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Pre-unconsciousness-集中

集中するというのは、主語が「I」であるような使い方なのかという疑問がわいてきた。何かを初めて、例えば読書とか、絵を描く時とか、文章を打っている時とか、走っている時とか。そういう時は、ワタシは意識的に集中しているというよりかは、むしろ無意識に近い状態にいるのではと感じた。呪術廻戦を見ていて、主人公の虎杖(いたどり)が極度に集中している状態は、口から涎を垂らしながら、純粋に意識的な状態から抜け出しているようにも見えた。

集中するのではなく、「集中してしまう」「いつの間にか集中している」という方がより適切なのではないか。考えるという有意志的な行動をいつもするわけではなく、どこかで無意識のうちに考えのようなものがぼやぁと浮かんでくるように。集中していると、時間を感じ難くなる。或いは時間が進みが異様に速いと言うべきか。自分というものがあるというよりかは、対象の中に引きこまれてしまうような感覚。自分がそれ自身になりきる寸前の。

いや、「集中」に限らず、人間は多くの場合においてそんなに意志的ではないのかもしれない(特に日本人。)寝ている時だってワタシは生きている。ぼーっとしている時も生きている。何かに熱中して時間を忘れる、まさに”無我夢中”になっているときも、ワタシは生きているのだろう。いや、それはどこかで死んでいることと同じかもしれない。もしかしすれば、本来の集中は、疑似的な「死」なのではないか。生きているという意識をはっきり持つ人間がたどり着くことは出来ない、或いは成し得ないことをするのは、「死」に近くなった人間なんじゃないか。ゾーンとか、極度の集中は、自分を消すことであり、自分という存在を意識しなくなるということであり、自分を環境の境界線が曖昧になることではないかと。

何かが急に出来るようになるというか、こう一線を画すものが現れるという経験をしたことがある人が多いのか、少ないのか与り知るところではないけれど、ワタシ自身にそう経験があったかどうか思い出してみる。うーむ。ワタシにはそのような経験はないらしい。全く思い浮かばない。まぁいずれにしても、「集中」とは、純ー意識的なものではなく、準ー無意識的なものなのではないかと考える。「集中」は、どちらも同じような意味を持つ語が組み合わさって出来ているように見える。一点集中。一意専心。ただその部分のみ。なら、集中していますよという風に客観視する神のような視点は、そんなに必要ないのではないか。集中しろ、と言われて集中するのではなく、「気づいたら何かしていた」という没我が、やはり真の集中に近い気がする。





今日も大学生は惟っている




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