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娘中学生と母とのお別れ

中学受験の結果は公立中高一貫校は落ちて、地元の公立中学に通うようになった。入試の練習のために受けた私立は受かっていたけれども、そもそも行くつもりはなかったので。公立だったけれども制服やら体操着やらで20万くらいかかって、その当時はけっこうな負担感があったのを覚えている。   娘が中2の時、暑い夏の昼頃父から慌てた様子で電話がかかってきた。母が倒れて救急搬送されたと。朝なかなか起きてこない母の様子を見に行ったら、既に意識がなかったそうだ。そのまま病院で死亡が確認された。脳出血

    • 16.小学生後半

      小学校4年生になってからは、塾に通い出した。その頃でき始めていた大人気の中高一貫公立校を受験するために。 わが子ながら、コツコツよく勉強して偉いなぁと思ってみていた。このあともっと大きくなってもそこは変わらず、私から勉強しなさいと言ったことはなかった。  私も中学受験を経験していて競争だらけの日々を送っていたので、自分の子にも迷わず同じような道を歩ませていた。 合格という同じ目標に向かって母娘で取り組んでいる、そんな状況に陶酔するかのように。学年が上がるに従って塾費用も

      • 15.習い事

        順調にシングルマザー生活を送りながら、娘は小学生になった。実家が近いのもあり、放課後お友達を集めてそこで遊ぶことも多かった。  5歳頃から始めたピアノ、1年生になってからは水泳、ダンスと忙しく毎日を送っていた。ピアノは私が習っていたからやらせたくて、発表会では母娘連弾も披露。練習も大変だったし、本番の緊張は半端なかった。ダンスはお友達の影響で、娘本人がやりたいと言い出してはじめた。 そんな習い事の送り迎えを私ができる訳もなく、父が大活躍してくれた。hのおじいちゃーんと地域

        • 14.保育園最後の日

          その当時、保育園最後の日という題名でブログを書いた。娘は4月から新一年生になって、またひとつお姉さんになることを喜んでいた。小学校へ通う道で写真を撮ってそのブログに載せた。 その頃元夫とは全くの音信不通、娘の状況くらいは知らせてあげようという親切心から私のブログの存在は教えていた。これが後に恐ろしい事件を引き起こすことになってしまった。 運動会の準備だっただろうか、お父さんチームが学校の校庭で活動をしていた時、元夫が娘の父ですと名乗って現れたらしい。後からそこにいたお父さ

        娘中学生と母とのお別れ

          13.そして恋

          新居で新生活をスタートさせて、一段落ついて生活も落ち着いてきた。その頃まだまだ29才、恋とかもしたくなるわけで。今のようなアプリ全盛ではないけれどそんなサイトはあって、そこで出会った年上で映像制作の仕事しているフリーランスの方とお付き合いを始めた。お家デートで私の手料理で過ごすことが多かった。 その間娘は? 実家に預けてデート後夜中そのまま実家に泊まって、という流れで。なんだかんだで細く長く、10年位続いた。最後は、あまりに会えない状況に私が爆発してしまって。仕事で忙しいと

          13.そして恋

          12.マンションを買った理由

          心機一転、シングルマザーとしての道を歩み始めた私。マンションも全面的にリフォームし、仕事にも精進。有難いことに扶養手当もつくことになり、収入も格段に上がった。  ここからは仕事に子育てに忙しかったけれども、楽しく充実した毎日だった。定年退職してアルバイトをしている父に残業時はお迎えをお願いし、週末には実家でみんなで食事をした。平和そのもの。 話は戻るが、実家居候から自立してマンションを買おうと思った理由についてご説明。実家住まいなら自分の部屋もあるし色々安心だし、経済的に

          12.マンションを買った理由

          11.離婚成立への道のり

          離婚することを決心した私は早速その意向を彼に申し入れた。マンション購入のローン成立は、離婚が条件になったいたので、そのことについてはバレないように細心の注意を払った。もしわかったら、嫌がらせで離婚を拒否されかねないから。 そもそも、このままいたら自分のひいては娘の普通の生活もままならなくなるという危機感があった。一番怖いのは金銭トラブルに巻き込まれること。借金をこっちも背負うことになっては、もう目も当てられない。娘をまともに育てられる安心した環境を守りたかった。 結果、離

          11.離婚成立への道のり

          10.そして離婚に向けて

          娘と共に実家に居候し、しばらくは別居生活を続けた。今ではだいぶ、市民権も持ち得ているバツイチやシングルマザーだけれども、まだその当時はとても特殊な存在だったと思う。父親のいない子、離婚なんて世間体が悪く親にも迷惑をかけてしまう。そんな思いで、再建へ向けてもがいていた。 でもやっぱり、人間そうそう変わるわけもなく。彼の生活ぶりや、現実逃避のような甘々な考え方を目の当たりにする度に、もう無理だと思う気持ちがどんどん大きく膨らんでいった。 行政書士の資格を取って開業するだの、保

          10.そして離婚に向けて

          9.失踪2

          2回目の失踪。結局、彼は会社を退職することになり無職に逆戻り。 お義母さんに間に入っていただき、またのこのこと帰ってきた彼と話し合い。父親のいない子どもにしてしまうのは避けたく、再建の方向ですすめたいとは思っていた。けれどもなぜか、逆ギレされて交渉決裂。私は服をカバンに詰めマンションを出た。逆ギレの理由は何だったのかいまいち思い出せないけれども自分の行動を棚に上げて、なんだそりゃ?と。 都内にある実家に身を寄せることになった。 この頃家を買おうとしていて、彼が失踪した日

          9.失踪2

          8.1th Birthday Party

          たくさんミルクを飲んでスクスクと娘は育っていった。生後6ヶ月で娘を保育園に預け、私は仕事復帰した。仕事では周りに差をつけられたくない思いから、時短はとらず残業もこなした。当時住んでいた場所の近くに桜の名所があったので、春はベビーカーを押しながら桜を愛でたり、とても穏やかで愛に満ち溢れた時間を過ごしていた。 そしてまた夏が来て1才を迎え、両家集まってお誕生日のお祝いをした。ほんわか楽しいひと時。 悪夢の再来、その日の夜また同じことが起きた。キャッシングの明細がたくさん見つか

          8.1th Birthday Party

          7.出産

          そして程なく8月暑い夏の日、私は女の子を出産した。夜中陣痛が来てどんどんその間隔が短くなって、朝パーンと風船が割れたような感じがあり、前期破水。実家に里帰りしていたので(と言っても近所)、慌てて両親を起こしてタクシーで病院へ。 9時過ぎに陣痛室に入って、昼過ぎには産まれた。出産時間は短いものの、娘はへその緒を首に巻き付けて更にたすきがけにしていたため、一時は「赤ちゃんの心肺が!」という事態になり分娩室に緊張が走った。助産師さんが私のお腹の上に乗って、3219gの玉のような赤

          6.失踪

          2つ前の章で、旦那が失踪したことを書いた。彼は結局2回失踪する。もうそれだけで人としてどうなん?どんな理由があろうとも。 最初の失踪は妊娠5ヶ月の頃。もう記憶が曖昧になっていて時系列があやふやなのだが、彼が寝ている時にキャッシングの控えが沢山財布から見つかった。それを机の上にぶちまけといたら、居なくなった。逃げたのだ。 前に少し触れているが、その時彼は無職で就職活動をしながらアルバイトをして生活費を稼いでいた。そのはずだった。 けれども、アルバイトも辞めてしまっていて、

          5.妊娠

          若いお母さんになるのが夢だった私は、なるべく早く赤ちゃんが欲しかった。結婚前から生理不順で婦人科に通っていて、無排卵性月経の診断を受け治療していた。タマゴが排出されていないので、妊娠も難しい。 そんな状態だったので、妊娠できるかどうかとても不安だった。けれども治療の効果があったのか、程なくして無事妊娠できた。26才の時、驚きと喜びと、とても幸せだったと記憶している。新しいステージに踏み出した感覚だ。 当時は今と違って、結婚で仕事を辞める人もいたし、更に妊娠・出産ともなれば

          4.結婚

          私は25才の時、周りより早くに結婚した。体目的のようなゲス男との出会いばかりで心がすり減っていた頃、私のことを愛してくれているのはこの人だと思った。 親、特に母親には反対された。親の言う事は聞くものだと今になってはそう思う。小さな出版社勤めで給料も少なく、そしてさらにそこが倒産し無職男に。 再就職して前向きに結婚生活をはじめたのもつかの間、ブラック企業のプレッシャーに負け、ある日失踪。多分その頃もう彼は、メンタルを病んでいたと思う。

          3.結婚するまで

          結婚について書こうと思ったけれど、その前の恋愛経験を思い出してみた。 中高は女子校で大学受験もあったので、交際とは無関係。塾の東大生講師に淡い恋心を抱いたけれども儚く消えた。でもそのお陰で、彼の担当していた日本史は大好きになり、センター試験の得点源になった。 大学生になってバイト先の3つくらい年下の男の子とつきあった。とっても素直に愛情表現してくれて、色んな思い出も作って楽しい時間だった。 そんな彼との交際に異変が起きたのはつきあって3年目、私が先に就職してから。私の浮気が原

          3.結婚するまで

          2.私について

          私は50才の都内在住会社員。大人になってからの人生は、それはそれは波乱万丈。そんなことを中心に書いていきたい。 サラリーマンの父と専業主婦の母。そんな昭和の典型的な家庭に生まれて育った。 中学は受験で私立の中高一貫女子校、大学は受験をして教育学部のある学校へすすんだ。 恵まれた環境だったと思う。お金には困ることなく、伸び伸びと育った。 でも大人になってから、結婚してから、私の人生は波乱万丈。周りは普通に生きていけるのに、なんでだろう?

          2.私について