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サヨクとネトウヨは同質にカルト

社会、政治における議論をする者の
立ち位置は左翼と右翼に分けられる事が多い。
そして、その蔑称として、
ネトウヨとサヨクという言葉がある。

では、蔑称と言うがどう貶しているのか?
それは、「相手は事実の認識を
「左・右」に歪めている」という貶しだ。

その貶しは部分的に正しく、
事実の認識を「左・右」に歪め、
「サヨク・右翼」と呼ばれる人は確かにいる。

また、事実の認識を感情で
歪めているという点で
ネトウヨとサヨクは同質と言える。

実際、ネトウヨとサヨクはかなり似ている。
事実認識を感情で歪める人は
感情が強いので、発言が感情的だ。

社会、政治の議論は
twitterで最もよく行われているが、
twitterにいるネトウヨ・サヨクは
絵文字や顔文字をよく使う。
それは相手を煽る為、貶す為である。

例 絵文字を多用するネトウヨ

何故、そんな攻撃的な事をするかと言うと、
事実認識を感情で歪める人、
自分を自分で騙す人は、
自分が自分を騙している事に
自分が気付いてしまう事を恐れていて、
故に他人が「自分が自分を騙している事」を
指摘したり、事実認識を歪めて作った
意見に反論されると怒るのだ。
よくも、「自分が自分を騙しているという
嫌な事実を気付かせたな」と。
それは理不尽で、身勝手な、
不当な怒りなのは言うまでもない。
その身勝手さ、攻撃性、
自分で自分を騙す、
知的誠実の欠如から言って、
ネトウヨ・サヨクは性格が悪いと言える。

例 それを指摘した画像

そして、自分で自分を騙す者、
自己欺瞞者は、自分が自分を騙してないと
自分を騙し続ける為に、
他人から自分の、事実認識を歪めて
作った意見を肯定してもらおうとする。
だから、群れる。

ネトウヨはネトウヨ同士で群れ、
サヨクはサヨク同士で群れる。
その群れにはボスがいて、
ボスの言う事や他の構成員の意見に
反論する構成員はいない。

故にそれは閉鎖的なコミュニティで、
まさに宗教的(カルト)だ。

事実を知りたい人が集まる
コミュニティでは
構成員同士が互いの意見を批判し合い、
何が事実か探求するが、
自己欺瞞者のコミュニティでは
互いの意見を肯定し合い、
自分の意見が間違ってるかも
しれないという不安を慰め合う。
だから、ずっと間違ったままだ。

その様な自己欺瞞者が所属する
コミュニティを欺瞞コミュニティと言う。

欺瞞コミュニティの構成員は
他の構成員からの評価を欲する為、
他の構成員から好感を
抱かれる様に努める。

その為、構成員はより過激で、
より他の構成員から
好感を抱かれる意見を言う。

例えば、1+1は2より多いという
信仰を持つ欺瞞コミュニティでは
「1+1は4より大きい」と
誰かが言えば、
「1+1は3より大きい」と
考えていた人が安心する。
好感をその人に抱く。

なので、最も過激な意見を言う者が
構成員から最も評価される。
そして、過激さは競争になって、
そのコミュニティ全体の意見が
徐々に過激化、先鋭化し、
一般から大きく逸脱するのだ。

自身の思想が一般から大きく逸脱した場合、
多くの批判、反論に遭うので、
自分が自分を騙しているの
ではないかという疑念、不安が強まる。
(この不安を自己欺瞞認知不安と言う)
不安が強まれば、自身が属す
欺瞞コミュニティの評価をより強く欲する。
より、欺瞞コミュニティに依存する、
同コミュニティの構成員からの
評価に依存するのだ。

つまるところ、欺瞞コミュニティの構成員は
そのコミュニティに思想も感情も依存して、
自身の独立性、尊厳を捨てているのだ。

欺瞞コミュニティの構成員には
「「自分は」こう思う」という意見はない。
他の構成員と似たり寄ったりの意見しか言わない。
いや、感情的な理由で言えない。

そして、自分を信じれないから、
他者から認められる事を欲すると同時に
誰か1人の意見を妄信したくなる。
「この人の言う事はすべて正しい」と
思考放棄して、不安を忘れたくなる。

その妄信の対象が、
欺瞞コミュニティにおけるリーダーであり、
欺瞞コミュニティのリーダーかつ
欺瞞コミュニティを作る者は
フォロワー数万、数十万のアカウントである。

欺瞞コミュニティのリーダーは
カリスマ性に富んでいて、
「この人の言う事は全て正しい」と
人に思わせる魔力を持つ。

そういう魔力は人の感情を
刺激して得られる物なので、
欺瞞コミュニティのリーダーは
感情的な事ばかり言う。
感情が主体なのだ。

欺瞞コミュニティのリーダーは
欺瞞教祖と言い、
自身が作った欺瞞コミュニティの
構成員からの評価を欲している。
その欲する動機は構成員と変わらない。

欺瞞教祖の例(ネトウヨ系欺瞞コミュニティ)

欺瞞教祖は欺瞞コミュニティの構成員、
欺瞞信徒が崇め、妄信する対象なので、
欺瞞信徒は欺瞞教祖の意見を
盲目的に肯定する。
そして、それに欺瞞教祖が
「よしよし、その通りだ。
君は正しいよ」と頭を撫でるのだ。
それは相互依存関係と言えし
欺瞞コミュニティでは
欺瞞信徒、欺瞞教祖同士が相互依存と言える。
全ての構成員に等しく依存している事を
踏まえると、個人に対する依存というより、
欺瞞コミュニティ全体への
依存と言った方が正しいだろう。
そして、欺瞞コミュニティの代表、
象徴としての個人が欺瞞教祖なのだ。

また、欺瞞信徒(自己欺瞞者)は
自分の意見を信じる為に、
自分の意見を否定する他者の人格を否定する。

欺瞞信徒(自己欺瞞者)の意見は
事実の認識をを感情で歪めてできた、
簡単に論破できてしまう、
1+1=3レベルの意見なので、
自分の意見に対する反論や
自分の意見と食い違う意見を
知性だけで否定する事は不可能なのだ。

だから、相手の意見を
否定するのでなく、人格を否定する。
議論の場で人格を否定するので、
欺瞞信徒(自己欺瞞者)は
議論と無関係の事を議論に持ち出す事になる。
そうなると、議論と言うより、口喧嘩だ。
人格の否定し合いが口喧嘩で
意見の否定し合いが議論なのだが。
(勿論、否定し合う事だけが議論ではないが)

そして、所属する欺瞞コミュニティからの
評価が欲しいので、誰かの人格を否定する時は
引リツを使って相手を晒して、批判するのだ。
それは卑怯で卑しい行為だ。

例 議論と関係のない事を
持ち出して相手の人格を貶し、
信徒からの評価を期待する欺瞞教祖

欺瞞信徒と自己欺瞞者は=の関係ではないが、
欺瞞信徒は自己欺瞞者に属する。

欺瞞信徒でない自己欺瞞者と
欺瞞信徒の違いは、
自己欺瞞に対する信仰の度合いで決まる。

事実認識を歪めて作った考え、
自分を騙して至った考えを
どれだけ信じれるかで決まる。

その信仰に不安、疑念があると、
それを払拭するために、
他者の評価を求め、
欺瞞コミュニティと関わる、所属する。

欺瞞コミュニティは既に言ったが
宗教的でカルト(新興宗教)的だ。

カルトから抜ける事を拒む要因には
自分が間違ってた事を
認めるという自身の否定と、
他の人が「正しい」と言っているから
思考放棄して信じてしまいたいという
誘惑の2つがあり、
それは欺瞞コミュニティにもある。

また、一般人は間違ってて
自分達だけが正しいという特別感、
選ばれし者という、
自己肯定感を否定したくないという理由もある。

オウム真理教の信徒は自分達を
世界の巨悪と戦う素晴らしき戦士と思い、
世界の真実を自分達だけが知っていると
一般人を見下していたし、
陰謀論を唱える者も一般人を見下している。

ネトウヨやサヨクも自分達を
素晴らしい考えで、馬鹿な日本人を導く、
知的な集団の一員とでも思っているのだろう。

自分達の意見を認めない人は
自分達の意見を理解できないくらい
知能が低いか、事実認識を感情で
歪めているから認めたがらないと
思っているのだろう。
実に幼稚だ。

まとめると、
欺瞞コミュニティはカルトだ。
サヨクとネトウヨはカルト信者だ。

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