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前例のない道を行く。転職活動を終えて。

 こんにちは、まいの〜です。先日、私の退職&移住投稿をしましたが、今回は私の転職活動についてシェアします。転職には無縁の人生だと思っていましたが、転職知識ゼロの状態からでも、自分の軸を定め、愚直に想いをぶつけた結果、なんとか希望の転職先から内定をいただけました。今回、自分の軸に関する備忘録要素が強めですが、今の自分このままでいいんかな?とモヤモヤしている方の背中を押すような参考例となれば嬉しいです。

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 まず、まいの〜とは?簡単に自己紹介。
・平成2年生まれのアラサー事務系会社員。
・広島県出身、大学進学を理由に、上京。
・大手メーカーへ就職、入社9年目。
・経歴:営業6年、本社営業企画2年(入社以来、首都圏勤務)
・夫と二人暮らし。社内結婚のため、業務に対する理解はあり。
・2022年5月から本格的に転職活動を行い、3週間で希望先からの内定獲得。
・2022年7月8日に現職の最終出社日を迎え、9月1日より転職先へ入社。
 (7月9日〜8月31日:有給消化中)
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 前回の投稿で、転職活動のきっかけを記載しているので参考までに。

【移住構想期:2021年8月】

 2021年お盆帰省後、夫に広島へ移住したい旨を伝え、承諾を得る。移住において、最大のネックは「仕事」だ。幸い、今の仕事は、在宅勤務がメインであり、現に、出社頻度は月1回程度。そして、同じ部署でも移住(何かしらの事情はありそうだが)をしている人もいる。そのため、まずは現職リーダーに移住の旨を相談するのが先決だろうと思った。
 とはいえ、もし、断られた場合、転職活動の必要があるため、そちらの準備も念のため、進めていった。

【情報収集期:2021年9月〜12月】

 私が転職活動を始める前に、2つのアクションをとった。自分の市場価値を知ること、そして、転職において譲れないものを整理することだ。

★自分の市場価値を知る。
 初の転職活動のため、転職のことはよくわからなかったが、なぜかこのことだけは脳裏に焼き付けられていた。

 「30歳すぎての転職活動は厳しい」

 転職市場的に32・33歳あたりまでがギリギリライン、かつ、異業界・異業種へのジョブチェンジはハードル高めという都市伝説が自分の中ではあった(最終的に、31歳にして異業界・異業種へのジョブチェンジとなった)
 私自身、メーカー×営業関連業務になるのだろうか?まずは転職市場における自分の価値を知ってから戦略を立てようと考えた。そこで、手始めに、2社の大手転職エージェントへ登録し、面談にこじつけた。

★転職で譲れないものを整理する。
 面談の中で、転職における希望条件を聞かれ、当時の私は以下の整理した3点を伝えた。
 ①フルリモート勤務可能な東京企業(本社への出社頻度は月1〜2回)
 ②業界問わず、希望業種は営業企画・マーケティング。
 ③年収は、現職と同等、最悪、3分の2まで許容。

 エージェントからの回答は、「現在、そのような内容はないですね」と一刀両断。仕方ないと自分自身に言い聞かせながら、詳細をヒアリング。エージェント曰く、
・そもそも事務系フルリモート勤務可能企業がない。あったとしても、年収が現職の3分の1程度になる可能性がある。
・経歴的に「営業職」でなければ、内定獲得の勝率は低い。
・「営業職」となると、広島や岡山といった地元企業への就職となる。

 エージェントからの一言、一言がボディーブローのようにじわじわと効いてきたのと同時に、自分のこれまでの仕事人生なんだったんだろうと、悔やんだ。
 営業配属は、大手メーカーにおいては初期配属の王道コース、長年の現場経験があったから、今の部署にもいるんだろうしと、これまでの経歴を一つ一つ、無理やり納得させていった。その時、これが「置かれた場所で咲きなさい」を全うしたがゆえの代償なのかと痛感した。
 エージェント曰く、「営業企画・マーケティング」業務も視野にいれるなら、最低2年の経験が必要。相談時点では、経験が半年ということもあり、採用側からすると判断が難しく、経歴としては不十分のようだ。
 「今回は情報収集だから」と転職活動を開始せず、淡々と業務をこなすことにした。

【転職決断期:2022年3月〜4月】

 エージェントとの面談も半ば忘れかけ、目の前の業務に没頭していた。4月の異動がないことを確認し、3月下旬に、広島への移住をリーダーへ相談。結果、現在の業務をもったままの移住が許された。ただ、ここから私の考えは激変していく。
 4月春の季節、人事異動に伴い、組織変更があった。その「組織変更」のあおりを喰らったのだ。4月上旬、私の属するチームも組織変更の影響を受け、チーム編成が多少変更となった。詳細を書くことが難しいのだが、私の業務は変わらなかったものの、チーム編成の内容に違和感しかなかった。その時、これがタイミングか・・・と「転職」の二文字が頭にちらつくようになった。
 違和感を感じながらも、仕事をこなし、GWを迎えた。定例行事である実家への帰省を通し、一つの決断を下した。

 「よし、転職をしよう」

【転職実行期:2022年5月】

 転職活動を始めるにあたり、再度、転職における譲れないものを整理することとした。そして、この作業が非常に重要となった。
 前回は、「転職に求めるもの」、つまり、考える範囲を「仕事」のみにおいていた。ただし、今回は、「どういう自分でありたいか」「どういう暮らしをしたいか」といった、「理想の自分像」へとフォーカス。結果、以下の通り、転職の条件を整理することができた。
 ①フルリモート勤務可能な東京企業(出社頻度は月1〜2回希望)
 ②業界は問わず。
 ③年収は、現職の3分の2以上。
 ④職種は、営業企画・マーケティングに加え、人事・採用にチャレンジ。
 ⑤企業規模は問わない。むしろ、ベンチャー企業にチャレンジ。

 ①②③は、前回と同じだ。ちなみに、私が東京の企業を希望する理由として、情報が集まる東京の感覚も持ちながら仕事をしたいと思ったからだ。また、東京に友人もいるため、東京に行く機会を持っておきたかった。
 さて、今回の棚卸しにて新たにあがったのは、④⑤だ。前回エージェントには、営業職でないと就職は難しいと言われたが、前回の投稿に記載した通り、「受動的な生き方」ではなく、「能動的な生き方」を自分で作っていくことを大切にしたかった。新たにあがった要素について、以下補足する。

④人事・採用業務へのチャレンジ
 これまでの人生においてキーワードになっているのは、「人」だった。昔から人と関わることは好きだったし、現職の入社動機も、「人」。有り難いことに、私は今まで「人」に恵まれてきた。もちろん辛いこと、悲しいことはあったけど、毎度周りの人に支えられ、助けられてきた。人とのご縁を大事にすることを心がけ、大切な仲間もできていった。
 自分の信頼する人に囲まれた環境には心理的安全性が生まれ、のびのびとチャレンジできる。過去を振り返ると、楽しく仕事ができたときは上司や同僚との関係性がフラットだったし、自然と結果もついてきた。この経験から、今度は私が「人」や「組織」の可能性を引き出すお仕事をしてみたいと思うようになった。今まで「人」に助けられてきたことを受け、私も、人と組織のマッチングによる心理的安全性の場づくりをしてみたいと思うようになった。 

⑤ベンチャー企業へのチャレンジ
 まず、自分とは?を考えるようになって、大事にしたい仕事観として、「スピード感」「人と組織の調和」「会社へ貢献しているという自己効力感」だ。
 自分の特性として、じっくり考えて進めるというより、とりあえずやってみる・進めながら軌道修正するタイプだと分析した。そのため、もしかしたら、私は会社規模は小さめで、経営に近い立場でフットワーク軽く動けた方が自己効力感を感じやすいのか?と考えるようになった。

 その後、転職エージェントと並行しながら、自分自身でも複数の転職サービスを利用した結果、無事内定を獲得。次の仕事は、フルリモート勤務可能な東京企業で、採用担当。年収もクリアとなり、譲れないものすべてが叶い、初めての転職活動は3週間で幕を閉じた。

前例がないなら、自分で作ればよい

 当初エージェントからは、「難しい」「可能性は低い」「営業でなければならない」など、数々の否定的な言葉を並べられた。このような否定的な言葉が出てくるのはきっと、転職エージェント側に前例がなかったからだと考えている。ただ、前例がないからといって、自分自身が鵜呑みにすることは果たして良いのだろうか。自分の意思を強く持ち、一貫して伝え続けることが、実現するには大事だと学んだ。
 一歩踏み出す経験は、自分の人生にとって糧となり、自信へと繋がる。いざ、踏み出してみると、次なる一歩のハードルも下がり、アクションしやすくなる。
 「自分はどうありたいのか?」自分で自分を信じて行動することが大事。次はどうなっているのだろうか?とワクワクしている自分がいる。一歩踏み出すことで見える世界があることを、1年前の自分に教えてあげたい。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございます。もしよろしければ、いいねやコメントいただけると嬉しいです。有給消化完了まであと少し。転職先の雰囲気はどんな感じだろうか。不安はあるけど、それ以上にワクワクしている。1年後の自分はどんな自分になってるのかな。今後に期待。

まいの〜。

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