怒り
ピリついた毎日だった。
保護観察中の分際で、遅くまで帰らないこと、仕事に寝坊すること、次男の態度の悪さに夫はイライラしていた。
「やりたいことをやるなら筋を通せ」という夫のまっすぐ過ぎる正論は正しかった。
そして正論では伝わらないことが山ほどあり、言葉でねじ伏せても効果はないように感じた。
次男はあまりしゃべらなかった。
というより、話してもどうせ聞いてもらえないことを感じていたのかもしれない。
だんだんと最小限のことしか言わなくなり、私たちを諦めているようだった。
心の通わない一方的な会話、理解し合えないお互いの言い分、お互い心の中は不機嫌だった。
次男の部屋に行くと少年野球時代の写真をカッターで切っていたり、血のついたティッシュが捨てられていることがあった。
私は次男が分からない世界へ進んでしまうような不安があった。
次男が自分自身を傷つけた跡に気づいた時は、どうしてあげたらいいのか、何をしたら正解なのか、何を言えばいいのか分からなくてただオロオロした。
次男が苦しいかもしれないことが悲しかった。
ある時次男はまた喧嘩をした。
次男の学校の悪口を言ったという子に暴力を振るったらしかった。
有り余るエネルギーを向ける場所がそういうところにしかなかったのか。
被害者の方には電話に出てもらえない日が続いた。
加害者になど会いたくないのだろう。
許せない相手の謝罪など受けたくなかったと思うが、後日謝罪の場をなんとか設けてもらった。
被害届は出された。
うちは何度被害届を出される立場になるのだろう。
終わりの見えない虚しい日が続くと根明な人でも、毒を吐くようになる。
何がきっかけだったか忘れたし、きっかけは家中にあった。
少しずつ溜まっていた夫の怒りがこの日大爆発した。
容赦なく次男を傷つける言葉を言った。
次男の事を叩いた。
そして次男をかばう人を拒否した。
もういい、どう思われてもいい、もうどうなってもいいんだとなった。
夫は次男を追い出した。
…思い出すだけでこの辺りもつらい。
刺激する次男、刺激される夫、止める私、みんな汗びっしょりだった。
それでもまだ近所に聞かれていないか気にする私だった。
辛かった日々もこうして少しずつ語れる日がくる。 自分に底力があることを信じていてほしい。
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