宇津井 俊平

「あの頃はバスを運転していたよ」いつか笑って話してみたい

宇津井 俊平

「あの頃はバスを運転していたよ」いつか笑って話してみたい

マガジン

  • 東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から~31~

    東京の自治体専門紙、都政新報に掲載されたイラストエッセイを再録しております。

  • 東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から~16~30

    東京の自治体専門紙、都政新報に掲載されたイラストエッセイを再録しております。

  • 都政新報エッセイ(初期)

    東京の自治体専門紙、都政新報に掲載されたイラストエッセイを再録しております。初期の頃は、さまざまなテーマで執筆しておりました。

  • ゆっくり動く乗り物で~都バスの走る風景

    東京の自治体専門紙、都政新報に掲載されたイラストエッセイを再録しております。テーマは都バスです。

  • 東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から~1~15

    東京の自治体専門紙、都政新報に掲載されたイラストエッセイを再録しております。テーマを都バスから都営交通全般に広げました。

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【自己紹介】

「あの頃はバスを運転していたよ」いつか笑って話してみたい(短歌) 宇津井俊平(うついしゅんぺい)と申します。 いくつかの場所で絵や文章を発表しておりますが、兼業禁止の環境にいるため、泣く泣くサポート機能をオフにしています。 私と同様の環境にいる方で、この問題を解決されている方がもしもいらっしゃいましたら、お知恵を拝借したいです。 どうぞよろしくお願いします。 【Twitter】アカウントが3つあります。 宇津井俊平 雑多なことをつぶやいています。 俊平バス広報 創

    • 一日駅長になってみた話【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から40】

         ふるさと納税とは、「住民税の一部を希望する自治体に寄付し、その額を納税者から控除すること」(大辞林)。交通局関連では、2022年にあらかわ遊園が改装オープンした際、ラッピング電車「都電あらかわ遊園号」を運行する資金調達のため、荒川区がふるさと納税を実施したことが記憶に新しい。お披露目として、1万円以上の寄付者を対象にした試乗会が開催され、当日参加した私も、年甲斐もなく心が踊ったのを覚えている。  唐突だが、先日私はJR甲府駅で駅長業務を体験してきた。日程はきわめて限定さ

      • 交通機関のハレとケと【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から39】

         2023年11月18日、志村車両検修場は大勢の来場者でにぎわっていた。イベントの名称は「都営フェスタin三田線」。都営交通のお客様向け感謝祭的なイベントはコロナ禍の影響により20年と21年はオンライン限定、22年はオンラインとリアルの複合イベントとして開催された。入場制限を設けないリアルイベントの実現は、実に4年ぶりとのこと。内容としては、車両撮影会、限定電車カードの配布、事前申し込み抽選制の運転台見学と保守車両試乗体験(小学生以下のお子様と保護者対象)、工場内見学、地元の

        • カバの下からさようなら【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から38】

           人生で自慢できるような出来事はそうそう起こらないものだが、ひとつだけ自慢させてほしい。2019年10月31日、私は上野動物園モノレールの上野動物園西園駅付近にいた。この日限りで営業休止が決定したモノレールへの惜別をするためである。  上野動物園モノレール、正式名称は東京都交通局上野懸垂線。動物園の敷地内にあるが遊戯物ではなく、鉄道事業法に基づき1957年に開通したれっきとした鉄道路線である。流線形デザインが特徴の初代H形、車体軽量化と車内高改善が図られたM形、全面ガラス張り

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        • 東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から~31~
          9本
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        • 都政新報エッセイ(初期)
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        記事

          朝から晩までバスに乗る【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から37】

           9月20日は「バスの日」。1903年に京都市で日本初のバスが運行を開始したことを記念し、1987年に制定された記念日である。バスの日に向けて何かをしようと思い、私は都バスに一日中乗ることにした。運転手としてではなく、乗客としてである。  都バスの運行区域は都区内と多摩地域に分かれている。運賃は乗車する都度支払うのが基本であるが、都区内だけなら500円の「都営バス一日乗車券」を、変動運賃制の多摩地域を含めて乗る場合には「都営まるごときっぷ」を購入すると、一日中乗り放題になるの

          朝から晩までバスに乗る【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から37】

          「三田レンジ」で新横浜へ【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から36】

           好奇心に突き動かされ、未知の光景を確認しに行きたくなるようなことはないだろうか。私にはある。「都営三田線の車両が新横浜まで乗り入れる」……この事実を確認したいという願望を叶えるべく(少し大げさだが)、先日ついに決行した。  簡単に説明すると、これまでも三田線は他社線との相互直通運転を行っており、途中止まりの電車を除き、西高島平から神奈川県の日吉までは乗り換えなしで行くことが可能であった。2023年3月の東急・相鉄新横浜線の開通に伴い、三田線も日吉から先、海老名までの直通運転

          「三田レンジ」で新横浜へ【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から36】

          かつての私と狭隘路線【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から35】

           「狭隘(きょうあい)」を辞書で調べると、「土地などの小さくせまいこと」とある。狭も隘も「せまい」という意味である。明確な定義はないものの、狭隘な道路を運行する乗合バスを狭隘路線と呼ぶことがある。  20年以上前の話になるが、初めてバス会社に入社した。大型二種免許を取得したばかりでバス業界のことなど右も左も分からない人間が手当たり次第に履歴書を送り、数社の門前払いを経て、実技試験と面接にこぎつけた会社である。「ようやく大型二種免許を活用できる」と喜んだのもつかの間、待っていた

          かつての私と狭隘路線【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から35】

          過渡期の光景【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から34】

           車体に赤帯をまとった6000形と、青帯のついた7500形車両とがすれ違う、一昔前の都電の写真。天気は快晴。バックには池袋の高層ビルが写っている。一見すると何の変哲もない光景だが、「花電車と入れ違いに、ひとつの歴史が終りを告げた」という印象的な文章が添えられている。1978年に交通局が発行した冊子『ひとりぼっち荒川線』の一節である。  財政再建の一環として路線を縮小していった都電の中で唯一残った荒川線では、ワンマン化が進められ、78年4月より全車両がワンマン運行となった。ここ

          過渡期の光景【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から34】

          山寺は私の原点だった

           1992年3月、私は東京都港区の日赤会館にいた。教育関連の財団法人が主催する「手づくりの絵はがきコンクール」の表彰式に参加するためである。当時のほとんどの家庭に普及していた簡易印刷機による絵はがきを中心とした7千点以上の応募作品の中から、私の「山寺駅」は郵政大臣賞に選ばれた。郵政大臣賞の受賞者は全体で5名、高校生部門では1名という狭き門だった。郵政大臣という呼称に懐かしさを覚えるほどに時間は流れ、今や過去の栄光と笑われるような色あせた出来事になってしまったが、私にとっては間

          山寺は私の原点だった

          非日常の光の下で【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から33】

           以前、と言っても20年近く前の話になるが、東京と静岡の間をマイクロバスで移動する仕事に就いていた。お乗せするのはスキューバダイビングのお客様。週に3日以上の頻度でさまざまなダイビングスポットを訪れた。とりわけ日本有数のダイビングスポットである沼津の大瀬崎(おせざき)という場所には、日帰り、泊まりの仕事を合わせて年に120日以上は訪れていた。  早朝に都内を出発し、現地に到着するのは午前9時台。ダイビング機材を降ろし、お客様とスタッフをお見送りした後は、待機時間となっていた。

          非日常の光の下で【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から33】

          【再掲】「まとめられた日」をまとめてみた

          夏冬に開催される某巨大同人誌即売会のシャトルバスの乗務に関して2012年に書いたエッセイを再掲しました。なお、内容はあくまでも個人の見解であることをご承知願います。  目立つのが好きな少年だった。大人になり、アルバイトを含めてさまざまな仕事を経験するうち、ただ自分だけが目立つのではなく、他人(お客様)をも喜ばせるにはどのような方法をとれば良いのかに興味が移って行った。   ある百貨店の駐車場警備の仕事をしていた頃、絶叫に近い大声とダンサーばりのオーバーアクションで、毎日10

          【再掲】「まとめられた日」をまとめてみた

          神輿のように去っていく。【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から32】

           「闇夜に繰り広げられる圧倒的に非日常な光景」……『鉄道車両陸送』(イカロス出版)という本の表紙に記されている言葉である。著者の菅野照晃氏は、都営三田線の先代6000形がインドネシアへ譲渡された際、友人と一緒に志村検車場(現在の志村車両検修場)まで撮影に行ったのがきっかけで鉄道車両陸送(陸送)の魅力に取りつかれたという。陸送とは、鉄道車両を(鉄路での輸送が困難な事情がある場合に)特別な通行許可を得て陸路で輸送することである。巨大なトレーラーで鉄道車両を安全に正確に運ぶのだから

          神輿のように去っていく。【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から32】

          つり橋経由観覧車前行き【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から31】

           3月21日、春分の日の朝、私は品川駅港南口にいた。7時48分発の都バスに乗るためである。波01出入系統は都バスでは唯一レインボーブリッジを渡る路線で、JRの駅からお台場地区を結ぶ唯一の都バスでもあった。過去形となっているのは、3月31日の運行をもって運行終了となったからである。  波01出入系統は、運行終了直前には平日・土曜・休日にそれぞれ1日2往復のみ設定され、交通局が無料配布している都バスの路線図「みんくるガイド」にも載らない、知る人ぞ知る路線だった。  7時半前に乗り

          つり橋経由観覧車前行き【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から31】

          新たな環境で金色のあひるを見つけた話【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から30】

           都バスの上01(旧学01)系統は東大構内から上野広小路を経由して上野駅に近い上野公園山下へ向かい、東大構内まで戻る系統である。現在の経路になったのは2019年4月からで、それまではJRの線路をはさんだ逆側の浅草口に停車する路線だった。浅草口の旧停留所は一方通行の道路沿いにあり、大通りへ出るまでは駐車車両の脇から飛び出す自転車と歩行者に注意しながらゆっくりとバスを走らせる必要があった。  現在の上野公園山下停留所は幅員の広い中央通り沿いにある。道路が広い分自転車と歩行者の

          新たな環境で金色のあひるを見つけた話【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から30】

          歩道橋から「お疲れ様」を【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から29】

           都営浅草線西馬込駅の南口を出て第二京浜国道をしばらく南下すると歩道橋への階段が見えてくる。歩道橋に上ると、眼下には道路、ではなく線路、線路、線路……鉄道好きにはたまらない光景が広がっている。ここは馬込車両検修所。都営浅草線の車両基地である。ある冬の日の早朝、散歩を兼ねて、この歩道橋を訪れてみた。  なぜ冬の日の早朝にこの場所を訪れてみようかと思ったのかというと、とある日の出愛好家の方のブログ記事で紹介されていたからである。鉄道、切手、骨董、アニメ……世の中にはさまざまな

          歩道橋から「お疲れ様」を【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から29】

          地蔵堀と2尊の地蔵【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から28】

           所用のため荒川郵便局に足を運んだ。バスの仕事では週に何回も通過する場所だが降りるのは初めてで、所用を終えて明治通りの歩道へ出ると、隣接する荒川警察署との間に、とある空間があることに気がついた。バスの運転席からは目に入らなかったが、「交通安全地蔵尊」と書かれた石の標柱の奥に、台石に乗った石地蔵が鎮座していたのだ。  『荒川区史跡散歩』によると、石地蔵は「地蔵堀の石地蔵」と呼ばれており、その高さは台石ともに約1丈(約3メートル)ほどあるそうである。1740(元文5年)年に浄

          地蔵堀と2尊の地蔵【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から28】