【ダイヤルアップ探偵団】第6回 本当になくなっちゃうの? 歴史を語る「ジオシティーズ」
90年代末から今世紀初頭にかけて、ブロードバンドインターネットが普及する前夜の「ネット文化」に注目する連載。第6回のテーマは、無料レンタルサーバーとして最大手の地位を築いた「ジオシティーズ」と、失われゆくナローバンド時代の遺産について。
●本稿は、2019年1月に刊行された「懐かしパーフェクトガイド Vol.6」(ダイアプレス) https://www.amazon.co.jp/dp/B07QWRW2S7/ に掲載するため製作したものです。noteへの掲載にあたり、改稿・再編集を行っています。
2018年10月、ある衝撃的なニュースがインターネットを飛び交った。ヤフー・ジャパンが、翌年の3月いっぱいで「ジオシティーズ」の提供を終了するというのだ。
皆様御存知であろう「ジオシティーズ」について一応の説明をしておくと、あらゆるユーザーが、ほぼ匿名を保ったままWebページ(当時風に言うなら「ホームページ」)を開設できるレンタルサーバーのひとつである。「街角広場」掲示板など、後のSNSに先駆ける部分もあった。広告付きだが、大部分の機能を無料で利用することができた。
元は1994年にアメリカで始まったサービスで、日本には1997年に上陸。2000年にヤフー・ジャパン傘下となり、サービス名称も「ヤフー!ジオシティーズ」に改称された。
2010年、「インフォシーク」が運営していた「isweb」がサービスを終了した際には、有益な情報や楽しい読み物が一斉に失われたことを、多くのネットユーザーが嘆いたものだ。
今度閉鎖するのは、他でもない往時の最大手ジオシティーズである。この悲劇はiswebの比ではないだろう。
エディタがなくても「ホームページ」が作れた
2000年の時点で、素人が「Webサイトを作る」といえば、まず候補に挙がるのがジオシティーズだった。筆者にしたって、インターネットで出会った友人に「ジオシティーズ」を勧めた回数は、一度や二度ではない。
ジオシティーズが躍進した背景には、専門的な知識がなくても自分の「ホームページ」を作れることがあった。初期のジオシティーズでは、ハンドルネームや好きなものを入力するだけで、世界に向けてプロフィールを公開することができたのだ。
この簡便な仕様は、後に流行する「前略プロフィール」を先取りしていたといえよう。終了間際のジオシティーズをくまなく探してみると、「小学6年生。好きな動物はうさぎ」くらいしか情報のない「ホームページ」が残っていたりして微笑ましい。
初歩的なHTMLタグさえ理解してしまえば、CGIの知識がなくても、自らのホームページ上にアクセスカウンターや掲示板を設置することができた。ブラウザ上で動作する「ファイルマネージャー」の設計も合理的で、写真やイラスト、MIDI(音楽)のアップロードも盛んに行われていた。
ジオシティーズのような、広告付き無料レンタルサーバーの流行には別の背景もある。当時は、インターネットプロバイダと契約していれば、無料かごく低額の固定費用で、広告のないWebページを開設することが可能だった。しかしプロバイダを乗り換える際には、従来のファイルはすべて消え、同じURLも使えなくなってしまう。
したがって、「自分のサイトを無限に残せる」というのが無料サーバーのひとつの魅力だった。今日でも同じ理由で「Gmail」などのWebメールが選ばれることは多いと思うが、当時最大手であったジオシティーズは、今日のGmail同様「最も堅牢なサービス」であることを期待されていた。
ジオシティーズは今なお「宝の山」だ
サービス終了のアナウンスを行ったジオシティーズだが、公平な目で見て「よく保った」ほうだと思う。たとえばニフティサーブのレンタルサーバー「@homepage」は、2016年にすでにサービスを終了している。
しかしそれでも、ジオシティーズを失うことは、我々趣味人にとって深刻な問題だ。筆者はレトロゲームのほか、歴史・鉄道・ミリタリーなどもチマチマ愛好しているのだが、どの趣味分野でも、ジオシティーズに開設されているWebページは極めて多い。
たとえば、世界各国の飛び地の情報を集めた「keropero」氏のサイト「世界飛び地領土研究会」は、書籍化もされた人気コンテンツだったが、これも所在はジオシティーズ。
夜中に突然「東西線仕様の103系って、どんな塗り分けだったっけ?」と気になったときには、有志がジオシティーズで公開している古い写真が答えてくれた。
ペットの写真から宇宙工学まで、多種多様なコンテンツを内包するジオシティーズは、まさに「THE・インターネット」であった。
ジオシティーズ公式もこれを認めている。「サービス終了のお知らせ」と題されたページには、以下のような記載がある。
1990年代後半に作成された個人のホームページはその体裁やデザインも含めて、その時代のインターネット文化そのものです。(中略)インターネット上に残された多くの遺産や、現在も積み上げられている情報の蓄積が消えてしまうのはインターネットを愛するスタッフ一同としても残念な思いでいっぱいです。
レトロゲームを語ってきたテキストサイトも消える
ジオシティーズにたくさんの情報が残されているのは、本誌のテーマであるレトロゲーム分野に関しても例外ではない。リメイク対象にならないようなマイナー作品の攻略サイトが残存しているのも、ジオシティーズのおかげである。
1998年3月に太田書店から刊行された名書『超クソゲー』がヒットした後は、草の根でも「クソゲー」に罵声を浴びせることが流行した。その舞台となったのが、当時流行していた「テキストサイト」群である。
この毒舌の風潮が「2ちゃんねる」へ受け継がれていったことをよく覚えているし、現代のSNSで〝バズ〟を起こす毒舌投稿の文体にも影響を与えているように感じる。
「クソゲー語り」はその後に一大コンテンツとなった。
「hacchi」氏によるクソゲー実況や、2ちゃんねるを発祥とした企画「クソゲーオブザイヤー」の動画は、「ニコニコ動画」上で何百万回も再生され、平成生まれのゲーマーにも浸透した。海外では2004年以来、放送禁止用語を多用してクソゲーをレビューする「アングリー・ビデオゲーム・ナード」というユーチューバーが好評を博しているが、90年代末のテキストサイトは、これらすべてに先駆けていた。
わけあって筆者も、本誌のような媒体でレトロゲームのレビューや思い出話を書く機会に恵まれた。その出発点はといえば、「ジオシティーズ」の「プレイタウン・ドミノ」というサーバーで「ホムペ」を密かに営んでいた、1999年のあの日なんだと思う。当時遊んでいたテレビゲームやTCGについて語っていて、友人も何人か巡回してくれていた。
当時のホームページ「ジャンヤー宇都の仏滅地帯」は、後に恥ずかしくなって抹消してしまい、いまや何の痕跡も残っていない。背景がどぎつい紫色だったため「ジャンさんのホムペは気持ち悪いよね」と言われたことだけは覚えている。しかし「ジオシティーズ」に今も残るテキストサイト群は、『超クソゲー』と並んで、私にとっての偉大な先達である。
ナローバンド時代を彩った大小さまざまなサイトが、来年3月にまとめてドカンと蒸発してしまうことは、やはり惜しくて仕方ない。紙幅のために「ジオシティーズ」を語りきれないこともまた惜しい。
★その他の…… 「ジオシティーズ」あるある
1. 「ゲストブック」には書き込むことがなさすぎる
2. タグを貼るだけの「ジオカウンター」は仕組みが不思議
3. 途中から追加された縦長の広告が邪魔すぎる
4. コミュニティ名の英単語はつづりが妙に難しい
著者■ジャンヤー宇都
1999年「ジオシティーズ」で初めて「ホームページ」を作り毎週更新するも、お客さんは全然来ず。ところが、後に大枠だけ作って放置していた別のページが10万ヒットしてたりして、よくわからないなあって思った。
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