監督・山脇大夢 あの日、おじいちゃんと一緒にした送り火
今回インタビューさせていただいたのは、映画監督の山脇大夢(ひろむ)さんです。山脇さんはカナダのバンクーバーでショートムービーを中心にオリジナル作品を制作しています。そして2023年にバンクーバーアジア映画祭(VAFF)やチリワック映画祭で公式作品として上映された監督の作品「Okuribi」。移民親子の日常と文化の継承をテーマにした本作品に関して、監督にインタビューしました。
※インタビューは2023年の11月頃に行っています。
ーVAFFで公式作品に選ばれましたが、実際に会場でご自身の作品を見た感想はいかがでしたか?
まずは、たくさんの人に見てもらえて嬉しかったです。大きなスクリーンで知人以外に見てもらうのも初めての経験だったので、この物語がどのように受け取られるのかちょっとドキドキもありました。あとは、作品中に馬を表すきゅうりと牛を表すナスが出てくるので、他文化の人が見た時にその意味が曲解されないか心配でしたが、会場の方々には私の意図した意味で伝わったと思います。
ー自分の思いやメッセージを世の中に届ける手段が色々ある中で、山脇さんが映像を選んだ理由は何でしょうか?
いろんな経験や思いが積み重なってですが、カナダに留学したばかりの頃は映画監督になるとは定まっていませんでした。でも留学中に日本が恋しくてホームシックになり、部屋に篭って日本の映画をパソコンで見ていました。そうやっているうちに日本の映画が好きになって自分も映画を作ってみたいと思ったのがきっかけですね。あとは僕が高校生だった頃、Vineという6秒の短い動画アプリがあったんですけどご存知ですか?
ーあぁ、ありましたね。懐かしいです。
それを撮影して友達に見せるのが流行っていたし、好きでした。例えば、実家の近くにある海岸の波の映像と自分が家のシャワーでびしょ濡れになるっていう映像を組み合わせたら、「波で自分が濡れた」という物語が6秒の中だけで成立するんだと気がついて、映像ではこうした全く違う二つの事象の組み合わせでストーリーができるということが面白いなと思いました。
ー作品に「送り火」という日本独特のエッセンスを入れた理由についてお聞きしてもよろしいですか?
1つは子供の頃の経験ですね。おじいちゃんがお盆になると毎年僕と妹を呼んで、送り火と迎え火をやっていました。それは10歳や12歳の時で、子供の時はめんどくさいなぁ、よくわからない風習だから大事なものだとは思っていませんでした。でもあの頃から十数年経ってカナダで過ごしていても、毎年その時期になるとその習慣を思い出すんですよ。それがふとした時に、カナダにはいろんな人種や文化があって、この送り火という体験も実はとてもユニークな体験だったんだなと思うようになりました。
もう一つはカナダのオタワにいた時に日本語学校でボランティアで日本語を教えていた時の話です。いろんな境遇の子供達に教えていて、家庭では一切日本語を喋らない子供やいろんなレベルの子供達がいて、日本語を一切話さない子供達は親が日本人でもカナダに住んでいることで日本の文化は継承されないんだなと思うと何か悲しかったんです。だからこの作品を通して文化を継承していくことは大切なんだということを伝えたかったですね。
ー迎え火、送り火という文化は独特の宗教観や死生観で、先祖や祖先を大切にするというのもアジア独特だと思います。今回、カナダのクルーも作品に参加されていますが、一緒に作品を作る上で彼らにとっても新しい出会いだったのではないでしょうか。
カナダのクルーに関しては、こういう文化があるんだねと興味深く受け取ってもらっていたと思います。同じ日本人でもご家庭によっては全く触れたことがない習慣だと思います。
ー私も実は送り火をした経験がなくて、でもこの作品をみて「あ、日本にもこういう風習があったな、どんな意味があるんだったかな」とリマインドされて、改めて興味を持つきっかけになりました。
特に迎え火は祖先を自分の家に連れてくるという意味が込められていますが、それをもしカナダでしたらどうなるのかな?遠いけど祖先の人はカナダまで来てくれるのかなとか考えると面白いなと思いました。
ーあとは物語の最後にMeiが一言だけ日本語を話したことで、TatsuyaとMeiの距離が縮まったのだと印象に残りました。
この作品には、自分たちが生まれ育った土地ではないところで暮らす人々の物語っていうテーマもあって、それを伝えるのにどうやって伝えたら良いかを考えた時に浮かんだのが送り火だったので、送り火という文化があること伝えるのがメインのテーマだったわけではないんです。カナダに住む移民のご家庭では言語が2つ話されていたりするんですね。家での会話は母国語なんですけど、外に出た時には母国語を話すのが好きじゃなかったりして、それは英語じゃないから揶揄われてしまうという経験がベースにあったりもします。思春期にその気持ちが強くなって母国語を話さなくなると、そのうち忘れていってしまう。そして、自分の元の文化とかけ離れていってしまうんです。「Okuribi」の中でも父親は日本語で話しかけるけど、娘は英語しか話さないんです。それは反抗期でもあるんですけど、物語の最後にMeiが一言ぽろっと日本語を話すシーンも入れていますが、そういった移民家族の日常の風景も作品に入れたかったです。カナダで生まれ育った日系の方だったり、海外から移住してカナダで子供を育てている方にも見ていただきたくて、映画の中のように送り火をするっていうわけにはいかないかもしれないですけど、母国の行事を子供にも伝えてあげて欲しいなという願いを込めました。
ー制作プロセスはどのくらいかかりましたか?
話を作り始めたのが2022年の8月くらいで撮影したのが10月、完成したのが2023年の3月です。私は、最初に構想を練っているときと編集をしている時が1番楽しいです。ただ、構想を練っている時は楽しいけどそこから脚本を書き始める時が一番辛いです(笑)自分が思いついたアイデアが映画になって面白いのかという確証がないですから。
ー監督の場合は、日頃生活をしていて視界に入るものや見える景色が作品のアイデアになったりすることはありますか?
監督も絵で考える監督とストーリーで考える監督がいると思うんですが、僕の場合は視覚的な部分から作品のアイデアを得るよりも、人と話していてその人の話し方や内容を映画にしたら面白いかもと感じたりします。映画のことを考えている時間が多いので、自然といろんなアイデアをキャッチしています。
ー多言語で異文化の作品を題材にしたものが作りたいというよりも、自分らしく作品を作ることができるのがカナダで、そうすると自然といろんな文化に触れる機会が多いということでしょうか?
過去には日本で撮影に関わらせていただく機会もあったのですが、私は日本よりもカナダの方が合っているのかなと思って方向性もカナダにシフトしました。バンクーバーでも監督になりたいという人はごまんといて、自分の個性は何だろうと考えた時に長い間カナダと日本2つの国で生活してきたことは1つの個性かなと思いますし、深く探っていきたいなと思っています。
ー今後の目標を教えてください。
今27歳ですけど30歳までに長編を撮りたいなと思っています。それが1つの目標ですかね。あとは監督としてではなく助監督もやりたいなと思っていて、日本が文化的に絡むハリウッド作品で使ってもらいたいなと思います。助監督は作品になくてはならない存在で英語と日本語が話せるということもありますし文化的な理解も活かして、良い作品を作りたいですし関わっていきたいと思います。
ー山脇さんの作品を日本のみなさんにもお届けできる日が来るのを楽しみにしております。本日はありがとうございました。
ありがとうございました。
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