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うつぼの生涯

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うつぼがこうやって生きてきたよっていうのを暴露しています。暗かったり明るかったり。人生はたのしいことばかりじゃないから面白いし、みんな何かしら抱えて生きてるよねって話。
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2021年4月の記事一覧

恋慕と母

新郎の言葉を聞いた時には、

自分の中の役に立ちたい欲が蠢いて、新郎に歌いにくいと思う所や、現状どう歌っているかを聞いてみた。あまり専門的な事は言えないが、基本であれば多少は分かる。

それを聞いていた運動部的ノリノリ先輩が「もう教えて貰ったらいいじゃん」と全くこんな口調ではないが言うと、

「そうやな、今度カラオケ一緒に行く?」

と、冗談めいて誘われてしまったのだった。

あまり冗談の通じない

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平行した生涯と未来

平行した生涯と未来

退職を決めてからは、いつするかを考えていた分無理やり気持ちを切り替えて今まで通り働く事にしたが、ひとまずこの一気に来たストレスに打ち勝つほどのメンタルはもはやなかった。一周回って、「どうせ辞めるなら必要とされる存在になってから辞めてやろう」と謎に固く決心する事にした。

そろそろ3年目。昇格の候補に上がった。

その日から、人付き合いが相変わらず空回りはしていたが安定する様になってきた。働く間は完

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決定打

決定打

2年目は良い事もある分、そうでない事もあった。

あと一つ良かったと言えば、職員向けの面談で何か隠し事をしていると感づかれ、珍しくもいつもパチや音ゲーの話をしにふらりと遊びに来ては昼ごはんを食べにくる様な、別部署の先輩から突っ込んで聞かれたのが救いになった。その人はゲーセンに通い詰めているタイプの人間で、「音ゲー何やってる?」と会って2・3度目で聞かれたのが印象的だった。

地味に、1年目に「調子

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良き小話。

前の話が少し愚痴っぽくなっていたのでまた訂正する事にする。気分を害されたら無理に読まなくても良いので、休んで欲しい。

良い事と言えば、もう少しある。しっかり者の相方と比べては自分の出来なさに落ち込んでいた私であったが、この頃亡くなられた方の家族から私が所属する所の施設長を通して感謝された。

運動部的ノリノリ先輩からは「ここで名指しで呼ばれたって事は、施設にとっても大きいし、君(名前)にとっても

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2年目。

2年目は一番しんどかったが、良くも悪くも一番色々あった。

いつ会っても初対面の様な事はざらだったが、「歌の姉ちゃん」と孫扱いされる様に認知してくれる人もいてくれた。若い時に失敗しとけと言うのは本当らしい。対外のじいばあの心は寛大で、若いってやはり素晴らしかった。

課長から、いきなり入居者を集めて「さぁ〜歌ですよ〜〜!」と無茶振りされる事が時々あった。えっ聞いてないけど?

音楽療法とは、個人と

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違和感

2年目になると、仕事に工夫が出来るようになってきた。余談だが、勤めた所はとにかく地域も含むイベントが多いため、土日関係なくイベントは出勤だった。土曜は休みを貰って昼から16:30まで伴奏があり、音楽活動はイベントのない日曜にしていた。純粋にキツかったが、分かっていて決めたのでやるしかなかった。

ピアノの練習は、帰って座る時間を作れれば逆に集中出来た。しかし時間が足らなさすぎて、あっぷあっぷしなが

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仕事

同じ部署内で、直属の上司は2人いた。運動部のノリと真面目なタイプが混じる2人は、漫才をしている様であったが、気軽に話が出来た。

運動部的ノリノリ先輩は、良く人を見ている人だった。職業柄そうだとは思ったが、それ以上に鋭い人なので一言話すのにも緊張してしまう。

実際さあ仕事!と始まった1日目には、先輩方の仕事を見学しながら入園者の名前を1から教えて貰う日になった。ありがたいのは、この時点で職業柄的

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就活

と言っても、私は、就活をちゃんとしたことがない。ロクにエントリーシートを書いた事もなければ、集団説明会に行ったこともない。

なので、それまでの経緯を4回生に戻って、言うことにする。

その頃、元々人の心理に興味を持っていた私は、まだ人の役に立ちたいという願望も捨てきれずにいた状態で「音楽療法」の授業に出会った。

先生は臨床心理と音楽療法を専門とされていて、ワークもあって楽しかったが、それ以上に

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やりたいこと

大学に入って5年目の、自分でやりたいと思ったピアノは楽しかった。それなりに忙しすぎてわたわたせずにはいられなかったが、実力不足は目に見えるものの一番今まででピアノを好きになれた。

思い出した。私が絶縁した彼女は、もう一つ話があった。
まだ仲の良い3回生か、歌と伴奏をする授業で、個人的にその子と2人、先生の受け持つ合唱団の伴奏を奈良まで毎週しに行く事になった。
多分、1・2度は来ただろうか。忘れた

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kanozyo

兄妹が、家に連れてきて、私達家族に合わせたい人がいると言った。

割と前から付き合っていたらしい。初めて家庭的そうなお姉さんを連れてきた。これまではギャルっぽいのと付き合ってる話しか聞いていなかった。

しかし、その少し前に借り物をしようとした兄の部屋から妹系のエロ本データや数々の漫画を見てしまった。人の趣向に口出しはしたくないが、本能的に兄弟が結ばれる内容で、絵はすごい好きだし作った人も否定した

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大学とピアノ

大学は、課題曲に追われている日々だった。でも、やりがいは感じられたし、やればやるほど、出来ていない自分に気づいて絶望した。

学校が終わったら真っ先に家に帰った。みんな同じ様なものだった。

小学4年生の時に、「これからは自分でピアノを続けたいか決めなさい」と母から言われたことがある。

バックミラーにうつる母の顔は真剣だったが、正直に「続けるしか選択肢がないのに?今更」と思ってしまった。

決意

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変化と恋ネタ

気になっていた男の子には、祖母が倒れた時も母が倒れた話もしていた。そうなんか、と聞いてくれるだけでもありがたかった。そんな人が欲しかったのかもしれない。

それが恋心なのか、ただの安らぎを求めた結果なのか、卒業式の後、母が一旦帰宅して待ってくれているにも関わらず、時間はかかったが告白した。

いや、告白というよりは、今まで我慢していた我慢や感情が爆発した。男の子は控えめに俺もです、と言ってくれると

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生活の急変

違和感を覚えて玄関を開けてみれば、車のドアを開けてそこに座り込んでいる母がいた。

パニクって「なにしてるん!!」と叫ぶと、兄が出て来てゆっくり母を玄関まで運ぶと電話しろと言われ、救急車を呼ぶ。
幸い兄は母がどの状態かわかった様である。冷静に「脳の血管がこっちがわ切れたかもしれんから、もしかしたら後遺症が残るかもしれん」と母に説明して介抱していた。帰ってきた父は慌てて母を大丈夫か?!と刺激しようと

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学生時代

このままダラダラ小学生について書いても詰まらないので、一気に進んでしまうと、

あのあと私は引っ越しする事になってチャリ通学中に事故に合ったが軽傷で済み、サボり癖がついて嘘を言う事に慣れ始めてしまった事。やる気は一向に出なかった事。
好きな人はそのまま好きだったこと。

またクラスにややこしいのがいたが、先生も助けてくれて、今度は自滅したこと。

友達はどのクラスにいってもいたので助かった事。創作

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