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文章を書くことが好きになった瞬間

先日点字ブロックの記事を書いる時に、長い間忘れていた、自分が文章を書くことを好きになった瞬間を思い出した。

ぼくは嬉しいことに、人生において何度かそういう経験をしているのだけど、たぶんその経験が一番最初だったのだと思う。

講演に来たおっちゃん

それは小学校3、4年生の頃。

ぼくの通っていた小学校は、すごく意識の高い先生がいて、学校でキャンプをさせてくれたり、当時は珍しいアルミ缶回収を生徒を中心にさせてくれたりして、本当にいろいろな経験ができた。

学校に講演に来る人も変わった人が多くて、ある時、先生の知り合いの視覚障害者(全盲)のおっちゃんが学校に来た。そのおっちゃんが来てくれたのは2回目で、講演の内容は、まず1回目の講演の感想文を聞いてもらってから、それに関連する話をしてくれるような流れだったと思う。

感想文を読むのは先生で、狭い集会室の前におっちゃんが立って、ぼくたち生徒は100人くらいいて、みんな三角座りをしながらその話を聞いていた。「普段どのように生活しているか」とか「点字はどうやって覚えたのか」とか、そういった質問が続いて、おっちゃんもわかりやすく答えてくれていた。

最後の感想文で突然…

そして先生が読み始めた最後の感想文も、ありきたりな、普通の感想だったと思う。ただ、その感想文の最後は

「ぼくが気になったことは、子供の頃にいじめられなかったのかな、ということです」

で終わっていた。

先生がこれを読み上げ、これまで同様に、おっちゃんに「いかがですか」と話を促した。するとおっちゃんの表情が突然変わった。そして

「いじめられたなんてねえ、、もう!もう!うわぁー!」

と突然大声で泣き出したのである。ぼくたち小学生はもう顔を見合わす暇もない。とにかく驚きながらも、静かにおっちゃんの壮絶な体験を聞いていた。

「口にかなぶんをいれられた」、「おしっこをかけられた」

信じられないくらいのひどい経験に、ぼくらは大きな衝撃を受け、そんな中でも強く耐え抜き、今この目の前で涙ながらに話すおっちゃんに釘付けになっていた。

15分ぐらいだろうか。一通り話したおっちゃんは、溜まっていたものを一気に吐き出したように、すごくスッキリした顔をして「ぼくらにはそんないじめをするような人間になって欲しくない」といった話をしてくれたのを覚えている。

それを聞いたみんなは、何も言えずに静かに座って位たけど、その真剣な表情から、きっと「そんなこと絶対にしない」と心に誓っていたと思う。

言葉が人を動かす

その最後の感想文を書いたのは、ぼくだった。

当時それほど文章を書くのは好きではなかった。恥ずかしい話、たしかカタカナがなかなか覚えられなくて、そもそも書くこと自体に苦労していた。だから感想文の最後のフレーズも、何とか文字数を埋めようとして加えたような気すらする。

でも、その言葉が人の心を動かした

動かしたのはおっちゃんの心だけではない。おっちゃんの話を聞いていた100名の小学生もみんな衝撃を受けていた。

ぼくの書いた言葉がきっかけで、これだけ多くの人の気持ちが動くのか

そう思ったのを覚えている。

ぼくの受けた衝撃

今考えてみれば、先生はもともとその話をしてもらう予定で、ちょうど良かったので、ぼくの感想文を最後に選んでいたのかもしれない。

だけど、ぼくの感想文を聞いて、大人が号泣する姿は本当に衝撃的だった

これをきっかけに、ぼくは感想文を書くのが楽しくなった。だって、自分だけじゃなくて、みんなの気持ちに影響ができることができる力を持っていることを知ったから。

そして、真面目に書く人が少ないこともあって、ぼくの書いた感想文はいつも先生にお手本として読まれるようになり、ますます書くことが好きになっていった。

今思えば、運動が苦手で、勉強が得意なわけでもないぼくが、唯一輝ける舞台が「感想文」であることにこのときに気づいたのだと思う。

そして、それから30年近く。

ぼくは今でも、こうやって言葉を紡いでいる。


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