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「ぼっち」は人類悪なのだろうか

ぼっち。

それは、私の経験則から言えば

いい意味でも悪い意味でも他人に興味が無いか、ライフステージの変化する段階において交友関係を築くのに往々にして失敗するひとである。

しかし重要なのは、そこではない。

最近は「ぼっち」が増えすぎている。

それが問題だ。


さて、ここで引用を見てみよう。

サルの社会に近づくということは、人間が自分の利益のために集団を作るということです。そうなれば、個人の生活は今よりも効率的で自由になります。しかし、他人と気持ちを通じ合わせることは出来なくなってしまいます。山極寿一、2014、「個人の利益と効率を優先するサル的社会序列社会」、『「サル化」する人間社会』、株式会社集英社インターナショナル、164
今、日本では敢えて家族を作らず個人の生活を送る人も増えてきました。家族の束縛から離れて、自由気ままに暮らそうというわけです。しかしここには見落とされているひとつの危険な事実があります。それは「人間がひとりで生きることは、平等に生きることには結びつかない」という事実です。家族を失い、個人になってしまったとたん、人間は上下関係をルールとする社会システムに組み込まれやすくなってしまうのです。山極寿一、2014、「個人の利益と効率を優先するサル的社会序列社会」、『「サル化」する人間社会』、株式会社集英社インターナショナル、164-165

増加するぼっち

「ぼっち」そのものを否定するわけではないが、(私もぼっちですから)

「ぼっち」が増えすぎているのは、人間全体にとって良い事なのだろうか?

最近は

おひとり様でも十分に娯楽を享受することができるようになった。

さらに、独身でも、それを咎めるのも違う気がする。

まさに個人個人を尊重する態度が、「ぼっち」を助長させているのではないだろうか。


「ぼっち」は人類悪か

この「人類悪」とはFateにある言葉である。

人間の獣性によって生み出された7つの大災害であり、人類と人類の文明を滅ぼす破滅の化身。
文明より生まれ、文明を食らう災厄の獣。人類の原罪が生む自業自得の死の要因。
英霊召喚の元になった人類の自滅機構(アポトーシス)でもあり、これも7つの霊基として存在する。https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%28Fate%29

現代の「ぼっち」を助長させているものは、先ほども書いた通り、個人個人を尊重する風潮や、利便性の向上である。

人類の進化の反面的な面が、この「ぼっち」なのではないだろうか?

個人の生活の効率や利便性を追求しようとすると、引用にもあるとおり、私たち人間が向かうのはサルのそれと似たようなもの。

人類が進化しすぎた結果が、人類そのものを陥れるかもしれない。

いきすぎた「ぼっち」

いや、個人主義的な人々は、まさに人類が効果・効率的な生活や進化を求めたがゆえに生まれた人類の負の側面なのだろうか。

(ここまで言ってしまうとなんだか自分まで悲しくなってしまうが…)

でもだからといって、私は「ぼっち」を批判するつもりは毛頭ない。

もっと悪いのは

自分さえよければそれでいい、と思うことだ。

そう思うことは、

私たちさえよければいいと考えていた、行き過ぎた合理主義者と同じだ。

自分さえよければ良いと思うと、それが自分を滅ぼすことになる。

「人類悪」には、さらにこのような説明がある。

人類を滅ぼす悪ではなく『人類が滅ぼす悪』。
その正体は人類をより良くしたい、人理を守りたいという願い、即ち人類愛である。
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%28Fate%29

この「人類悪」とは、つまり私たちそのもの。

この悪を滅ぼすには、私たちが覚悟を決めなければならない。

故に

「ぼっち」も、仮に人類悪であるならば、その「ぼっち」をいい意味で滅ぼし、克服しなければならない。

(しかし、「ぼっち」が人類をより良くしたいという気持ちから起因するかと言われれば、それはまた別の機会に考える必要がある)

ぼっちであるがゆえに

ぼっちであるがゆえに、私は他人などどうでもいい、と思ってはいけない。

因果応報。他人を見捨てたのならば、私もいつか見捨てられる。

人類悪ならぬ、「自己悪」を生み出さないために、

ぼっちだが・・・!

他人のために何かできるのであれば、進んで行おうと思う。

今日も大学生は、案ずる。


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