私に敵などいなかった、私の本音⑧
1.ヴィンランド・サガ
「お前に敵などいない、誰にも敵などいないんだ。」
マンガ「ヴィンランド・サガ」の序盤で語られた言葉である。
良い言葉だと思う。
そして、事実でもある。
およそ、人間の敵というものは己の心の内にいる。
世界は、自身の心を映す鏡に過ぎない。
そこに敵がいたとしたら、それは自分の弱さが生み出している。
今回は、そんな私の弱さを見てみる。
2.私の敵
私には基本的に敵はいない。
私は人間の個性を見るのが好きだし、成長を見るのも好きだ。
つまり、私は人間という生き物が好きだ。
当然、私は私自身が大好きだ。
それでも、他人が私を好きになるとは限らない。
しかし、他人の言葉による口撃を受けたとしても、私自身をどれだけ否定されても、私の精神は大きくダメージを受けるような構造をしていない。
肉体的なダメージにも慣れているから、その影響は精神の奥底までは及ばない。
そんな私にダメージを与えるものがあるとすれば、それは他人の心だ。
他人の不幸が、他人の心の痛みが、共感を通じて私の内側に染み込んでくる。
苦しんでいる人を見ると、私の心が痛む。
これは正に私自身の問題であり、その問題は敵と呼べた。
3.成長を拒む人々
そして、世の中には慢性的に苦しんでいる人がいる。
彼らは成長を拒む。
それが、彼らが苦しみ続ける根本的な原因だ。
自らの変化を、成長を愛せない者に幸せは遠い。
彼らは、自分の心の中に思い描く自分というものを無意識のうちに愛している。
たとえ、自分自身を嫌っていると思っていたとしても、それとは違う本当の自分というもの、価値観とも言われるそれを無意識に思い描いて、依存している。
だが、彼らの思う自分というものは、空想上の生き物で、現実には存在しない。
そして、彼らがその価値観という幻想にこだわっている間に、世界も自分も変化を続けていくのだ。
こうして、彼らの理想と現実はそのギャップを広げていく。
そのギャップが苦しみを生む。
苦しみの構造の根底にあるのは、彼らの価値観そのものだ。
彼らが愛する自身の価値観、それ自体が彼らを苦しめている。
そして、その苦しみから解放されるには、現実の自分を、等身大の自分というものを受け入れて愛するしかない。
それは、つまり、自らの価値観を変えるということだ。
そして、等身大の自分を愛するとは、現実のありのままの世界を愛するというのと同義である。
愛するのに必要なことは、見て、理解する。
たった、それだけだ。
人によって抱えているものは異なるためその必要な量は異なるが、理解が足りなければより多くを見て考える必要があるだろう。
現実を見るとは、その最初の一歩に過ぎない。
しかし、彼らは現実を見ようとはしない。
成長は、理解というものはその過程で痛みを伴う。
自らの苦しみの構造を理解するともなれば、その痛みは相当なものになる。
彼らはわざわざ苦しんでまで、価値観を変えたいとは、成長したいとは思っていないのだ。
そして、彼らは成長を拒む。
4.真理
進化の流れに逆らうものは淘汰される。
成長を拒む人間は淘汰される。
この世界における、当然の理屈だ。
人間が個性を発揮できずに、淘汰され死んでいくのを見るのは悲しいものがある。
私は、全ての人間が自分らしく、幸せに生きられる社会を理想としている。
これは私のエゴと言える。
そして、私のエゴは自らの成長を拒む人々の意志と衝突する。
「あなたは、そのままだと死にますよ」
と言いたくなるのだ。
彼らの答えは決まっている。
「余計なお世話だ」
5.理解
成長を拒むということは、つまるところ、緩やかな自殺ということだ。
世の中で、特に精神的に苦しんでいる人の多くは、直接的、または間接的に自殺を望んでいるということになる。
彼らの在り様は、細胞のアポトーシスによく似ている。
彼らは自らの個性を殺すことで、周囲や社会、人類を生かしているのかもしれない。
それは社会的要請とも言えるし、環境からの同調圧力かもしれない。
職場の雰囲気や教室の空気だったりもするし、教育に起因する常識の刷り込みによるものかもしれない。
しかし、彼ら自身がいかに無自覚であっても、そこにあるのは自己犠牲の精神に他ならない。
ここに至って、私は彼らに尊さを感じた。
こういった役回りを私の住んでいる世界での専門用語で何と言っただろうか。
いずれにせよ、彼らの意志と価値観は尊重されるべきだ。
私は答えを得た。
6.感謝
今、私が彼らに感じる気持ちは「感謝」だ。
彼らの痛みと苦しみは彼らだけのものだ。
誰も彼らの代わりに背負うことなどできない。
共感を通じて同情などを感じるとしたら、それは彼らに対して失礼と言える。
まして、文句を言うなど筋違いだ。
私は、彼らの苦しみと、嘆きと、悩みと、怒りと、悲しみと、それら諸々のものを愛し、慈しみを持って彼らに接したいと願う。
そして、彼らが自分自身の個性によって自らの幸せを掴むことを、ここに祈る。
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