そもそも今就活を考えるべきか。そもそも何をすべきか。

今、猛烈に悩んでいる。このまま頭の中にとどめておくことがどうにも気持ちが悪いので、今ここに言語化をしておく。


大学二年生、ぎりぎり10代である青二才の不肖この私は、今猛烈に不安に駆られている。

就活をするべきなのか。何をすべきなのか。何をすれば人の役にたてるのか。というか私に存在意義があるのか。そもそも私とは誰か。どうして生きなければいけないのか。どうして生まれたのか。そもそも自分は存在してもいいのか。意味がないのならどうして死にたくないのか。私はどこにいるのか。

最近、「アウトロー就活」というものに参加した。とりあえず、何かしなけえれば・・・と思い、参加したというわけだ。宣伝じゃないけど、軽く説明しておく。「アウトロー就活」は、フォーマルな形式の面接もない。一緒に面接を行うひとと、全く知らない中にあるわけではなく、彼らを知り、打ち解ける中で、共に面接を行う。形式ばったES?エントリーシート?そんな没個性の、つまらない代物を書く必要は無い。

あなたなりの、あなたを表現するモノを書いてくれ・・・!

と言われ、今ココに居る。そこで、私は、今「アウトロー就活」にすら参加するのはふさわしくは無いと思っている。(病気かな)

形式ばったものにせよ、そうでないにせよ、私は、他人に示す「私」がもう分からなくなっているのだ。知ろうとすればするほど、見せようとすればするほど、本当の自分というものが、かすんでいく。(どうしよう)

そこで私は、ようやく(?)気づいた。

私が、私を示そうとするほど、個性を持つものとして見せようとするほど、自分というものが無いということが分かる。いわゆる普通の新卒至上主義の就活は、その最たるもので、個性を出せという名の下に、多くの大学生が没個性化する。髪は黒に染めなければいけないくせに、個性を出すという矛盾が生まれている。(個性か無個性どっちがいいんだか。)エドワード・レルフのいう、「強制された個性」というやつだ。

私は、作者のいる、どこかの物語の登場人物ではない。現実世界の人間は、登場人物のような特徴を、あたかもそれが生来の性質であるかのように誇示し、振る舞っているが、すげぇと思う。(ボキャ貧)

私は涙腺がブチ切れているわけでもないし、無個性という個性を持っているわけでもない。つまり、どこまでも無個性なのだ。

就活を筆頭に、「私」を演出しようとするときに、自分が「誰」なのかを見つけることは出来ない。ハンナ・アレント風に言えば、私の「何」があるだけで、「誰」がないように思えてしまう。

特にこの、「私」が分からないという意味において、私はそもそも就活をするべきではないのかもしれない。確かに、労働力として見るならば、私は私である必要は無い。(いっそのこと、ホメオスタシスだけ機能して、この意識が無くなってしまえばいいと思う時もある。)

しかし、私は、「誰」か分からない私から逃れることが出来ない。でも、この「誰」を疑おうとする私は確かにいる気がするのだ。私とは誰か。私とは「何者」か。私とは何か。

親(とされている)人は、私に名という「何」を与えた。歳という「何」を与えた。他にも、属性という「何」を私は持ち合わせているようだ。だがしかし、その「何」を取り除いてみると、はてさてどうなることだろう。

氏名を排除し、歳を排除し、社会的地位を排除し、役割を排除し、能力を排除し、性別を排除し、そうしていくうちに、私は、私を作り上げているのだと知る。

元々ない私を、それがあるかのように振る舞い、偉ぶり、誇示し、それが私であるかのように振る舞うことにどうしても違和感を覚える。自己紹介というものがとても苦手だと感じるのも、この所為だろう。(だから、私は私が誰か分からなくなる。)

プロフィール記事も、ある意味では「私」ではないなにかを表しているのかもしれないと考えると、興味深い(?)。

おいおいそんな悠長なこと言ってたら、お前なんて誰も必要としなくなるぜ?

と、私ではない、私がどこかで言ってきます。

そこで私は、「そうですね、なんとかしないと焦」と言いつつも、その「お前」って一体だれなんですかね・・・という超~ひねくれた事を思ってしまうのでしょう。まぁ、そういう、なんというか「無いものが在る」と思っていることが不思議で不思議でならないのです。

問おう。

あなたは一体何者かと。名前?

 違う違う。

歳とか、役割とか、家族構成とか、年収とか、能力とか、経験とかではなく、「本質」として君は一体だれって訊いているの・・・。水素の関係や定義を訊いているわけじゃないの。(トルストイさん風)

そうして、こんな形で自分自身に問をぶつけていると、私は結局「誰」なのかということになる。

お前は誰だ?

別に君の名はの真似をしているわけでないが、事態は君の名はよりも深刻だ。

アウトロー就活に参加しているものの、そこでもやはり自分を表現するものを作ることが求められる。個性の強い人たちばかりで、それに自分よりも年上の人がほとんど、アウェー感が半端ない・・・。

もう少し、私は勉強せねばならないと思った。人生百年も生きるつもりはないが、少なくともあと二十年くらい生きるのなら、少しは自分という本質を見いだしておきたい。そう思うと、私はやはり知識不足だなと感じる。本を読んでいる数が少なすぎることも影響していると思うんだけど。



まだ夏休みは終わらない。(しかしこの大学生活は全くもって夏休みではない!)

大学生でいることの出来るこの期間に感謝して、もう少し、無いかもしれない自分を探してみよう



今日も大学生は惟っている。


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