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第三機関

2024年 3月28日(木)

今日の景色…

〈気になる記事・後半…〉

人種差別疑惑のアチェルビ処分なしに被害者ナポリDF「大きな苦い思いが残る。心から落胆している」

(記事全文…)

ナポリのDFフアン・ジェズスインテルのDFフランチェスコ・アチェルビ処分なしという決定を非難した。

17日の1-1で終わったインテル対ナポリで人種差別の疑いが浮上。インテルのアチェルビがナポリのフアン・ジェズスと衝突した際に「ネグロ」と発したことが試合後にナポリDFの発言から明らかになり、インテルDFは直後に相手選手に対して謝罪してこの問題は当事者間で解決したと伝えられていた。

その後、アチェルビについては分析が行われたが、証拠不十分で処分なしが決定。ジェズスは公式声明の中で「守られているとは感じていない」ことを主張した。

「17日のインテル対ナポリ戦で僕が人種差別的な侮辱を受けたという証拠はない、というスポーツ審判の決定を何度も読み、大変遺憾に思っている。この決定を尊重するが、僕には理解しがたい評価であり、大きな苦い思いが残る。この重大な問題において、観客に迷惑をかけるような重要な試合の中断を避け、"紳士らしく "行動したことだけが罪であるようだ。そして、僕の態度尊重され、おそらくは模範とされることを信じていただけに、この結果には心から落胆している」

「この決断の後、同じような状況に置かれた人々は、自分自身を守るため、そして人種差別の恥辱に歯止めをかけるために、おそらくまったく違った行動をとるだろう。残念ながら、人種差別の恥は消えそうにない」

「この決定によって、私は何ら守られているとは感じていない。『黒人は消えろ。お前はただの○○だ』というフレーズが、差別ではなく、不快なものとして分類されることが本当に理解できない」

「実際、アチェルビが謝罪しなければならないと感じ、レフェリーがVARに報告しなければならないと感じたような "単純な反則 "であったなら、なぜあの夜、あれほど大騒ぎになったのか理解できない。試合は1分以上も中断され、チームメイトは僕に話しかけるのに必死だった」

「試合直後ではなく、翌日の代表合宿を前にして、アチェルビがUターンを始めた理由は説明できない。このような結末になるとは思っていなかった。この悲しい物語が、サッカー界全体がこのような深刻かつ緊急の問題について考えるきっかけになることを心から願っている

👉今回のこの被害者であろうフアン・ジェズスが訴えたいこと…。

それは…
この「人種差別」をサッカー界から根絶するためには、その「第三機関」である立場がちゃんとしっかりとした対応や適切な処分を下さなければ、この問題はいつまで経っても無くならないと…。

自分たちは…
サッカー界のその取り組みに…
賛同し協力して…
その「第三機関」にその対応・判断・処分を信じ委ねて、そのピッチ上における、直接的な言い争いや揉め事、そして報復行為などを極力避け、その場をプロフェッショナル的に穏便におさめて流そうと努力しているが、その「第三機関」が機能しないのであれば、またその神聖なピッチ上で直接的な批判とアピールをするしかないと…。

当然試合は中断し…
またそれによる選手間の報復や暴力行為も煽られ、より大きな問題に発展して行くことでしょう…。

だから…
「簡単に見過ごしてはイケない」のだと…。

でなければ逆に…
「紳士らしい行動が仇となってしまう」と…。

そんな“紳士が馬鹿をみる”ようなサッカー界に…。

残念ながら…
どこの世界にも…
そのような“理不尽”というものがあります…。

そして…
「お咎め無し」でいつまでものさぼる連中も…。

サッカーそしてスポーツという「ルール」がある世界だからこそ、そのルールに則って白黒はっきりさせるジャッジがあり、それがその世界の秩序を保ちまた発展させる鍵でもあります…。

そして…
そのジャッジを司るレフェリー審判団に対する選手からの敬意と尊重が根底にあるからこそ、それは維持されています…。

しかし…
そんな選手からの敬意と尊重に甘んじて、いつまでもあやふやで理不尽なジャッジばかりをしていては、その根底にあるものが覆され、スポーツたる存在価値が無くなってしまいます…。

その「第三機関」となるレフェリー審判団やそのスポーツ裁判のような機関…。
そこがもっとしっかりとした誰もが納得し得るジャッジやその決断・判断を下さなければ、そこにそのスポーツの発展はありません…。

そしてそれは…
スポーツだけの問題ではなく、どこの社会にもどこの世界にも存在する“相似性的問題”…。

正直者の紳士的人間が馬鹿をみる世界とその世の中では、いつまで経っても浮かばれない人たちで溢れかえります…。

その「大きな苦い思い」は…
“無念の想い”としていつまでも遺されて行くことに…。

今を生きるわたしたちは…
先ずはそんな目の前の小さな問題に対して…
その目の前のひとつの問題の棘や芽を摘むことで…
それを野放しにすることなく…
またその痛みやその原因をより大きく育ててしまうことなく、それを根絶して行かなければなりません…。

今…
この時代のこの世界にある…
どこの国のどの社会においても…
そこにある問題を取り扱う「第三機関」となる司法制度の検察や裁判所に裁判官なる存在とその働きというのが、これから先の社会の未来において重要なポイント鍵となりつつあります…。

そこが破綻してしまえば…
そこに明るい未来などあり得ません…。

わたしたちは…
そんな「第三機関」を適正に的確に働かせる必要があります…。
決して一部の人間に偏り肩入れするような機関にさせてはなりません…。

先ずはそのスポーツの世界のサッカーの世界で先頭となってそのお手本を示し、その世界の“相似性的”なお手本を示して欲しいと願います…。

世界のサッカーファミリーであるサッカー人口というのは、わたしたちが思っている以上に、もの凄い数の人間が存在していて、そこには大きな可能性が秘められているのですから…


〈気になる記事・前半…〉はこちらから…


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