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決定打

2年目は良い事もある分、そうでない事もあった。


あと一つ良かったと言えば、職員向けの面談で何か隠し事をしていると感づかれ、珍しくもいつもパチや音ゲーの話をしにふらりと遊びに来ては昼ごはんを食べにくる様な、別部署の先輩から突っ込んで聞かれたのが救いになった。その人はゲーセンに通い詰めているタイプの人間で、「音ゲー何やってる?」と会って2・3度目で聞かれたのが印象的だった。

地味に、1年目に「調子どう?」と聞かれたのと、「大丈夫大丈夫。社会人はとりあえず挨拶できてれば大丈夫やって。せん奴もおるけどな」と言われたのが何となく心の残っていて、助けになっていた。実質、関係を作ったりその日の相手の調子を見る上でも、挨拶は超大事だと後から理解した。

その人と対面で1対1の面談だった。この頃課長(以下を課嬢と呼ぶ)と関わるのに疲れ切っていて、先輩方にこれ以上相談するのもどうかと思って黙っていた。その上の「いいなあ楽出来て!」発言で自分が何のためにこの仕事をしているのか笑いたくなる程ぐちゃぐちゃになっていた。

先輩は「何があった」と聞くと、私はよっぽど疲れていたのか、小学生以来相手の言動を先読みして正解してしまうが故に完全に自分のマイナスに思う本心や心を閉ざす事にしていたにも関わらず、思っている事を名前は伏せて話していた。情けないながらこの歳になっても自分の事を言う時は信じる事も出来ない自分から出てくる自分の意見が他人に伝わる事の怖さ故か、声も震えるし、悲しくなくても涙が出てくるのだが、この時は堪える事が出来た。相手は大人だったし、何も知らない他人だったから良かった。

最終的に「誰」と聞かれる始末ではあったが、先輩も話を聞いて納得した様子で「ああ・・・あの人ね」と呟いて、課嬢の特徴と、ヒステリックをよく起こすと断言した。他者と同じ意見である事にほっとしてしまったが、他の先輩方も中々話を聞いてやれないと心配して下さっている事、これからの動き方やここでの人の接し方を軽く教えて貰った。思ったより長かった面談は、終わった頃には心がとてもスッキリしていて、その日はゆっくり寝られた気がする。メンタルが一度は持ち直した。

この面談がなければ、私はこの後の出来事で完全に働く気力すら失っていたと思うし、潰れていたと思う。現時点で休みの日には前よりも布団に押し込められた様に起きれなくなっていて、友人と遊ぶ約束をした約束時間を人生で初めて寝過ごした。私にとってはありえなかった。



とはいえ一応私はスッキリした後で、経験年数も規定に達成していよいよ音楽療法の資格を取る為の手続きを行っていた。援助頂けるという話は私がここに入社するきっかけともいえる。前任者も援助をもらったそうだし、緊張するが、徳長(仮)施設長に援助をお願いしにいった。微妙な表情に見えたが、受理された。

察しの良い方は気づいたかもしれないが、ここで入社時の話で書かれていた教訓があらわになるのだ。社会人に今からなる人がいれば、必ず大事な事は自分が安心するまで「確認」する事をおすすめする。その数日後、新郎からちょっと残って欲しいと言われた。

この頃恋愛感情とまではなかったが、好感は持っていた私は期待半分、何となく察しがついていた。先に傷つく覚悟だけしておいた。


「施設長から、経済的な関係で援助は出来ないと伝えて欲しいと言われた。」


私よりも冷静な新郎がなぜか私より納得いってない表情をしていたが、何故とともかく理由を聞くよりもまず援助を頼んでいた経緯を話す事にした。しかし、どうやら、入社時の面接時点で援助するという話は言ってないし記録に書かれていない、との事だった。いや言ったし私から確認したやん。てか、これ小学生の言った言ってないレベルやん。子どもか。

経済の問題は何となく小耳にはさんでいたから、最早私の中で援助を諦める決断をするのは早かった。別に出張にも行かせて貰えているし、良いのだ。そこに腹は立たなかった。ただ、忙しいとはいえそういう大事な事は直接言って欲しかったから、そこに無性に納得いかず腹が立ったこと、記録係のせいにしているともとれることも加えて、新郎にひとまず「お話して下さってありがとうございました」と伝え、後日、足早に自分でもう一度直接徳長施設長に話を聴きに行く事にした。


勤務の終わった位部署を後にして、施設長の独特な雰囲気の部屋は書類でいっぱいだった。ふと見上げられると、私は驚くほど冷静に「お忙しい中すみません。援助の事についてお話は伺ったのですが、直接再度伺っても宜しいでしょうか?」と静かに言い放っていた。

そこから、新郎に言われた事をそっくりそのまま聞く事となり、冷静になってきてからは途中から逆に私のエゴに付き合わせてしまった事に気づき、早めに話を切り上げようとした。この人も忙しいんだ。もう納得した。早く帰ろう。もういい。帰ろう。


「前任者は音楽を広めることを目的に特別に援助した」

一つだけ、前任の援助の件は話に出すと少し声がくぐもっていた。記録にないといっても過去援助した現実があるのだからと思って言ったが、他職種も自分で取りに行ってるしと言われた。初めて聞いたんだが。いや、いいや、じゃあそうしよう。出張費は出すと言っては下さったが、レポートに出張書類がつくのは仕事が増えて面倒だ。感謝だけ伝えたが、援助は受けない事にした。


もういい。これで良かった。



が、しかし話はそこで終わらなかった。


徳長施設長は、フォローという名のボロをあらわにしていったのだった。



本当に褒めてやりたい事は、私が表情を崩さなかった事だろうか。まずは、「君が入社してから一つも悪い噂を聞かない。入園者からとても良いと評判をよく聞く」と言われた。私はこの目の前にいる彼の息子の所で働いているが、今の話はおそらく研修の時の評判だろう。どうやら私は無能ではなかったようだ。素直にありがとうございます、と伝えた。そこまでは良かった。何か知らんがその後も褒められた。しかし、そこで話は終わらない。本題から逸れている。もういいよ。援助はないのだ。帰らせて欲しいが話は止まらない。あれやこれや言っている内にどんどん話題が逸れる。そして、話は入社時の頃になり、


「前任者が君を非常に優秀だと強く押したから、本当は1人採用する所を2人雇う事にしたんだけどね」


は?それ、私に今この時点で言うこと?


「いや、仕方なくだよ。前任が言うから」


なあ


「本当はいらなかったんだけどね」



なあ。



それさ、私に言う?









「一人の枠の所を、資格も持たない私を採用して下さって本当にありがとうございます、おかげでとても勉強させて頂いています。資格は自分の力で取得を目指しますので、実務経験を今後共積ませて頂きます」

と言った内容を、粗ぶった心の外でつらつらと吐いてその場を心もない感謝の世辞を投げながら後にした。


小さい事から人の役に立ちたかった自分にとって、理由がなんであれ「いらない」とはっきり言われたのは辛かった。



いらないなら、採用なんてしてくれなくて良かったのだ。その日の日記は荒ぶって読んでられない。腸が煮えくり返っていた。





その後、時々相談に乗って貰っていた前任にその事を話した。前任はとても申し訳ないと文章を送って下さったが完全にこれは私が悪い事をしてしまった。全くぶつけるつもりはなかったが、冷静に送ってしまった文章ほど怒りを表すものはなかったのだ。大事なつながりを自分で後ろめたくしてしまった。

この帰りすら、私は家で元気にしなければ母に不機嫌になられるので頑張っていつも通りでいないといけなかった。家に入るのに一度帰り道のコンクリートに膝をついて立ち上がりたくなかった。このまま寝たかった。玄関に入るまで立ち尽くして3分かかった。最近母も仕事の人間関係で悩んでいる様だったが、話を聞いても自分と年代と価値観の違う他人の趣味が合わないが故の内容で、それを超えた自分にとっては今の時点で聞く事が精いっぱいだった。ほぼ愚痴に等しかったからだ。


私の存在を否定された訳ではないのは重々理解していたが、訳の分からないまま必死にやってきた自分にとってやってきた事全てが否定された気がして、その時に決断した。


「援助もないならここで働く意味もないな」



退職を決めた日である。



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