恋慕と母

新郎の言葉を聞いた時には、

自分の中の役に立ちたい欲が蠢いて、新郎に歌いにくいと思う所や、現状どう歌っているかを聞いてみた。あまり専門的な事は言えないが、基本であれば多少は分かる。

それを聞いていた運動部的ノリノリ先輩が「もう教えて貰ったらいいじゃん」と全くこんな口調ではないが言うと、


「そうやな、今度カラオケ一緒に行く?」


と、冗談めいて誘われてしまったのだった。


あまり冗談の通じない私であったが故か、え?!二人で!?、いや、まさかと思わず困惑した私は既にこの限界メンタルの中でいつの間に新郎に魅かれていたのだろうか、慌てていると、わははみたいな感じでその話は流されてしまった。

残念に思いながらも、奇跡なのかその日から昼は二人で部署にいる時間が増えた。マジで誓って言うがサボったり時間を合わせたりとか全然していない。本当に、そうなったのだ。何ならこの後、人数不足すぎて介護業務に入る為勤務時間が変更になり、2人だけの出勤になる日も出来る様になった。タイミングってすごい。


その時は隣にいてもまず話す事はなかったが、とある日。運動部的ノリノリ先輩と2人で話していた時だった。

「そういやカラオケの話どうなったん」

「いや、とくには・・そういえば、よくカラオケ一緒に行かれてたんですか?」

「うん、まあ・・。ああ、あの人結構高い声も出るから、前一緒に行った時は、アレクサンドロス歌ってたで」



アレクサンドロス・・・・アレク・・サンドロ・・・ああ。ああ~~~・・・

「ええええっマジですか!!!!」


「うん」


「ええええ~~~~すご~~~~い!!!!!!!」

アレクサンドロスと聞いた瞬間、いった事はないがどこぞの合コンでとりあえず他人をほめておく大学女子の様なリアクションを取ると、私は新郎に俄然興味が沸いた。と同時に、あのハイトーンを生でどうしても聞きたくなった。

「ちょ・・・生で聴きたいので誘ってみます。」

「うん。多分あの人からは誘わんやろから誘ったって」


そういわれるがままに勇んで出勤した数日後には、


「(あれ・・?これ、2人か?)」

と、動揺する自分がいた。


いやいや、後輩と言ってる話も聞くしな、大勢だろ。男だらけでも別に良い。気にしない。2人ではないわな。無理だ。流石に。


しかし、気づけば部署には新郎と2人だけである。高校生以来失われていたこの胸の高鳴りを鎮めようとするが、あれ、カラオケに誘う事ってこんなに難しかったっけ?という疑問と、今は勤務中という背徳感からか、これは完全に吊り橋効果ではなかっただろうか。横で無言のまま記録を打っているのちの新郎がいる。

「あ、あの」

胸の高鳴りが、こんなにも苦しいのは初めてだったが、

「えと、カラオケ、の話、こないだしてたじゃ、ないですか」

こんな緊張したのは後にも先にもこの時だけであったと思いたい。


「うん」

穏やかに答える新郎の顔を正面から今まで話した中で一番近距離で見ると、何だかとても口が動いてくれないのだった。

「い、一緒に、良ければ行きませんか」

「ああ、ああ・・・いいよ」


が、胸は爆発しそうだがこの時の私は大勢で行くとまだ信じているのである。今思えば、新郎にとってこれは完全にデートの誘いだったんじゃないだろうか。クソ恥ずかしい記憶だがこれがないと今の私達は成立しない。

恥ずかしいとは言いながらも、アレクサンドロスが聴ける喜びをかみしめる自分もいたのであった。


それから2人で部署にいる時間が多くなり、話しかけるのも緊張したのだが(基本向こうは静かだし一応勤務中なので)何の歌を歌うとか聞く様になった。趣向を知っておけばバレない、滑らない、ごまかせる。エヴァヲタではなくエヴァ好きに留めておくのだ。うっかりしてはならない。

話す回数が増えると、向こうからも話しかけてくれる様になった。警戒心が解けた動物の様である。唯一のメンタルの回復ポイントであった。

それから1か月後、新郎の車に乗ってカラオケに行く事になった。母親に伝えると、「ふうん、まあいいんじゃない」と言われたのは珍しかった。


案の定というか、迎えに来た車には新郎1人だった。

緊張が解けないまま助手席に乗る勇気もなく後部座席に縮こまって座ったが、声が聞こえにくい上に会話も続かないので緊張するしかなかった。

と、ここで先にご飯を食べようかという話になった。


連れて行って貰った所は居酒屋の様な店だったが、店員にまさかのカップルシートのソファ席しか空いてないと告げられた時は固まった。


なんたって新郎はデカ・・・大柄なのだ。縮こまっても皮膚の距離が近い。ポケモンで言うなら「にげられない!」に値する。

しかも、食べるのが早いし、私は口も小さいので遅い。上に、食欲がなさすぎて飲み込むのもしんどいからとにかく遅い。頑張って食べるが、腸内環境が悪化していくばかりであった。

このまま会話がないのもしんどい。仕方ない。漫画好きはバラそう。ここで私は「漫画好き」と言うヲタバレギリのラインを責める事にした。効果は抜群であった。が、向こうは宇宙兄弟を集めていた。興味があったので借りる事になった。



・・・で、また会話がなくなったが、ご飯を食べ終わったのでカラオケに行く事にした。



一言でいえば、カラオケは超楽しかった。音楽は非言語コミュニケーション。互いに知っている曲なら盛り上がれるし、知らなくても私にとってもヒプマイの神宮寺寂雷の様に「興味深い」対象であったのだから関係ない。年齢に差はあるが、とにかく楽しかった。好感度が53億くらい一気に上がってしまった。

と同時に、新郎が声を枯らした後に脱力して歌った【squall】がドンピシャにきれいで、自分が好きな声だったのだ。多分あれが決定打だった。

多分向こうも楽しかったのか、興奮気味にまた絶対行こう、とまさかの1か月後に約束を取り付けてしまった。早いな。


帰りは後部座席から顔をのぞかせて話していた。



帰ってから新郎を好きになったという自覚をようやくしてしまい、興奮気味に遠く離れた友人にすぐ相談した。今思えばすごく迷惑だったと思う。とりあえず落ち着けと言われて、落ち着いて普段通り過ごす事に決めた。



何もなかったかの様にお互い過ごすものの、2回目のカラオケも楽しく、その頃運動部ノリノリ先輩が茶化す時に呼んでくるあだ名を、新郎も言う様になった。何だやたらと言うな・・・とは思っていたが、親密度が上がった気がした。


3回目のカラオケは、クリスマス時分だった。これ完全に引き受けたらその気があると伝えている事になるのでは・・・?と思うと、流石にその週は断る事にした。1月に本番が入っていたので、そっちにも集中したかった。

1月に入ると、新年に入っておめでとうと連絡がきたし、送った。一気に知り合いから仲良しに昇格した様だった。自分から普段は来ないが慣れれば親しく接してくれるタイプらしい。上司と言えど、気軽に話せる人だった。

1度断ると、再度断るのは気が引けてしまって無理に本番後にカラオケに行く事にした。疲労がたまって何度か意識が遠くなり、音も大きく耳がしんどかったせいであまり楽しめなかった。

しかし、ここで思いがけない共通点が出来る様になる。ある日、昔やっていたゲームの話をしていると、

「あ、小さい頃、ディズニーのダンスダンスとかよくやってましたね」

と言った私を見て、新郎が固まった。


「え?」

「え?」

わけの分からないまま顔を見合わせた二人であったが、お察しの通りカップルのソファ席も最早お決まりである。緊張もマシになった。

「それってさ、マッチョダックとか」

「あ」

「USAとか」

「わ」

「サマーバケーショ「そうそれ!!!!!!!!それ!!!!!!」」


私が新郎に対して初めて敬語を忘れた瞬間である。


「え?マジで??え??あ??あったんですか?????」

「あったあった!!!妹が持っててさ」

「ひええーーーーー!まさかの知ってる人がお、おるなんて!!!!」

「俺も!!!!!!!!!」


そして、私達が初めて共通点が出来たきっかけはこんな話だったのであった。


新郎はそれから事あるごとに話しかけてきてくれている気がした。完全に恋愛として事を取り上げていた私は、グーグル先生からHow to恋愛や血液型別対応や女性のすべき事など、役に立ちそうな事をかたっぱしから学んだが、グーグル先生はサイトによって気ままな事を言ったので見るのを止め、思い込みではないか怖すぎて恋愛相談のメールで返信が来る怪しくない個人の所に内容を打ってみた。
「その人は恋愛対象としてあなたを見ている」と返信が来て内心喜んだが、まだ信じられず様子を見る事にした。仕事はおろそかにするわけにいかなかった。と、どの口が言う。

別に打ち合わせはしていないが、帰りに靴箱で2人になれた時だけ、ちゃんと顔を見て挨拶出来る事に気が付いた私は、なるべく早く仕事を終わらせて靴ばこで会える様に打ち込み作業を頑張った。何となくだが、向こうも待ってくれている日がある気がした。


気持ちは回復しても、体力は限界に等しかった。この頃施設の大きなイベントで、何と出し物に当たってしまった私は、男性職員2人とトリオに振り分けられた。新郎は舞台裏の役割だったので、近くで見ている事になるのだ。へまして笑われたくない。

といいながら元々イベント好きの血が騒いだ私は、出し物係リーダーになった上司の「新喜劇やろう」の一言で、アイデアの出ないトリオ内で夜通し吉本の定番ネタを盛り込んだ台本を意気揚々としかしキレながら書く大バカ者だった。しかも採用された。4時までかかって出社した日には、流石に新郎から心配された。


仲良くなると、新郎は案外よく見て覚えてくれている事に気が付いた。何か話をしても、前の話であっても覚えてくれている。不思議だった。


ネタ合わせは仕事終わりにトリオで練習し、まさかの3分間トリオ漫才をしたのは後にも先にもその時だけである。キャラ的にはごめん下さいの人とシゲじいと池乃メダカを出した。シゲじいが緊張しまくってあんまりわからなかったらしいが盛況だった。その時ばかりは気の強いマダムからめっちゃ大事にされた。自分が仕切れる場面は強いのだ。あだ名で呼ばれたしLINEも交換した。

イベントが終わり、書類もあって先輩方は先に帰った後、一人とぼとぼ部署に戻った私の机の上には、「お疲れ様」と書いて飴ちゃんが置いてあった。この字はまぎれもなく新郎だった。純粋に嬉しかった。

そして、次の日には珍しく新郎も遅くまで残っており、「台本4時までかかったので、今日眠たくて、流石に疲れました」と言えた私が「お疲れ様」と言ってくれたのはとても印象深く、新郎に一番救われた言葉だった。新郎はそれだけ言って帰った。待っててくれたんだろうか。夢オチか?


私は、この時まで「疲れた」と他人に言った事がない。家で言えば「私も疲れてんやけど」とか言われるので、そのくせ父母は割りと言うので、他人にも言わない様にしていた。それが、初めて他人に自然に言えた上に、「お疲れ様」なんて初めて言われたのだった。その日はよく眠れた。


そういえばこれはノロケだが、運動部的ノリノリ先輩と3人でいる時に、コーヒーのクリープと間違えて粉ミルクを擦切り入れそうになった話で、新郎がまさかのツボに入っていた。初めて見たが、いつの間にかLINEも交換していた私達は、つまらない事でも連絡する様になっていた。

新郎が呼び出されて遅く部署に戻った日に、擦り切りミルクの落書きをして、チョコを置いておいた。爆笑したとLINEがきて、翌日一仕事終えて帰ってきた私の机にその紙が置いてあって何も知らない先輩の前で噴き出しそうになって新郎を睨んだ。めっちゃ笑っていた。


と、じゃれあう仲になった時、相方の表情が暗くなっている事に気が付いた。3年目である。晴れて昇格した私達は役員も就いて後輩も一応は出来たものの、以前にも打ったが非常に安定しない立場だ。彼女も別の建物であっても課長という立場から割と理不尽を言われていた。

長く、話をした。私の時も聞いて貰ったので、聞く事もした。肯定しか出来ない様なものだったが、否定する内容でもなかった。私達は似た様な境遇に立っていた。

私の業務も変動で忙しくはあった。介護業務に入った分、「手伝っている」と周囲が把握してくれた事で幾分か優しくしてくれたり、沢山助けてくれる様になった。業務自体はとても勉強になったし、課嬢がいなければ平和だったが、いても上手く彼女の意図を掴んだり触れない様にする努力はした。

それでも、グループ活動を、出来てもなきい日中活動をするからこの曜日にしてくれ、ここはダメだ場所を変えて、手伝いは出せないと言われ、ついには「日曜日にして」と言われる様になった。いやうちの部署休みだよ。

それでも、検討はする事にした。しかし答えは出さなかった。思い出した様に言われる感じで、彼女も覚えていない上に毎回言う事が違ったからだ。日曜は変わらなかったがその曜日は死んでも無理。私の休みがマジでなくなる。

ただでさえ土曜出勤の日は先輩に変わって貰ったり、伴奏を休んだりしていた。これ以上他は変えられない。私が体力的につぶれる事は分かっていた。30人を1時間進行役するんだぞ?休日出勤したとしてもお給料も出ないんじゃ話にならない。

しかもだ。一度現場に相談したり実際どうなのか聞いてみたが、誰一人として日曜という人はいなかった。ありがたい事に職員の休息や癒しの時間にもなっていた様だったし、ほかの業務をする時間も取れたらしい。



など、プラスとマイナスが安定してある生活を送っていた私であったが、相変わらず家での生活は練習する以外繕った様な時間を過ごしていた。

仕事の話をたまに母親にしたが、結局自分の時はと言われるのでやめた。仕事の話はしない事にした。母が抱えているものを聞いた。聞くのもしんどくなってきた。

と、いつの日だったか、ある日、母とご飯を食べにいった。しんどいと言っても退職するめどを徐々につけていった私にとっては話はまだ聞ける状態に戻っていたが、どうも母は限界の様だった。

周りが自分と違う価値観や年齢人が多く、自分の障害について理解しようとしてくれる事もなく、「変わりにしておく」と言われるのがしんどいとの事だった。

障害のある方への接し方が分からないと感じる人は、是非聞いて欲しい。もし何かしたいけど何をして良いか分からないなら、是非本人に「何か手伝える事はないか」聞いて欲しい。話せる人なら余計に。

そして、頼みたい時は「これらがあるけど、これは出来そう?」と聞いてあげて欲しい。それが理解する一歩に近づく。結局は分からなければ、聞くしかないのだ。障害は関係ない。

寧ろ障害者との接し方と考えている時点でそれは区別している事になる。普通に一般人だ。分からなければ聞いて欲しい。おじいちゃんおばあちゃんに関を譲るのと何ら変わりはない。


母の言っている事も、接し方が分からない職場の人の言動の理由も、私には何となく分かった。悪気はないのだ。

そして、母を今苦しめているのは母自身の「人になんでも頼りたくない」というプライドや、前は出来たが故のギャップが彼女を苦しめている事はハッキリ見てとれた。それ自身は彼女も理解している様だった。

しかし、それを自分が許していないのだ。どうしようもなかった。


この話はもう3回目になるだろうか。嫌な雰囲気を察された時点で母は引いてしまう。そうあってはいけない。爆発させてはいけないのだが、いい加減このループから彼女が抜けだすのは難しいのだろうか。私にはその苦しみが本人ではないから完全な理解が出来ないのだ。「わかる」なんて言えないし言ってはいけない。

障がいをもつ人の気持ちもしてほしい事も欲しい言葉も、同じ人でないと分からない。

勿論各人によって症状は違うけれど、バリアフリーでも使えない人がいるし、良かれと思って作られた並々の形の手すりだって、不便だと言われる。標識や標語が見当違いだと言われる。健常者が考えている物が多いからというのは理由の一つになると思う。


とにかく、祖父をなくした後というのもあり、母のメンタルは不安定だった。とにかく話を聞く事にしたのだったが、話を聞いていく度に、母が全く同じ内容を他の人にも言っている事が分かってくる。


その時思った自分の感情が、


何だ。それなら頑張って聞かなくて良かったじゃないか。


と、拍子抜けしてあきれたのだった。



母は必死に同じ話をした。私はその環境と、母のギャップや、とにかく話を整理しながら、こうだったかもしれないねとか言いながら、同調も可能な限りしながら聞いていたが、心の中では、この人はこの話を沢山の人に言ってスッキリするんだろうかと思ってしまった。私の仕事の話は聞きもしないくせに。なんて。

お腹の辺りが、「いらない」と言われた時の様に、ぐるりと気持ち悪くなった。働いてからこの感覚はよくあった。胸が痛い。


こっちが母の事を言うと「分かってるんやけど」と言われる。ついには店で泣き出すからこっちも勘弁してほしいとこの時ばかりは正直に思って、流れる様に口走った。

「辞めたかったら辞めたらよいと思う。そんなにしんどいんやったら」


しばらくして、母親や半ばブチちぎれる様にして仕事を辞めてきたらしい。メンタルが不安定だったとはいえ、今の自分の体調とメンタルから見た母は一番見ていてしんどかった。絶対にしんどくなると思っても自分がやらないと納得いかないくせに、限界が来る。家に帰るのがまた億劫になった。


しかしながら、私達は親子である。この後運動部的ノリノリ先輩から母の話を聞かれた時に「まるっきり君やん」と言われたのは衝撃的だった。主人になった新郎も同じ事を言ったのだった。


新郎との交流が深まる中、私は限界の先に、何か自分で新しい事をしようと思い立った。母が自分の着なくなった着物を私に合わせて仕立て直すと言うので、訪問着を一部自分で支払い、無料でついてきた着付け教室に仕事帰り行く事にした。いつも都合上遅刻ではあったが、先生や他の生徒(マダムがほぼ)は優しかった。

一度、着物でのお出かけイベントに参加した時に出会ったママさんはとても前向きでしっかりした人だった。不思議な縁で、たまにこういう人と出会って新しい事を知る。音楽療法でもそうだった。しかもその人熱心で絶対出世してる。すげえな。

と、新郎とカラオケに行き初めて3回目が過ぎ、ご飯も行く様になったし今度はどうしようかと思ってきたこのごろである。

何気なく開いたグーグル先生が「告白は遊びに行きだして3か月目位が多い」と私に告示した。


そして丁度良いタイミングだったのが、その時の私は、丁度着物を自分で着る事が出来たので、どこかにお出かけがしたかったのである。


そうとなればと、行動に移す事にしたのが誕生日の1ケ月前。



2人だけの出勤日は、なんと2/14だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?