非日常の光の下で【東京のりもの散歩~いちょうマークの車窓から33】
以前、と言っても20年近く前の話になるが、東京と静岡の間をマイクロバスで移動する仕事に就いていた。お乗せするのはスキューバダイビングのお客様。週に3日以上の頻度でさまざまなダイビングスポットを訪れた。とりわけ日本有数のダイビングスポットである沼津の大瀬崎(おせざき)という場所には、日帰り、泊まりの仕事を合わせて年に120日以上は訪れていた。
早朝に都内を出発し、現地に到着するのは午前9時台。ダイビング機材を降ろし、お客様とスタッフをお見送りした後は、待機時間となっていた。夕方まで6時間以上の待機時間。私はバスを洗車したり、食事や睡眠をとったり、近くの神社まで散歩したりしていた。
大瀬崎からは富士山がよく見えた。物理的距離はあれども高層ビルなど視界を遮られる要素はほぼないため、駿河湾越しに雄大な富士山を週に何度も拝むことができた。東京に在住しながら春夏秋冬の富士山の姿を眺めることができる……何とぜいたくな日々だろう。そんなふうに最初は思っていたが、2年3年と続けているうちに、いつしか慣れてしまった。まるで空気のように。
前置きが長くなった。先日の夜、目黒駅前から都バスに乗車した際、ふと昔のことを思い出したのである。目黒駅前から橋86系統、東京タワー行きに乗り込む。しばらくは広い道路を運行し、白金台、天現寺橋といった東京ではなじみのある地名の付いた停留所を経由する。広尾橋を過ぎると道路は狭くなり、バスは仙台坂の急勾配を走り抜ける。神谷町駅を過ぎたあたりから車窓に東京タワーが現われるが、バスの経路の関係でいったんは見えなくなる。そして再び急勾配を上ると、終点。先ほどまで小さく見えていた東京タワーが、大迫力で現れる。
暖色の照明に照らされたその姿はただ美しく、この路線を担当するバスの運転手はこの風景に感動しないのだろうか、と一瞬思った。が、私にとっての富士山が日常であったように、彼らにとっての東京タワーは空気のようなものかもしれない。何がいいとか悪いとかではなく、そうやって非日常と日常を交換し合うのが生活であり、人生なのだろう。
そんな私は日を改めて2回、橋86の東京タワー行きに乗り、終点の感動を味わった。
都政新報 2022年11月18日付 都政新報社の許可を得て掲載