良き小話。

前の話が少し愚痴っぽくなっていたのでまた訂正する事にする。気分を害されたら無理に読まなくても良いので、休んで欲しい。


良い事と言えば、もう少しある。しっかり者の相方と比べては自分の出来なさに落ち込んでいた私であったが、この頃亡くなられた方の家族から私が所属する所の施設長を通して感謝された。

運動部的ノリノリ先輩からは「ここで名指しで呼ばれたって事は、施設にとっても大きいし、君(名前)にとっても大きい事だ。やった事が認められたんだ。」と言われた。全くこんな喋り方ではないのだが純粋に嬉しかった。

個人で関わっていた方だったが、ある意味VIPの人だったとあとから知った。そこの家族さんには色々教えて頂いたり、お手玉を下さったり、お世話になっていた。一人で部屋で寝ているだけの時間じゃなくて、あの人の好きだった音楽で1対1で関わってくれて、私の話も聞いてくれて助かったと涙目で言われた。

人生は一期一会という言葉を、改めて思った。初めは拒否されたり普段気難話はしないものの、家族さんからはずっとその人の話を聞いていたし、実際とてもしっかりした人だった。元の性格はとても明るかったらしい。丁寧に接していると、報われた気がした。大きな経験となった。



そうだ経験と言えば、実はその方の存命中に人生でもう一つ、初体験をしたのだった。


ある日、別部署のお局さん的存在から「ねえ、あんた彼氏いないの?」と聞かれたのである。

珍しいなと思いながら、「いや~なかなか難しいですね」と言うと、

「ちょっとさ、頼まれたんやど、一回ご飯ついでに話だけでもしてみない?」


「え」


はあん???!!!!!!!



これだけ自分から出た声と心の声のギャップがあった日があるだろうか。いや、後にも先にも・・・・この時はなかった。

見合いしないか、と声をかけられたのだ。


しかも驚くことに、相手は、冒頭で出てきた家族さんの孫である。いや既に年上だったんだが、私は年上好きだノープロブレム!!!・・ではなくだな。前任者もあったと聞いたがまさか私とは。

私に悪い所があるとすれば、高校生の時の恋愛を「社会経験」としてどこか思っていた所だろうか。今回もお見合いは一度してみたかった興味に魅かれ、結婚願望もあったので「はい」と答えた。

相手はこっちの方便で言うのであればええとこの坊ちゃんであった。アイドルヲタだと悪気0の無慈悲なおしゃべりおばあちゃんから聞いていた。すまねえな。いや、最近やたらセッション中に孫は優しいっというのと彼女がいない話をされると思ったよ。そういう事か。

そして衝撃だったのは、徳永の様な施設長とその入居者は古くからの親友で、家族さんも普通に部屋に行くほど仲良しだという事。あろうことか「あの子が欲しいんだけど」と施設長に言いに行ったそうな。いやいやはないちもんめか。「本人に聞いてくれ」といったらしい施設長には「それな」しか言いようがなかったし、その時に「じゃ仲介するわ」と言ったお局さまも施設長の古くからの親友である。なんてビッグ3がこのお見合いにかかってるんだってばよ。ありえねえ。

そんな案件をあっさり引き受けてしまった事に気づいた翌日には、車で迎えに来てくれた。何というか、清潔感があればあまり顔面を気にしないタイプではあるが、普通にどう見ても何かのヲタだという印象は今でも残っている。なんだなんだ話が合いそうじゃないか。

といいつつ、初対面で車で二人は流石に緊張する。二人とも話を積極的にするタイプではなかった為、ほぼ無言で経過するとまさかの連れてこられたのは高層ビルさながらええとこのレストランだった。

「時々ここの近くでテニスをしてるんです」

と、小さくなって最近展示しているエヴァのミニチュア模型の様な室内テニスクラブの建物を指さされたが、なるほどそうは見えない。が、動いているという事だろう。玉が正確な位置にロクに飛ばせない私にとっては「そうなんですね、テニス、すごい」と単語パズルをつなげた様な感想しか出てこない。

生きてきてこんなにバイキングの皿の盛り付けに気を遣った食事はなかったが、本当のお見合いの様に趣味や仕事の事などを聴かれ聞いたりで、一緒に買い物に行って漫画みてヒロアカの話をしてお開きした。多分ヒロアカの話が合致した瞬間だけ盛り上がった。ヒロアカありがとう。ありがとうぼくらのヒーローアカデミア。

LINEを交換して、若干前の彼氏の様に買い物はドラクエタイプだったので早めに切り上げて送って貰って解散したが、緊張しすぎて彼が薬を飲んだ時の違和感を察する事が出来なかった。

結果を言えば、彼の体調不良が本格化し、その話はなかった事になった。

もしここで彼が体調不良でなければ、私は、今の新郎と付き合ってすらなかったのだ。


後に退職する前、再度「お相手とか、もう見つかった?」と聞かれた時はびっくりしたのを覚えているが、本当に、退職するまでよく慕ってお話して頂いた。最強の顧客を獲得した瞬間の様であった。


それと同時に、連絡先を交換してからお局様とも仲良くなった。やったね。


それから、相方とは比べずに、私が出来る事をしようと決めた。


大事な友人を読んで、コンサートを開く事にしたのだった。コンサートはボランティアでと当たり前の様に言った私が所属する方の施設長は、正直友人に対して失礼すぎて直談判しようと思ったが、経営の状態を小耳にはさんでしまってポケットマネーの薄謝で申し訳なかったが来て貰った。

ポスターや当日の入居者の誘導、可能な収容人数、時間帯、保護者参加の有無など、決める事はアホほどあったし各部署に相談したり断りを入れたり走り回った。終わってから実は母校の先輩だった別部署の人から「あの時間帯、電話が来なかったから良かったけど・・」と普通に話をされた時は、謝りはしたが今言うのかと正直思ってしまった。相談させて欲しかった。

しかし、その人の退職前には一緒にうどん食べに行く位、多分2番目位には好きになっていた。まさかの元同職の人だった。良いお姉さんだった。


結果を言うと、3年連続で毎年違う友人を呼んでコンサートさせて頂いたが、大盛況だった。症状の進行で普段話さなくなっていたが、「あれは絶対お金を取らんとあかん。」とうちの施設長よりド正論を言ってくれる入居者がいた。「本当に、本当に良かった。最高の思い出です」と普段はしっかり者の人が感情を爆発させる様に泣いて言ってくれた人もいたし、「また呼んで欲しい」と保護者からも言われた。

一つ言うなら、練習に割り込んでカホンを散々鳴らして遊んでいった施設長を少し恨んでいる。謝礼の事だって、音楽だって必死で勉強して仕事してるのに、一般の勉強と何が違うのだろうと思ったのだった。


声が出る様になってきて、グループが30人いても2人手伝いがいれば何とかなった。ピアノを弾いてくれる相方が眩しかった。人の前に立って話す事に慣れてきた。お世辞にも慣れていたのだった。


これだけなら良かった。






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