仕事

同じ部署内で、直属の上司は2人いた。運動部のノリと真面目なタイプが混じる2人は、漫才をしている様であったが、気軽に話が出来た。

運動部的ノリノリ先輩は、良く人を見ている人だった。職業柄そうだとは思ったが、それ以上に鋭い人なので一言話すのにも緊張してしまう。

実際さあ仕事!と始まった1日目には、先輩方の仕事を見学しながら入園者の名前を1から教えて貰う日になった。ありがたいのは、この時点で職業柄的に私に役立つ情報も教えてくれた事だった。

真面目がね先輩は役立つ知識をきっちり教えてくれたり、私の居場所を確立する為に上とかけあってくれた。

後半はとにかく1人1人歌はどうですか?とキャッチセールの如くキーボードを台車に乗せて聞いて回った。勿論怒られもした。珍しい職種という事もあって、そんな様子を見ながら職員さんが声をかけてくれた。若いって素晴らしかった。


前任者がやっていた、1人で30人ほどと活動するイベントを私もする事になった時は、死にそうな気分だった。もともとそんなタイプでは全くない。

運動部的ノリノリ先輩がヘルプで入ってきてくれて死ぬほど助かったと同時に、声が小さい、これはこうと色々言ってくださった。そして、「高齢者とか、病気に対する話し方を理解してない」と正論すぎる言葉を貰ってクソ刺さった。

当時はその先生が自分と同じ、声の抑揚や目線、表情を見て人の話を聞いている事を感じていて、見透かされている様で怖いと思っていたが、あれがあったから今があるのかもしれない。大人になってから指導してくれる存在は神なのかもしれないし、今でもお世話になっているし、何なら式にも来て下さる事になった。

しばらく立つと入園者の名前も覚え、前任者の教えも取り入れながら自分なりに仕事を見つけていった。最初の頃は、人間関係を職員と作るのに、元々あった人の役に立ちたいスキルを発揮して積極的に雑務を手伝うと、それが当たり前になった時はしんどかった。

その時も、運動部的ノリノリ先輩が「そこまでするは自分の仕事じゃないやろ」「ほどよく」と言ってくれた事で、2年目になって出来る時に雑務を手伝う流れを作れたのは本当にありがたかった。ここの施設の人は口角を思ったより上げて、少しハキハキと、思ったよりトーンを上げて同意しもって話せば人間関係を作りやすかった。疲れてそうな時は、ゆっくり話せば良い。

浅い関わりなんて、意識一つでどうとでもなる。私の場合は「働く自分」の人格の様なものを作ることで、それは可能だった。しかし、それに対する代償は蓄積される事も知っておかなければならない。

とはいえ、第一印象を良くするのを癖にして、忙しそうな時は積極的に声をかけて手伝うことにしたら、常時でなくても感謝されるまでになった。



ところで職場の上司はガチャだというが、それに関しては同意でしかない。


部署は天国、現場は時に地獄だったと1年目の違和感だけではまだ気づかない私は、中々無理をしていたと思うのである。

そして、その地獄は、現場だけではなくそれを作り出している大元がいると後に気づくことになる。


手探りで仕事をしていく日が何となく安定してきた数ヶ月目、ご家族の印鑑を貰う事もあったのでその書類を各部署の課長や部長に貰う為に走る日々が出来た。

印鑑を貰いだしてから、他職種の形式も取り入れて書類を改編していったが、ここで新たに問題が発生していく。

私は立ち位置的に兼務が故の部署を跨いだ所属だった為、実質書類によってはどちらの所属かハッキリ決まっていない。先輩が頑張ってくれているから実際そんな問題はなかったが、つまり立ち場的にあやふやだった。

勿論書類の形式は前任者のを初め使用したし、それは前任者のいる施設では施設長が良しとしていた。

ところがここで問題が起きたというのは、私のいる所の施設長はOKなのに、兼務して主に雑務をしていた部署の課長から色々指定がとんできた事だった。うちはこうしてるからこう、といった内容で、とりあえず訳のわからないままはい、と言って変えてみた。

一度、先輩方に相談すると、前任者のと見比べ、自分たちのも見ながら一緒に考えてくれて、課長からOKが出た。

この課長というのは、長年勤めていたマダムだった。人当たりがよさそうな、近所付き合いがよさそうな世話焼きに見える人だった。何となく、佇まいから良い所の生まれと先生の面影が見えた。

このマダムは、数ヶ月いや酷いときは数日後、全く反対意見を平気で言う人だった。書類に関してもそれがあり、「そんな事言ってない」とまで言われて流石に顔が死んでいたらしかったし腹が気持ち悪くなった。後ケンケンした声が苦手だった。ごめんケンケン。

それだけでなく、音楽で回っていると介護はこうだからああしろこうしてと言われる様になった。こっちの都合は関係なく毎日食事介助をしろとも言われなかったが、いきなり部署に来て「何で来てないの?!」と叫ぶように言われた時はストレスだった。毎回言うことが違うので、先輩に相談したり職員に聞いてみると、大概「わからない」か「そんなことはない」だったので、自分の思うやり方があるんだなと後から思うようになって既視感がどこかでわいた。教えてくれようとしてるのか知らないが、目の敵にされてんのかと思った。というか何だよ自分の仕事の流れがわからないって。

他部署の流れが分からず、私が音楽をしている時間と他部署の業務かぶる事がしょっちゅうあった。笑って後回しにしてくれる人もいたが、課長の時は必ず何か言われたし忙しそうに動く人は大抵何かぶつぶつ言うか、構わず仕事をこなすか、微妙な顔をしていた。介護現場はいつも忙しくピリピリしていたし、口調も私がいた所よりキツく感じたし、皆早口でついていけなかった。入園者もそれにつられて不穏になるから立ったりこけそうになったりして目が離せなかった。話を聞いていると何か小言をよく言われた気がした。

それでも、親切な人はいたし、私が課長に色々言われているのを見てたのか大体男性職員は優しかったし、荷運びはやろうとしても必ず代わってくれた。申し訳なかったが若い女性で得をした気がした。
初めてちゃんと教えて貰って食事介助をしたが、死なすんじゃないかと思って怖いのに他の職員は対外ガバガバ進めていた。1年目にしてみた現場は圧倒的に人数が足りていなかったし、課長は問題だと大体の人が諦めていたし文句もよく聞いた。

それでも、皆人と上手く関わっていた。そこには私の死ぬほど嫌いなおべっかや話上手が沢山あった。仕事で人と関わるには、必要なスキルだった。運動部的ノリノリ先輩は、人付き合いが達者だった。見本にすることにした。

いつだったか、人付き合いする人格の様なものが出来た時には、傷つく事も気にしなくなって人間関係が楽しくなった。

一つ、気づいた事があった。偉い立場でない職員の中には不満を持ったり、特にピリピリしてる人がいた。私がみた中では一定の条件があった。
大体そんな人は話を聞いてほしい人か、人付き合いが下手か、浅く関わるだけで良いという人だった。

私が良かったなと思うのは、そんなお姉様方に嫌われなかった事だろうか。気分によって全然接し方は違ったが、こっちが変えなければ問題もなく常に肯定し続ける解答を心掛けた。というか否定する意味が見当たらなかった。

お姉様方は気にかけてくれる様になるととても心強い。強く意見を言えるし、行動力もあるからだ。たまに出るヒステリー攻撃の耐性を上げれば本当にお姉さんみたいだった。とても助けて貰ったが、それまでに削るものも多かった。

もうすぐ2年目になる頃にはそんな状態も慣れてきて、何となくそういう上手くいく話も増えた。同じような状況なのか、前任を引き継いだ相方も疲弊している様に見えた。その子のいない所で、利用者から「ピアノがもうちょっと弾けてほしいんだけど、大丈夫かな」と相談された。前任は音大卒だ。仕方ない。すぐにそこは無理だ。真面目な子だしきっと慣れてくるだろうから大丈夫とどの立ち位置からか伝えたのを覚えている。
よく、終わらない仕事をしながら二人で暗くなった部署で話をしながら書き物をしていたのは、心の支えだった。










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