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クリプトビオシス


瞑目した胎児が抱いている灰色のあぶくは、光と色彩を閉じ込めたまま、徐々に干からびてゆき、固い小さな意識のしこりになる。胎児は海老の干物のように丸まって、街に降り積もる灰の中に埋もれてゆく。
 
ある種の線虫は、白銀の極冠に発生時の記憶を影のように落とすと、瞬時に凍結してしまう。双翅目昆虫の幼生は、永久に溶けない樹氷に緊縛されると、若草色の時間をじわじわと氷の中に吸い取られてしまう。
 
同様に、乾燥してゆく胎児は、冬の到来を待つことなく、視界の遮られた灰の砂漠の中で、濃紺の夢が凝固したクリプトビオシスに、無代謝状態の眠りの中に閉じ込められてゆく。
 
時の吹き溜まりから光は絶え間なく掃討され、無風の街の広場にぬらぬらと黒光りする夜が訪れる。乾燥した胎児をゴンドラに乗せて回る観覧車の、ギシギシと軋む音が夜空に響いている。
 
いつの日か胎児は砕かれ、砂粒となって月の海にばら撒かれるのだろうか。それとも化石になって、都市の建築物の綺麗に磨かれた大理石の壁に、その断面を晒すのだろうか。
 
昼も夜も、光も闇も、ヒトの孤独も無いところへ運んで行くために、じわじわと侵入するクリプトビオシスのプリズムに、細胞から発する微細な光が屈折し、掠れた七つの色を放っている。
 
だが、胎児は乾燥してゆけばゆくほど、それが却って洪水の亡霊を召喚することになる。亡霊はこの街を襲い、全てを覆い尽くし、溶かし尽くして、クリプトビオシスはやがて愛撫のようにほどけてゆく。



*「クリプトビオシス」=クマムシ(ヘッダ画像)、ネムリユスリカ、ワムシなどの生物が、乾燥などの厳しい環境に対して活動を停止する無代謝状態のこと。水分などが供給されると復活して活動を開始する。(参考:wiki)
『2022 金澤詩人賞』一般編の入賞に選んでいただきました。

(全て火星表面)



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