kanozyo

兄妹が、家に連れてきて、私達家族に合わせたい人がいると言った。


割と前から付き合っていたらしい。初めて家庭的そうなお姉さんを連れてきた。これまではギャルっぽいのと付き合ってる話しか聞いていなかった。


しかし、その少し前に借り物をしようとした兄の部屋から妹系のエロ本データや数々の漫画を見てしまった。人の趣向に口出しはしたくないが、本能的に兄弟が結ばれる内容で、絵はすごい好きだし作った人も否定したくないがドン引きしてしまった。

しかしいささか絵が綺麗だったので読み進めていたが、しっかり読み終えた後、私はある事に気づいてしまった。





そうか、自分は近親相姦か。



なんて。そうか。そうだったのか。


今更、理解した。




してしまった。


と、同時に変な汗が出て、不安をすぐに緩和する様に、同じ様な人がいないかスマホで調べた。何人も同じ様な人はいて、同じ様な体験をしていた様だった。

その中で一言。「この事は一生墓まで持って行く」と言ったコメントがあった。私もそうしたいと最近までは思ったが、何故こんな所に書いているのかと言うと、こういう人もいる事を今から書き連ねる事ともし同じ人がいたら少しでも「この人もか」と安心できる素材となれば良いなと思ったからだし、墓までもっていくには重すぎるし私にしかデメリットがないし、しんどかったからあきらめたのもあるし、本当は結婚する前に彼にこの気持ちを伝えようか悩んだ末に、彼の家族の為に彼を許す事にしたからだった。


最初は手紙にしてみた。書いていくと、どの行為にも良いと感じた事はなかった。私にはごっこ遊びで話を考えていた時の方が楽しかった。

小学生の時に、初めて痛い経験をした。無理に入れようとされたが痛かった。抜いて貰った。


中学生からは痛くなくなったが、無理やり良い様に演技して、イメージした。眠かった。無理やりの快感は深いでしかなかった。


そんな兄が、彼女を家によく連れてくる様になった。大体二人共部屋にこもっていたが、そういう雰囲気になった時は大体わかってしまう。心がむしゃくしゃした。


ある日、彼女が実家に泊まった。翌朝、早朝に珍しく目を覚ました私は隣の部屋で喘ぐ未来の義姉の声を聞いた。吐きそうになった。どうして良いか分からずにTwitterで助けを乞うと、友達が返信してくれて泣きながら安心した。

彼女が来なかった日の後日、再び兄弟の部屋から借り物をしに行くと、新しいコンドームと、セックスの基礎的な本があった。何ならペペもあった。それを見てしまった日には、かつてない程はらわたが煮えくり返る程怒りを感じて、胃がズンと重くなった。


「いいなあ、大事にされて」


と気が付くと呟いていた。



私の時は多分エロ本の知識だった。コンドームもなかった。場所なんか関係なかった。寝たら殴られた日もあった。気持ちよさそうにしろと言われた。


兄妹は本気らしい。おそらく、彼女と結婚するんだろう。私は、良い練習台で、私はただの欲の発散だったんだと思うと、惨めで、どうしようもなくて、女として悲しくて、腹ただしかった。女として、傷がついた気がした。


兄妹は嫌いじゃない。兄弟に恋愛感情なんて持った事もない。いつから始まったのかわからない。どこからおかしくなったんだろう。

それでも、どこかむず痒い自分の身体が憎かった。でも、一生兄弟に触れて欲しくなかった。


それなのに、彼女を連れだしてきてハイテンションな兄弟は本能的に拒絶した日に足を触ってきた。いつもの普通にじゃれる感じじゃない事はすぐに分かった。身体が得もしれない不快感に襲われた。この人、まだ私で練習するんだろうか。

「それ、アダムタッチ?」


とお腹辺りがマグマが沸々と熱を蓄えて私の身体を焦がす様な怒りを抑えながら言うと、兄弟はそれ以来触って来なくなった。


この事は手紙に書いても書いても収まらなかった。今でこそ涙も出なくなった。私は、彼氏はもう作れない気がした。いざという時、何といえばいいんだろう。嘘をつき続けられるだろうか。しんどすぎる。


これを今読んでくれている人には気持ち悪い文章を打って非常に申し訳ない。でも、本当の話である。


本当は、仲の良い2人に言おうか考えた事もある。でも、身内の事で変な「聞いてしまった」感を抱かせたくなかったし、黙っておかないといけないという変な指名も残したくなかった。だから、ここに書いて良かったと思う。きっと2人の前で泣いてしまうから。


彼女さんは賢い人で、私が長年でやっと覚えてきた母のルーティーンを私より早くこなしていった。心の狭い私は、居場所が取られたような気がした。

コンサートにカップルで来るようになった。デートなら来ないで欲しかった。その旨を上手く伝えられずに、彼女を傷つけてしまった。


微妙な距離感を保ちながらだったが、そこで一つ、出来事があった。


初めて、友達と絶縁した。というか絶縁された。


原因はあれかこれか聞いてみたが、未だに本人にとっての正解が分からない。一方的に切られた感じに私は捕らえているが、それでも彼女を嫌いにはなれなかった。

でも、必死で取ったメモがあっても急に当てられた質問がほぼ答えられないとからかって面白がって質問されたり笑われたのは、完全にバカにされた様で地味に今でも引きずっている。頭は真っ白である。


基本、自分は人を嫌いにならないし、なれない。自分が嫌いになる人は、よっぽど自分に非がない時だからで、それがないと言い切る自信はないからだ。楽しかった時があった事実があれば、嫌いにはなれない。

いつも私はタイミングの悪い女で、ホームで会った彼女に漫画のようにぷいとガン無視でそっぽを向かれた時は流石に胃がしんどくて堪えたが、しんどすぎたのか我慢しすぎたのか、逆に面白くなってしまった。笑っていた。

子どもかよ、と呟いていた。めっぽう、他者からのそういうのには弱かった。本音を出せばいつだってこうなる気がした。思った事を言ったってやっぱり良い事はない。諦めたと同時にその後の対応が変わりすぎて逆に吹っ切れてしまった。


しかし、ここで助けられる事になる。
彼女さんがよく泊まる様になり、荒んだまま過ごしたが、社会人と他人の両方の視点を唯一今家のなかで持っている、彼女さんに状況を説明してみた。
と言うのも、割りとズバズバ言う人で、嘘をついている様子もなかったからだ。

彼女さんは、自分が思った事、客観的と社会人からみての自分の意見を端的に、ごまかしたり良いようになどないようにハッキリ教えてくれた。


私には、それが何よりありがたかった。自分の欲しかった言葉だったからかもしれなかったが、救われた気がして持ち直せた。思えばここから彼女さんと普通に接するようになったし、変に距離をおかなくなったし、「ま、いいや」位に思えてきた。

お姉さんが出来た感覚がした。


彼女さんはちゃんと接すればとても心地の良い、賢い人だった。そして意思の強い人だった。彼女さんが普通に好きになれたし、時々見える可愛さが推せた。若干私に似ていると兄弟か誰かに言われた時は失礼すぎて萎えた。

一応、その子との事は、飲み込むことにしたが、ぷいと初めてされたのは面白くも一番胸に堪えた。なんか、その子に何か作って渡したものはどうしてるのだろうとたまに考える。


一つ、私にはおそらく決まった行動がある。

人と一定仲良くなると、その子の好きなものや、自分で作った何かを「あげたくなる」衝動にかられる。その子の好き嫌いが分かってくるからだ。別に、あげたいだけ。

そして、それをするのは「拒否されない」と完全に把握した状態になってから。自分の作ったものなら尚更。エゴを渡すのなんてよっぽど怖いことだからだ。

人は、良いとは言っても顔に出る。顔に出ると言うことは口調が単調だったり、声に抑揚がなかったり、まず目が笑っていないし、何かしら「あ、これは思ってないな」と何となく察してしまう。


小学生から培われてしまった人間不信がここになって再びねじ曲がる。

人は平気で嘘をつく。私もつく。
ここではこう言っても、陰口を言う。説明はしてなかったが、中学生は特にそういう場面が多かったから女の子特有の陰口合戦に巻き込まれた事がある。そして、私が姿勢が悪かった故に「ゴキブリみたい」と言われていたらしく、ショックすぎてその日から姿勢に気を付ける様になったのは言うまでもない。

と、言うのは、そんなに仲も深くなかったが、そこのグループのリーダーとは長い付き合いだったので当時の友達と喧嘩してしまったのが引き金だったと思われる。知らんがな。その子も同じ、グループに入りたい人だった。言ってる事を人によって変える人だった。

後から聞いたが、代わりに友達が泣かすまで仇討ちしてたらしい。よっしゃ


シン・エヴァのゲンドウが言っていた
「人はその時々で言うことが違う」
「人の群れに入らないのを良しとしない人がいて、ルールに強制させようとする」

って言ってたのは、アホほど共感できる。

いざこざあった友達と、うちの母だからだ。


因みに私は高校生でエヴァにダダハマリしたが、第一に曲、第二に心理的にズブズブいった。思えばあの頃の私の本質はまだ中学生だったんじゃないだろうか。メンタル激弱である。

シンジ君とゲンドウの他者と関わる(親も含め)自分。相手もそうだが、類似するものが多かった。もし私がエヴァに乗れたとしても、インパクトは起こせないだろうが、ネルフを壊そうとしたり結果動くシンジ君は何がどうあれ自分の意思で動くのはすごいと思うし、動けなくなった、なにもしたくなくなったのも痛いほど理解できた気がした。


自分がやる事なんて1ミリも信じられないし、他の人を傷付けるなら一人でいた方が良いと思っていたし、私はクソだし、価値もないと思う。

それを詩にして出していた時期は、まだ良かったんだろう。

それでも周りの友達は自分の価値に見合わないほど優しかった。訳がわからなかった。そして、関わってくれる友人は皆謙遜はしても嘘はつかなかった。何より、それが怖かった。
清々しいほど、素直な友達が周りにいてくれた。ありがたかった。












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