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世界史はホントに世界史なのか?

高校生の時に、受験科目として飽きるほど勉強した科目。

この「世界史」は、名前こそ「世界史」だが、構造主義という観点から見たとき、なんとも怪しいものに見えてくる。

レヴィ=ストロースの唱える「構造主義」は、サルトルの実存主義に対する批判。

進歩史観的な、つまりマルクス主義に由来するようなサルトルの実存主義の考えは、私が学習した世界史の流れに影響を与えているのではないかと感じた。

教科書にはヨーロッパだけではなく、中国や東南アジアなども、古代文明についての記述があるが、やはり軸となっているのは、ヨーロッパの歴史。

新大陸やアフリカについて説明が出てくるのは、ヨーロッパの国々が当該地域に侵入してからである。

さらに、年代区分も、「古代、中世、近世、近代、現代」という形になっている。歴史というものは、構造主義の考えも含まれば、常に進歩し、変改していくというわけでは無い。

故に、「古代、中世、近世、近代、現代」という風に、時代区分が設けられているのは、もうすでに、それが西洋的進歩史観の影響をドバドバ真に受けているからではないだろうか?(区分を設けていた方が、学生にとって勉強しやすいかどうかは置いておいて)

なんだか世界史というよりも、「欧米中心史」に近い気がするのは気のせいだろうか・・・

まぁそれもそうかもしれない。

歴史は、英語では「history」そう、「hi story」つまり、「物語」なのだから。

ついでに言っておくと、フランス語で「物語」は「Histoire」と言います。あれ・・・なんだか似てますねぇ・・・。

今日も大学生は惟っている。

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