【ボイトレ】「うたうこと」について読み解いてみた Part12【「第4章 解剖と生理」p42 4行〜p45 18行】『第3部 呼吸器官』その1
本ブログは以下の2冊について取り扱い、私の理解をシェアするものです。
・1冊目
フレデリック・フースラー、イヴォンヌ・ロッド・マーリング著
須永義雄、大熊文子訳
『うたうこと 発声器官の肉体的特質 歌声のひみつを解くかぎ』
・2冊目
移川澄也著
『Singing/Singen/うたうこと F・フースラーは「歌声」を’どの様に’書いているか』
お手元にこれらの本があると、よりわかりやすいのではないかと思います。
今回は第4章 解剖と生理 p42「第3部 呼吸器官」に入っていきます。
第4章 解剖と生理
今回の三行まとめはこちらです。
・のどと呼吸器官は無意識であっても協力しあっており、その協力関係はさまざまな肉体動作に用いられる。
・その協力関係は、「発声器官」が現れる時にも発動しており、声と無関係では決してないこと。
・「力仕事をする時の協力関係」と「いきむ時の協力関係」があり、この二つが対照的であること。
第3部 呼吸器官(p42_4〜)
・冒頭(p42_4〜12)
”呼吸筋および呼吸補助筋は、非常に多くの筋肉の総和として形成されているから、それらの筋肉の全てを「生きている人間で働いている状態」で解剖学的実在として目に留めることはまず不可能と言って良いだろう。”
これは簡単な文から始まります。
呼吸筋、呼吸補助筋は非常に多くの筋肉が関わっており、それらの筋肉の全てを、「生きている人間で働いている状態」で観察することは難しいでしょう。
おそらくフースラーがこの冒頭で述べたい部分は次の文であると考えられます。
”われわれが追求しなければならないのは、呼吸器官を構成している数多くの部分を、「ひとつの循環運動」を拠り所として理解することであって、それをしなければ真の歌声は実現しない。”
これを簡単に言い換えると、
『「呼吸」という「ひとつの循環運動」から、呼吸器官を構成している多くの筋肉や器官について理解しなければ、真の歌声は実現しない。』
疑問として現れる点は、「循環運動」という表現。
私はこの表現を、運動を線で喩えて描こうとした時に「円」となるリズミカルでスムーズな運動、という意味と受け取っています。
(循環器系は心臓や動脈などの血管、リンパ管などの、リンパ系や血液の循環に関係するものと理解していますので、そこに呼吸運動は含まれていないと考えています、そのためこう言った表現として受け取っているということです。)
そしてここから先、呼吸器官についての記述を行う上で、「真の歌声を実現するために知っている必要があること」「発声訓練の仕事に際して役立つと思われる概念」をこれから提示するとフースラーは述べます。
・呼吸器官と喉頭器官との協力(p43_1〜p44_3)
”呼吸器官と喉頭器官(喉頭、喉頭懸垂機構や咽頭を含む)の生理学的に正しい協力は歌声の発声には第1の必要条件である。声楽家にとってこのこと以外の呼吸問題など本来あり得ないのだ。”(p43_1〜2)
といった1節から始まります。
前半部分については一般的に納得感があるかと思います。
歌声を出すためには呼吸による空気の動きが必要となるという認識は一般的にもあると考えられるためです。
(この先「うたうこと」では第6章にて「声帯の自発振動」に関する記述が登場します。その章における記述はまだ先の話ですので、一旦置いておきます)
後半部分、「声楽家にとって、このこと以外の呼吸問題など本来あり得ない」これについては、「生理学的に正しく器官が働く」前提の話をしていると読んで問題ないかと思います。
その前提をもって読むと、生理学的に正しく「呼吸器官が働く」、「喉頭器官が働く」この2つが揃っていれば、あとはこの二つの結びつき、協力だけが問題となる、ということと考えられます。
ここまでのフースラーの記述が理解できると、ここから先はこの協力関係に関する話です。
ここまでのフースラーの記述で重要な点は2点
『呼吸器官はたくさんの筋肉や器官で形成されていること。』
『歌声を作るためには、「呼吸器官」と「喉頭、喉頭懸垂機構、咽頭など」の協力が必要であること。』
これを押さえておくと混乱することなく読めるかと思いますので、内容を要約しつつ進んでいきます。
呼吸時、吸気の時も呼気の時も、呼吸器官と喉頭器官は協力しています。
それ(呼吸という日常的な動作でさえ協力している)だから、歌手が声を出す時も協力してて当たり前と思うかもしれません。
しかし、フースラーは少し声楽的な発声を習ったとしてもその協力はうまくいかないというのが現代の「一般的」な状態となっていると述べます。
(フースラーの述べる一般的は、いわゆる本来の能力が使えない、衰えてしまっている状態です。)
この協力関係が観測できる例として、感情の流出(例えば笑い、啜り泣き、あくびなど)のような衝動的な現象があり、これらの際にも反射的にこの協力が働いています。
笑う時も、泣く時も、あくびをする時も、喉頭やその周辺が働くとともに呼吸器官も働き、無意識であっても協力しあっているということ。
例えばあくびをする時などは以前も述べたように、
・咽頭の形が変化したり喉頭の位置が下がったり、という「喉頭器官」の働き、
・それに合わせて自然に「呼吸器官」が働くことで息を大きく吸ったり吐いたりします。
この例は一時的に自然と協力しあって動作をするというのが理解しやすいかと思いますし、実際に体感を得やすい内容かと思います。
そしてこのような衝動的な現象は例を挙げた3つ以外にもさまざまな種類があり、その現象ごとに呼吸器官や喉、そのほかの筋肉の協力の仕方もさまざまあります。
それゆえに歌手も感情や衝動、によってこの協力を作り出すことで、自分の発声器官を鼓舞(発声器官に働きかける)します。
と、ここ(p43_14)まで、この協力関係について説明が続きましたが、もっと根本的で強力な、この「呼吸器官」と「喉頭器官」の協力を促す原動力がある。とフースラーは述べます。
その起源は、まだ人類が発達する前、声を出すことに使われていなかった時代にまで遡ります。
ここから次の見出し「原始的機能」に向けて話が進んでいきます。
『「われわれが声を出すのに使っている器官」は先ほど述べた原始時代まで遡ると、原始的な「生命維持のための二つの機能」を果たさなければならなかった。』
『その二つとは、単に「気道を閉じること」「気道を開くこと」だけであった』
この二つのシンプルな機能のための器官として作られていたものが、人類が発達する経過の中で「声を出すための機構」に発展したのだとフースラーはこの見出しを締めくくります。
この原始的な機能と述べられているものについては、この後の見出しで説明が展開されていきます。
ここまで話の流れは非常にわかりやすいと私は考えており、おそらく読まれている方もスムーズに理解できるのではないかと思います。
さてでは原始的な機能についてフースラーはどう述べているのか、次の見出しへ進みましょう
・原始的機能(p44_4〜10)
少し文を要約しながら解説します。
まず、喉頭の筋組織、声帯と仮声帯となる前の原始的な喉頭筋組織はただの「安全弁」であり「閉じ帯」であった、それが長い時代の流れを経て「声帯」と「仮声帯」にわかれました
声帯と仮声帯に分かれると同時に喉頭(及び喉頭懸垂機構や咽頭など)は呼吸器官との協力において、「生活に重要な二つの任務」を持ちました。
すなわち、声帯と仮声帯に分かれると同時に、それまでただの「安全弁」であった器官に新たな仕事が2つ増えたということです。
肉体的な日常生活でその「ある役割」を果たしているとフースラーは述べ、その「ある役割」を果たしつつも、同時に発声器官の機能的活動の本質的な要素となっている。と続きます。
ここから、声帯と仮声帯に与えられた任務は日常生活で行われる動作だということがわかり、さらにそれが発声器官の活動と関わることがわかりました。
ここまでが「原始的機能」の冒頭で述べられていることです。
こうなると「生活に重要な二つの任務」とはなにか…気になってきます。
その2つの任務を「傾向性」という言葉をつかってここから先で説明されます。
それから、先ほどから出てきている(喉頭懸垂機構や咽頭など)と補足を入れている記述についてここで説明します。
邦訳では、この括弧内の内容は書かれておらず、「喉頭」としか書かれていません。
ただし原著英語版をみると「喉頭」の英語「larynx」ではなく、「throat」が使われていると解説版で述べられています。
これは「喉頭」ではなく「のど」を指す言葉です。
わざわざそれ補足する意味ある?と考えられる方もいらっしゃるかもしれません。
ここで「喉頭」とは何か、第4章「解剖と生理」の第1部を振り返るとよいかもしれません。
「喉頭」とは、甲状軟骨、輪状軟骨、披裂軟骨と、その筋肉群によって構成される器官です。
単に「喉頭」とだけ言うと、これのことを指します。
つまり、その喉頭を引っ張り合う筋肉群である喉頭懸垂機構や咽頭は含まれないのです。
ですから、ここでフースラーが「larynx」ではなく「throat」を使っている以上、邦訳するにあたっては「のど」と言う表現が適切で、「喉頭」という表現では不適切ということになります。
それゆえ、邦訳版の「喉頭」に対して(喉頭懸垂機構や咽頭を含む)と補足していました。
(話が逸れすぎるためここまで補足に留めていましたが、ここからは同様の場面では「のど」という言葉を使います。)
第1の傾向性(p44_11〜p45_6)
ここから、先ほど述べた2つの任務のうち、1つめの説明に入ります。
そして「傾向性」という言葉は、「協力関係」と読むと理解しやすいかと思います。
まずは「上部の胸筋と腕の筋肉を使って、力仕事をする」時です。
この時、自然に腹筋、横隔膜、下部肋間筋、下部の背筋を収縮させて一緒に使います。
これは、片手で軽く持ち上げるには重たいが自分一人で持ち上げられる大きさと重さのもの、解説版ではピアノの椅子を例に挙げ、「体から離して持ち上げた状態で数秒間保つと、特に横隔膜以外の筋肉については収縮を感じ取れる」と述べています。
これは実際におこなってみると体感しやすいかと思いますのでぜひやってみて欲しいです。
身近なものだと何が良いかと言いますと、例えば小さめのプリンター、pcモニター、デスクトップpc、重たい本数冊、炊飯器、重ための鋳物鍋などを、体から離した状態で持ち上げて数秒間維持すると感じられるかと思います。
(もちろん人によりますので必ず感じられるわけではありません、また、普段から重たいものを全く持たないという方は腰を痛めないように気をつけてください。)
この時、その負荷が自分にとって重たいものであった時は特に、無意識のうちに息を止める場合があります。
(普段から肉体、筋肉に負荷をかけていたり、こういった知識がある方は息を止めずにおこなう方もいらっしゃるかと思いますし、慣れれば呼吸も声を出すこともできます。)
こういった力仕事の際に「のど」の閉鎖機能によって食道は閉じ、声帯も閉じることで外からの空気の流入を阻止します。
そして胸腔内の圧力は低い状態で保たれます。
声帯はそういった流入を阻止するのに都合のいい向き、上向きについていると図47で説明されています。(p44_19まで)
このような呼吸器官とのどの連絡形成(ここまでに登場した言葉で言うと「協力」)は、起源(歌声を発する以前)からずっと使われてきており、
そんな原始的な能力が実際に歌唱の際にも参加しており、それは歌手が「声の支え」を行うということと一致している、とフースラーは述べています。
そもそも「声の支え」とは何か?
これについてはさまざまな意見や考え方が錯綜しており、正確な概念は定まっていないと考えられます。
この概念は、優れた歌手は歌唱時に「感じているもの」という意見があり、非常に曖昧な概念であることがわかります。
出てくる声としては「バランスの取れた声」だとされています。
非常に主観的でぼんやりしていますが、聞き手あるいは歌い手が「バランスの取れた声だ」「声が支えられている」と感じることがこの言葉が当てはまる条件であると言えます。
ボイストレーニングに関する記述などでは、結局声の支えがなんなのかわかるように書かれていない場合があったりしますが、こういった曖昧な言葉として使われてきているからこそズバリそのものの意味が述べにくいという側面があると考えられます。
これらを踏まえてフースラーの記述から理解を進めた私の結論、「声の支え」について説明させていただきます。
「声の支え」とは
「声の支え」とは、「喉頭、発声に関わる筋肉群、器官のバランス」のこと、
「声を支える」とは「喉頭、発声に関わる筋肉群、器官のバランスを取る」ということです。
それはつまり声に影響を及ぼす筋肉群のバランスが取れている状態で行う発声が「支えられている声」と表現されるということです。
では筋肉群のバランスとはどういうことか、それは喉頭懸垂機構や咽頭などの筋肉、あるいは舌骨上筋群、舌骨下筋群、これら以外にも発声に関わる筋肉の張力のバランスを指します。
例えば歌う時に喉頭を引き上げる筋肉群や舌骨上筋群が働きすぎて、引っ張り上げる筋肉の張力が強いのに、その逆方向、引っ張り下げる方向の筋肉が十分に働いていない状態だったとしたら、そういった状態だと「声は支えられていない」ということになります。
また、この時筋肉の緊張状態のバランスを取らなければならない筋肉は、喉頭に直結するものだけではありません。
それはここでフースラーが記述している「腹筋、横隔膜、下部肋間筋、下部の背筋」からもわかります。
これらもフースラーの述べるところの「声の支え」に貢献する筋肉群であるということです。
イタリアの声楽では「アッポジアーレ・ラ・ヴォーチェ」と表現され(イタリア語で「声の支え」という意味)、支えてくれるものに寄りかかるといった概念で理解されており、イタリアの流派における声楽教師や歌手の間では「背中の下の方から胸の前上の方に向かって、空想上の力が起こっており、これの力によって「声が支えられている」と考えているとされています。
フースラーの述べた筋肉の箇所である「腹筋、横隔膜、下部肋間筋、下部の背筋」は、背中の下の方から胸の前の方まで、と考えるとその付近にある筋肉です。
これらが働いていることを実感して、これらが働いている状態の声を「支えられているのだ」という概念で理解していると考えられます。
このようにフースラーの記述やイタリア流派の考え方を見ていくと、喉頭懸垂機構などの喉頭に直結する筋肉ではないにしろ、「発声器官」という広い見方をしていくと、これに参加する筋肉たちの緊張状態のバランスが取れていることが「声が支えられている」ことを指すのだと理解できるかと思います。
さて、「声の支え」とは何なのかの説明で少し話が逸れてしまいましたが、
話を戻して、上部の胸筋や腕を使って行う力仕事の際にも呼吸器官とのどの周りの筋肉は協力しあっており、その協力関係は「声の支え」にもかかわるものなのだ、というのがここでのフースラーの記述です。(p44_20〜23)
そしてこの見出しにおける重要な記述、本質的な記述はここから先P44_26〜であることが述べられています。
それはこの協力が行われる際、息は何の働きもしておらず、むしろ活動力が奪われているということ。
これがなぜ重要なのかはここでは述べられませんが、まずは頭の片隅に置いておいて読み進めるのが良いと考えられます。
そしてこの協力は「衰えている」とフースラーが述べています。
現代の人間でもスムーズに行えると考えられますが、いわゆる現代人は体を動かす機会や力仕事の機会が減っていることから、原始的な時代よりも衰えているであろうと考えられます。
ここまでの記述でわかるように、この、のどと呼吸器官の協力は「特別な技術」は必要ありません。
体が力仕事をする、その際に必要に応じて勝手に協力して現れるように、その協力する能力というのは何か新しいことを習得するものではないということがわかります。
それゆえにフースラーはこの第1の傾向性、協力関係を「ただ再発見しさえすればよい」と述べます。
第2の傾向性(p45_7〜18)
続けて第2の傾向性、協力関係についてみていきます。
先ほどは胸腔内の圧力は低い状態で保たれる、という減少でしたが、次はその逆です。
例えば咳、排便、お産などの際は胸腔内は圧迫されて圧力が上昇、今度は横隔膜と仮声帯の間に強い協力関係が築かれます。(このことを精密な接触と呼んでいると読み取れます。)
仮声帯は体の下向きについており、このような下側からの圧迫に適した形をしています。(図47参照)
例として挙げられている排便、お産などはわかりやすく「いきんでいる状態」、そしてこのいきみに伴う唸り声、この声にはノイズがのりますが、これがいわゆる仮声帯の起こすノイズと考えられています。
この協力関係は、先ほどの第1、の方と異なり、一般的に歌手たちに知られており、この協力関係(連結)は使われすぎているとフースラーは述べます。
慢性的にこれをやっていると「声を損なう」とも述べられます。
いわゆる力んでしまっている声というのは、この「いきみ」と同じような状態となっており、それが使われすぎているということと読み取れます。
第1の方では「息は働かなかった」のに対し、こちらは「息が働いています」。
例え大きく息が漏れていなくとも、胸腔に圧力をかけるということは、そこにある空気が圧縮されて働いているからです。
この点で「対照的」であるとフースラーは述べます。
さらに先ほどの第1の方では、「現代人は衰えている」つまりあまり使われていないといった読み取りができましたが、こちらの協力関係はそれも逆、十分に使われていて活動的と述べられています。
ここまで、喉頭の筋組織が声帯、仮声帯に分かれてから、新たに使われてきた
「二つの原始的な機能」
(2種類の、原始的な、のどと呼吸器官の協力関係、という表現が適切でしょうか)
についての説明が続きました。
ここでフースラーがこういった記述をする理由は、結局のところ「のどと呼吸器官の協力関係」、これについて述べたかったのだと読み取れます。
のどと呼吸器官は無意識であっても協力しあっており、その協力関係はさまざまな肉体動作に用いられる。
その協力関係は、「発声器官」が現れる時にも発動しており、声と無関係では決してないこと。
「力仕事をする時の協力関係」と「いきむ時の協力関係」があり、この二つが対照的であること。
これらがここまででフースラーが述べたかったことだと私は考えています。
ということで、ここで一旦区切りとして、
次回は「筋緊張性呼吸調整」に入っていきます。
よろしくお願いします。