た人、それぞれの人を受け入れる器があります。
その器によじのぼって滑り込むように入ってきた私は、親の期待(グッドラック)を“背負っている”と感じていました。
私にとって『帰る海』は綺麗な海が自慢の“地元”のことでした。
“いつか、地元に帰ってきてくれる、地元でなくとも近くで立派に公務員になってくれるだろう“
大学に進学した時点で、このように親が期待していることはわかっていました。
でも、私はこのような親の期待には応えられない夢をもっていました。
故郷に帰りたくない理由はいろいろとありますが、私の人生があの“小さな世界”で終わってしまうことが悲しい、悔しいという理由が一番です。
この“小さな世界”というのは、人間関係も仕事の幅も、感じる居心地のことです。
そのため、次の歌詞を言われたとき、この感情を解ってくれるのか、と泣いてしまいました。
『故郷とおもうには あまりにも窮屈かい』
もしかしたら、作詞の津野米咲さんは、東京を故郷と捉えて、『東京を故郷だと考えるのは、人口的(物理的)に窮屈か』という意味で言っていたのかもしれません。
しかし、私には、私の故郷であるあの場所は“心理的にあまりにも窮屈“か、と寄り添ってくれたように感じました。
ダイヤモンドになっても輝きも価値もわからない距離
2番の歌詞です。
『東京 ダイヤモンドになりたい
青い珊瑚が集まる それを迎え入れる
東京 ダイヤモンドになれたら
メダル持って帰るから それを送り出す
お帰りと言いたくて ただいまと言ってほしくて
どこからでもわかるように ネオンサイン光らせてる』
私が地元から遠くても活躍することができれば、親は満足でしょうか。
遠くにいても輝いていれば、親は認めてくれるでしょうか。
輝いていれば、親は私を認めてくれて、いつか帰った時、帰ってきたときに、「おかえり~」ということができる関係を保つことができるでしょうか。
でも、都会でダイヤモンドになることができたとして、輝くことができたとして、親はその輝きの価値を理解できるでしょうか。
例えば、私がオリンピック代表になると、日本中からも親からも注目されるでしょう。
しかし、これは私の夢ではありません。
私が挑戦したいと、行きたいと思ったばしょで、活躍できて何かしらのポストに就くことができたとして、親はその輝きの価値を理解し、認めてくれるでしょうか。…難しそうですね、
東京が代わりに願ってくれるさ
『空が狭くても 星が隠れてても
涙流しても 夢が終わっても
思い出してね いつも見守ってるよ
どうかまた会えますように
ささやかに祈る街
空が狭くても 星が隠れてても
涙流しても 夢が終わっても
思い出してね いつも見守ってるよ
どうかまた会えますように
ささやかに祈る街 東京』
前半の『空が狭くても 星が隠れてても』は都会のことでしょうか。
『涙流しても 夢が終わっても』は今の私の状況とぴったり合います。
『思い出してねいつも見守ってるよどうかまた会えますように』とは、故郷を思っての言葉でしょうか。
私は故郷に“どうかまた会えますように”とは言えません。
まだ、言えません。私はまだ何者にもなっていないし、胸を張って歩けるようなこともやり遂げていません。
でも、私が素直に願えないことを、都会が代わりに願ってくれているような、そんな都合の良い解釈をしています。
さいごに
今日は好きな曲についてお話ししました。
死ぬまでに一度、津野米咲さんにお会いしてみたかったです。
♡励みになりますありがとうございます。
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