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「職人と作家の違い」内なる声に耳を傾ければ自ずと分かる説


デザインとアートの違い、
アーティストとクリエイターの違い、
工芸と民芸の違い
・・・

インターネット上には、この手の「〇〇と××の違い」を伝えようとしてくれるテキストが溢れていて素敵です。

デザインを学んできた人間なので、「デザインとアートの違い」は、昔からよく目にしてきました。デザインの門戸を叩く者は皆、一度は通る道(Y字路?)かもしれません。この違いが分からないと、間違った人生を歩むかもしれない分岐点で、当事者、関係者にとっては大事なのです、この違いは。

「〇〇と××の違い」全般に話を広げたとしても、事情は同じようなものかもしれません。

「間違った方向へ導かないよう」あるいは「自分の針路を見失わないよう」実感のこもったアツイ文章がインターネット上に並んでいる印象があります。それでか、好んで読んでしまいます。

もちろん2つの違いを理解したいという欲求がまずはあって読むのですが、大抵、語り手の主観と偏見が多いため、余計モヤモヤする羽目になります(笑)。

が、一方で、語り手の背景(主観)が色濃く反映されての言葉なので、メッセージ性は強く刺激的です。
(最終的に、関心は語り手の方に移ったりもします。)

「〇〇と××の違い」は、自分探しの産物か?

「〇〇と××の違い」は当事者にとって、こだわらずにいられないデリケートかつ重要な意味を孕でいて、それを深く理解することで、自身の未来を指す羅針盤を獲得しようと試みている、そういう姿勢が文章から伝わって来ることもあります。大げさにいうと、実存に関わる迫力が文章から感じられるのです。

到底「一緒くた」にはできない」、明らかに「違っている」のに、放ってはおけない、そのような「据わりの悪さ」「憤り」を隠せない対象を語ることで、その人の個性、生き様が露呈しちゃうのかもしれません。

ものづくり系の人にとって「〇〇と××の違い」は、自分探しの産物で、実存哲学そのものなのです、多分。

(是非、みなさんも「〇〇と××の違い」文章を見つけたら、そんな目線でも読み返してみてください。より深みが感じられると思いますよ。)

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私的「作家と職人の違い」論

さて、そんな訳で
(書きたいことはもう書いちゃったのですが、せっかくなので)
私の主観をたっぷり含んだ「作家と職人の違い」論を披露したいと思います。

ものづくり(工芸分野)で生計を立てる身としては、この「違い」論は、興味深いし、どうやら工芸の世界ではメジャーな設問のようです。実際、作家か職人か選ばないといけない工芸分野があるためでしょうか。(陶芸とか。←はい、これが偏見です笑。)

そして、この「違い」論で一番目にするのが、役割論です。

作家には、個性が求められるが、職人には腕が求められる、みたいな。

あるいは、作家は作品を作るが、職人は必ずしも作らない、とかもある。(=クリーニングの職人はいても、クリーニングの作家はいない。)

どちらも、それなりに「なるほど」と思うが、
金彩職人の息子としては、ちょっと馴染まない部分もあります。

世間には関係がない事ですが、金彩職人も同業、競合に対しては個性が求められているし(「あそこは華やかに仕上げるよ」とか「仕事が早いよ」とか。)

金彩は、クリーニングと同じように、モノは作らない仕事(加工のみ)といえるが、金彩作家を名乗っている方もいらっしゃる。

結局、客観的な役割論での仕分けは、難しそうに思われます。
そこで、思い切って主観的に内面で各々が判断したらどうか、と思います。

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「職」人の耳を見ろ。

↓の話は、信頼を置ける人からお酒の席で伺った話です。
それをそのまま横流しするだけなのですが、とてもイイ話で、主観的内面論の根拠になるものです。

ある大先輩は言いました。(ものすごく端折っています。)
「職人という字を見てみなさい。」
「耳という字が入っているでしょう。」
「だから、職人にとって大事なことは、耳を傾ける、聞くということなんだ。」
「何に、耳を傾けるか分かるかい?自分の胸に、だよ。」
「いい仕事をしているか、常に自分に問いただすのが職人なんだよ。」
と。

・・・なるほど、そうか!と

この時点で、本当にそう思った方がいたら、さては職人さんだな・・と思いますが、もう少し続けると

職人というのは、分業体制でものづくりを行なっている場合も多いので、
実は、出来上がった作品に対して評価を受けない職種が沢山あります。

例えば、映画というのは、脚本家やカメラマン、俳優など様々なプロが集まって作ってると思いますが、誰も照明さん等を捕まえて「あの作品、つまんなかった」とかわざわざ批判したりしないでしょう。
普通、作品批判の矢面に立つのは、監督だったり、製作会社だったりだと思います。

外の声が必ずしも届かない。そこが(作家とは違う)職人仕事の特徴の一つで、これが、職人気質を育むベースになっているのではないか、と思うのです。外の声が不足する分、内なる声で補わなければならない。結果、内なる声の重要性が増す。

職人さんの、頑固さは、こういう事情ゆえだと思います・・・。

(話は少しそれますが、寿司職人に3ヶ月でなれるのか、修行は十分なのか?という問いに対しては、技術だけでなく、内なる声が聞こえているかどうか、でも判断すれば良いと思います。お客さんの顔色ばかり伺っている様では、職人としては半人前なのです。・・・多分、知らんけど。

「あいつは好き勝手××言ってるけれど、俺の内なる声によれば⚪︎⚪︎なのだ」というような外部の批判を鵜呑みにしないメンタルを築いてこそ、職人だと個人的には思っています。

その頑固さ、自信は、深い知識、高い技量に下支えされてのものなのではないでしょうか。・・・ストイックでかっこいいですね。)

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結論。あなたも、内なる声に耳を傾けてみて!

結論です。
一日を振り返ったとき

「ああ〜、今日もいい仕事したなぁ!(お酒が美味い!)
と思えるのが職人

「ああ〜、いいもの作ったなぁ、お客さん喜んでくれたなぁ!(お酒が美味い!)と思えるのが作家

というのでは、どうでしょうか?

ものづくり系じゃないお仕事に就いている方でも
「なんだ、自分は職人だったのか・・」と思えた方も多いのではないでしょうか?(反対に「あれ?俺、作家じゃん!」と気づいた方もあるでしょうか・・)

・・・ともかく、美味しいお酒が飲みたいものですね。

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瑞々しくきらびやか。「これからの金彩」を模索しています。 ▼instagram https://www.instagram.com/takenaka_kinsai/