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「雑談が苦手」な私は主人公に憧れているのかもしれない

こんな言葉を聞いたり、目にしたことはありませんか?

「自分の人生なんだから自分が主人公!」

いや、まったくその通りなんだけど、だとしたら私が主人公のドラマは視聴率0パーセント台で打ち切りだろうなと思う。



自己紹介

こんにちは。HSPでありアダルトチルドレンなVanと言います。
普段は地方で"電気系"のエンジニアとして従事しつつ、スピーチライターを請け負ったりしています。


私の嫌いなもの

これまでの記事では、さんざん私の好きな「国旗」について語らせていただきました。
では今度は嫌いなものを語らせてください。


私は日々、人疲れをしています。

人疲れって初めて聞く言葉ですよね。私が創作したのでそりゃそうです。でもニュアンスは伝わりますよね?

なぜ人疲れをするかというと、人に気を遣って生きているから。逆に人に気を遣われているのを感じても疲れを感じます。

「人に気を遣い、遣われる」
生活のどんな場面で感じますか?

私の場合、それは「雑談」でした。

「雑」談と言いながら、私にとって雑談は雑に話せるような気軽ものではなく、事前に会話の道筋など戦略を立てて話さなければならないと思っています。

美容院の雑談って自分の雑談レベルのテストみたいなものだと思っています

そんなことを言うと「気を遣わないで」とか「気を遣ってないよ」って言われるかもしれないですが、私にとってはその言葉に意味を感じません。

自分自身が気を遣っているか、気を遣われているかを感じているかがすべてなのです。

優しい言葉をかけてくださる方に唾を吐きかける行為だと承知しています。そんな自分に罪悪感を感じます。


嫌いの本質的な要因

「雑談」は人疲れをするから嫌い。というのはその通りですが、本質的に嫌いな要因は何かと考えてみました。

まず、雑談には自己開示をし合うという特性があります。

自己開示をすることで仲が深まってしまう可能性がある。
 ↓
仲が深まるとより深いパーソナルな部分を掘られる可能性がある。

つまり雑談には「パーソナルな部分をさらけ出さなけばならないリスクがある」と言えます。

私が考える雑談レベル

他にも

  • 会話の自由度が高すぎてトピックの選定や言葉のチョイスに頭を使わないといけないので脳のリソースが削られる。

  • 他のことに集中しているときに話されると、頭を切り替えないといけない。モード変更に脳のリソースを削られる。

  • 無言の時間が続くきまずさが嫌い。

などが挙げれますが、やはり一番不快なのは「パーソナルな部分をさらけ出さなけばならないリスクがある」という点です。


パーソナルな部分をさらけだすのは"リスク"なのか

実は私にも雑談が嫌いじゃなかった時代はありました。

なぜ今の私はパーソナルな部分をさらけだす="リスク"と考えているのでしょうか。
こんなエピソードがあります。

  • 小学3~4年生の頃までは雑談に肩肘を張っておらず、来るもの拒まずのスタンスでテキトーにお互いの興味について話していました。

  • 学校中の生徒・教師から嫌われていた暴力的で家庭環境に問題のある子が話しかけてきてくれました。自分も隠していましたが当事者だったので、お互いのパーソナルな部分の雑談をして仲が深まり、その子の唯一の友達になりました。

  • ただ、自分は家族からどれだけ存在を消すことができるかを考えていた(ロストワンタイプ)のに対して、その子は問題行動を起こすことで家族からの注目を集めたい(スケープゴートタイプ)と考える子でした。

  • だんだん気が合わないなと思ってはいましたが、その子は自分しか友達がいなかったため無下にすることもできなくなっていました。

  • ある日万引きに加担しないかと言われて一万円を渡されそうになりました。もちろん犯罪を犯して注目を浴びるのは嫌だったので断りましたが、その子は捕まって、保護されて知らない街に転校していきました。

  • 自分が犯罪を犯すことになったかもしれなかった恐怖と同士だと思っていた子が同士ではなかった裏切り感を感じました。

  • それ以降、パーソナルな部分を開示する可能性のある「雑談」のせいでこんな思いをしてしまうのであれば、もう自己開示するのはやめようと思った。

  • さらにこの頃は両親の夫婦仲が一番悪く、そのうちどちらかがどちらかを殺すんじゃないか(もしかしたら自分も殺されるかも?)と思っていました。ですので、波風をできるだけ立てないように家では兄弟との雑談はおろか「おはよう」「いただきます」「ただいま」「おかえり」「ありがとう」など挨拶すらもしなくなっていきました。

  • とはいえ、雑談となれば自ずと自分のことを話さなけばならない場面はやってくるので、自己開示はおろか雑談自体を避けたいと思うようになりました。最悪パーソナルな話題の雑談になると嘘をついてでも自分のことを開示しないことがあります。

ただ実際、そこまで深い雑談にならない可能性は往々にしてあります。しかし、私にとってはその可能性があること自体が脅威なのです。


現状どうやって対策をしているか

私が実践している対策の一部です。

  • 朝は早い時間に出社して誰にも会わない確率を上げて出社する。

  • 会社を移動するときは人が多い休憩時間を避けて移動する。

  • 帰りは定時で帰りたくても少し遅れて退社して誰にも会わない確率を上げて退社する。

  • 地元のイオンとかで知り合いっぽい人を見かけたら道を変える。その感覚の鋭さだけは自信あり。

のように雑談から逃げることで対策をしています。


今後のビジョン

私の人生から雑談をゼロにすることはできませんし、私は雑談から逃げるという対策に決して満足していません。

むしろ雑談の重要性を感じてきています。

仕事においては雑談をして接触回数を増やしておくことで仕事が円滑に回ることがあります。(他部署への根回し、後輩への気配りなど)


今まではエンジニアのプレイヤーだったので雑談から逃げることでなんとかなっていました。しかし、30代になりリーダーやマネジャーを経験するうえで表面的でも構わないので雑談がしたいと思っているのが本音です。

しかし、私の原体験は思ったよりも根深く、そのハードルを越えることができないジレンマを感じています。

私は主人公にあこがれているのかもしれない

私の主人公像は「周りに気を配れて頼りになるリーダー」です。私は人に気を遣って生きているのは、その憧れを示しているのかもしれません。

しかし「自分本位に人に気を遣う自分」「他人本位で周りに気を配れる主人公」はまったく別者です。ただ、捉え方さえ変えれば私も主人公になれるのかもしれないと思いました。

雑談ができるようになることでこれを叶えることができる。そんな主人公になれる千載一遇のチャンスが、今私にはもたらされているのかもしれない。

私の私による私のためプロジェクトが今始まった。

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