大学とピアノ

大学は、課題曲に追われている日々だった。でも、やりがいは感じられたし、やればやるほど、出来ていない自分に気づいて絶望した。

学校が終わったら真っ先に家に帰った。みんな同じ様なものだった。


小学4年生の時に、「これからは自分でピアノを続けたいか決めなさい」と母から言われたことがある。

バックミラーにうつる母の顔は真剣だったが、正直に「続けるしか選択肢がないのに?今更」と思ってしまった。

決意を固めた様な顔を作って、「続けたい」と口では言ったが、周りにとって私はピアノでしか価値がないと思っていた。それ以外の特技が分からなかった。嫌だと思っても、自分が決めた事だから自分の責任だと言われた。意味が分からなかったが、今ピアノをすると決めた時点で文句を言ってはいけないのだと思ったし、そういわれた。


そんな私が、本当にピアノが好きで、ピアノを自分の意思で頑張っている子に勝てると思うのだろうか。そんな訳はないのである。


近い日に、先生から聞かれた。

「誰のためにピアノをしているの?」と。


大事なものを聞かれた。家族だと答えたら、気の抜けた様な笑い声が聞こえた。どうやら、私の中にピアノはない様だと先生は感づいたらしい。

誰の為に、と言われて、自分の為とは言えなかった。

でも、それを選択したのは、自分の責任だったから、言い訳はせずにその日も押し問答だった。


あまりにも受け答えできないものだから、何か知能に問題があるのか疑われた。自分の事が泣けてきてまだ言えなかった。普通になってと言われたので、自分が普通になるにはどうしたら良いのか考えたけど、昔から普通でないというショックが勝った。
親が職場で私の自慢をしていた事をよく思っていない人がいるという話を聞いた。

兄が大学でなくて専門学生だと言うことを足りないと言われ、その話をした瞬間だけ先生に初めて怒りを覚えた。でも、今考えても私は、中々に酷すぎる生徒だった。仕方ないのかもしれない。

家庭環境に何かあるのではと、私の練習不足は別にして先生と私の間でたびたび二人で話があった。家に帰るのが億劫になる時があった。


元々うちは家族みんなで何かをする家だった。亭主関白の祖父が揃い、親戚がくれば女が動く、古い考えの家だった。

叔母の家族は同じようにゆっくりしていた。大体時間通りに集まって動くのは母と私だった。父はねっころがって、兄は時間通りに来ない親戚にイライラしていた。

が、今は私と叔母が動く事になった。従姉妹も頼めば色々動いてくれて助かった。母がこうしてああしてと言うのを事前に聞いたり、その時聞いたりしながら動いた。よう頑張ってるねと叔母が私に言っていた。私には当たり前の事だと思ったし、そう思わなければやっていられなかったし、動いていない人を見るとあまり良い感情は持てなかった。

人が来たっていつも母は迎えるばかりで動きっぱなしで忙しない。彼女にはやりたい事が私から見て多すぎるし、私がするには大変だった。


母のルーティーンは年月を重ねるごとに大体分かってきた。言われるより先にするけれど、焦らさずに自然体という自分なりの徹底ぶりは、最早自分中心の思考ではなかったし、人の事を先に考える癖が徹底的についた。

彼女のしたい事を汲み取ったり、気持ちを聞いてみたり察そうとしてみたりした。でも、途中で気づいてしまった。

これは、事前にしてやろうとは思ってないだろうか。こう動くのだって「こうすればいいんじゃないか」と考えた私のエゴにすぎない。


実際、先回りしても上手く予想通りにならない事があった。効率を考えても、彼女は自分のやりたい様に動くからだ。
どう考えても非効率な方法が沢山あった。でも、彼女が納得する方法で動けないと意味がないのだと理解した。

その日から、感情を消す様に、彼女のやりたい方法を必要な時にサポートする事にした。慣れてしまえば苦ではなかった。そこに感情を出したって、私のエゴでしかなかった。

しかし、慣れてくると要求が増えた気がした。


ある日、練習中に片付けを手伝う様に頼まれた。


私は、試験前で必死だった。元々練習はやる気スイッチが入ってやっと一気に集中タイプだ。スイッチが入った瞬間だった。今焦りの事じゃないはずだし、母の片付けは長い。

思わず「それ今すぐ行かなあかん?」と言ってしまった。駄目なら行こうとは思っていたが、この瞬間がまさかの人生で初めての親に反抗した瞬間だった。


二階から、怒るような、泣きそうな、分からない声で「もういいよ、自分でやるから」と早口で言われた。でも、その時私はなんとも思わなくなっていて、母のやりたい事が増えて、彼女の理想にはどれだけサポートしても完全に近づけない事を理解した。

何時なんどきだって、彼女優先にしていては、私の事が出来なかった。先回りしても、聞いてやっても、最近は文句を言われる回数が増えた。身体が不自由でもっとこうしたいのに、と死ぬほど聞いた。


役に立ちたい。でも、これ以上役に立てないと思った。良い成績を取って。コンクールにもっと出たら、海外に、もっとやらななと言われた言葉が反芻して、何故上を願うのに練習時間を邪魔されているのか分からなかったし、極限今頼まれた仕事はそこに寝ている父に頼めば良かった。

父が、嫌な顔をしたり気だるげにするからストレスが溜まるのはわかっていたけど。


納得いかない私はそのまま練習した。しばらくして、降りてきた母がやや済まなそうに何か言ってたのを覚えている。


一つ、私の家は家族行動から外れようとすると怒られた。というか、何でと何度も聞かれて、嫌な顔をされた。家族は嫌いじゃない、でも私は一人でいたい時もあった。

いとこは勉強で親族の集まりに来ない時もあった。羨ましかった。母は折角みんな集まるのにとぼやいていた。私は、コンクール前だって試験前だって行かないといけなかった。行きたくない日もあった。


そして、それは卒業試験でも来てしまった。


大学生活の集大成。卒業試験演奏会。

いわば一番大きな、大学人生をかけた実技試験だ。練習で自分を発奮させる為に「お前は何で出来ないんだ」と自分を噛んだり叩く様にすると、負けん気で練習出来たし、幾分か真剣になれた。痛みで安心した。

4回生にもなると、自分がしなければ、と思うしかなかったから、必死に練習した。曲が母好みじゃなかったらしく、変な曲、耳につくと言われた。私は重い感じの短調をよく弾いてたので、明るいの弾けば良いのにと度々言われた。最早自分で決めてピアノをしているので、学費は払って貰ってるが、ピアノについてやいやい言われるのには苛立った。

こうしたらとか言われた時期があった。私にとって先生は絶対だったから、聞かなかったりこうやってと説明しようとしたが、「素人は口出しせん方がいいんやろ」と言われた。先生も母に褒めないでほしいと言っていたらしい。言い方は好きじゃないが口出しはしないで確かに欲しかった。


そんな中、卒業試験前に従姉妹の結婚式が決まった。それには勿論出席するが、前日に食事会を親戚ですると言う。

練習があるから行かないと言うと、やはり嫌な顔をして怒られた。行きたくなかった。練習が出来ない。今しないと選ばれない。せっかくやってきたのに。せっかくここまで来て母の夢を叶えた集大成で身内を優先しないといけないのか、私の人生は何なのか。訳が分からなかったが、怒られたまましぶしぶ参加する事になった。先生に絶句された。

卒業試験には上位に入ったが、演奏会には出演出来なかった。後から先生に「その食事会に行かなければ通ってたかもね」と言われた。

強く、喧嘩してでも反対すれば良かった。



高校の時から友達が羨ましかった。夜まで遊んで、私の知らない時間で皆が仲良くなっていく。

私は、帰ったら手伝いして、文句を言われて、挙げ句の果てになにもない。でも、これを選んだのは自分だったから、文句は言えない。でも、卒業を目前に、ようやく母の呪縛の様な感覚から解き放たれた気がした。母は卒業させる事が出来たと言っていた。


私を変えたのは、「誰の為にピアノを弾いてるの?」と聞いた先生の後の言葉だった。

「だったら自分の為にピアノをしなさい」

誰の為じゃない。自分の為に。



当たり前の事なのに。

私は、先生がいなければ今よりもっと底辺にいた。何もない女だったと思う。本当に先生には頭が上がらない。私を唯一諦めないで向き合ってくれた人だった。

小学4年生からいい子に見せる事を決めた。でも、先生の前ではいとも簡単に崩れ落ちるのだ。

いい子とは、他人にとって良い子なのだ。本当の私は、どこにもいなかった。


それから自分の為にピアノをしてみようと思った。先生が行っていたコースに進学しよう、と決めた。

母の願いではなく、自分でピアノをしたいと初めて思ったのが、もう大学4年生を終える頃だった。


母は父が一度介助から離れた後にこけて、手首にヒビが入ったりしていたが、動く範囲が増えた。

私は、自分が自分の産み出した練習法でやる方が効率が良い事に気がついた。というのも、門下の先生が、働いても短い時間で出来る練習を考えた方が良いと教えてくれたからだった。あの教えは今でも役に立っている。

練習出来ると、余裕が出来る。余裕が出来ると、手伝いも出来る。駄目な時は後回しでも良いか聞いてからにする。母とピアノのバランスが取れたが、基本大学で最終まで練習してから帰る事にした。

寝る前は母の手足を毎日マッサージした。兄の「任せられない」という言葉がはっきりと怒りを呼ぶ対象になった。


もう一年の実技だらけの大学は忙しかったが本当に楽しかった。先生のレッスンが、初めて充実した様に感じた。


そんな時、兄が結婚を前提に付き合っている彼女を連れてくる事になった。




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