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コンテンツ型SNSというものを考える

私は(ほぼ)Z世代なこともあり、SNSに幼いころから触れてきた。特にコンテンツ型SNS(会話<コンテンツ投稿&シェアをより強い目的としたSNS)に対する興味関心が強い。
(ざっくりmixiやfacebookはコミュニケーション目的、Twitterやnoteやinstagramはコンテンツ投稿が目的)

さらにinstagramやTikTokのように消費側がより直感的に(頭を使わずに)「いいね」を押したくなる構造よりも、一定の知性が求められるようなもの、つまりコンテンツに求めるインテリジェンスが高い類のサービスのほうが好みである。

とは言いつつ、どうしてもインテリジェンスとは程遠いような使われ方に辟易することは多い。例えばツイッターでバズっている投稿の多くは「巨大な主語」で「非論理的で無礼な内容」を「断言する」ことで拡散されがちだし、炎上目的でそういう投稿をする人も少なくない。
(「男」は「性欲があるから女に優しい」「のだ」 等)
(「女」は「抱かれることで機嫌がよくなる」「のだ」 等)
※もっと失礼に書いたほうが効果的だと思うけれど、これ以上は不愉快極まりないので止めます。

このような虚しい投稿を目にすると、SNS自体に絶望してしまうけれど、内容の精緻さに注力するより拡散されやすさを意図したものが目立つ仕組みなので、そもそも仕方ない。

それでも、普通に生きていたら生発言を目にすることが難しいような聡明な人が沢山いるのも事実なので、いわゆるネットリテラシー(投稿の読み方・理解の仕方)がしっかりしていれば、SNSはシンプルに有用な学習ツールになる。社会を知り、聡明な人のコメントに触れ、哲学したり、思想をアップデートしたりすることができる。

私自身、何度Twitterを止めようと思ったか分からない。でも不憫で不毛な人々の投稿を見るたび、私の意見がもし彼らの目に留まって、思想のアップデートや思考力向上にほんの少しでも寄与できるのかもと思うと、むしろ止められなくなってしまった。

インターネット上へのすべての投稿に際しては、この無法地帯なテクストの大海原で、私の投稿が偶然誰かの目に留まって、その人の価値観をほんの少しでも良い方向に動かすことができればいいなと願って投稿することにしている。

コンテンツSNSはその一助になる存在だと思っている。
この私のnoteも、さらにその一部になれば嬉しいなと思う。

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