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四十八文字の話『フ』②-3「復刻本 ( ふっこくぼん )❗」著者「前波仲尾」:『復原された古事記』

皆さん、今回はこのシリーズのテーマである前波仲尾氏著作『復原された古事記』について紹介させて頂きます。


前回のブログの最後に前波氏が古代支那研究の過程で発見した事実を下記の様に述べました。


🌕『前漢時代に書かれた歴史書【史記】( しき 作成時期 紀元前108~89年。他にも諸説有り ) 。この【史記】以前に書かれている古代の支那史書は【中国語】ではなく【外国語】で書かれている❗』
そして、その外国語とは「スメル語」( シュメール語 ) 及び「チュルク語」( 古代トルコ語 ) 。

『太古から支那だけに限らず、それこそ大陸中からの影響を受けてきた日本。では、これらの外国語と全く無縁なのか?いや、そんなはずはない』
『例えば太古から伝わる【日本神話】はこれらの外国語で書かれているのではないか?』


これらの仮定に基づて調査、研究を行い、纏められたのが「復原された古事記」です。

⚪「国譲り」神話

「古事記」は皆さんご存知の通り原文は「漢字」で表記されています。

岐阜県羽島市の真福寺に所蔵されている
国宝「古事記」


「古事記」の作者は神話や昔話を伝える「口伝者」が発する「発音」、つまり「音」を聞き分け、その「音」に当たる「漢字」をそのまま表記した様です。
🌸例えば「口伝者」が「サン」と発音すれば、「三」とか「山」( サン ) などの漢字を当てて表記されています。

ですのでハッキリ言えば「古事記」はあくまで「漢字の羅列」であって、それ自体に何の意味が有るのか、我々日本人には理解出来ない、何の脈絡もない単なる「漢字台帳」と言えるかもしれません。
🌸勿論、時代が下ると共に「ある人達」が「ある思惑」を持って【脚色】を加えていった事でしょうね😁。今私達が手に取る事が出来る「古事記」や「日本書紀」、更にその他の古代史書は、殆どその「脚色」がされた後の本だと思われます😄。


前波氏は、以前のブログで述べた様にその「古事記」の原文、漢字の「音」自体に焦点を当て、その「音」に当たる「スメル語」を明確にし、そこからの日本語訳を書きました。

ここで改めて前波仲尾氏「復原された古事記」の内容を少し述べさせて頂きます。
場面は「国譲り」のシーンです。


出雲の国に「国を譲れ❗」と迫る高天原使者を描いている図
左側が出雲の長「大國主神」( オオクニヌシ )
右側が使者「建御雷神」( タケミカヅチ )


前波氏はまず「古事記の原文」である「漢字」とその「音」を記します。

🌕古事記の原文   ➡️   漢字の「音」

「十掬剣  抜而」➡️「タチカゲン  ナギンテ」
「逆刺而  波穂」➡️「サカシサジテ  ナムノブ」
「逆刺  立而」➡️「サカシ  ツキタ」
「趺座 其剣前」➡️「アグムラ  ジジンサジ」

その後、この漢字の「音」を「スメル語」の「音」当てて、当たった「音」に該当する日本語を引き出します。
引き出された日本語を訳しますと

🌕漢字の音   ➡️  スメル語の日本語訳

「タチカゲン  ナギンテ」 ➡️「船で押し寄せ  城を取囲み」
「サカシサジ   ナムノブ」➡️「諸城の一帯に攻め上がり  生け捕りに」
「サカシ  ツキタ」➡️「王子を討ち取る  一緒に」
「アグムラ  サキジジンサジ」➡️「剣の鋭さにものをいわせて」

この「スメル語」での日本語訳。
正に「戦争❗」を表してませんか?
これが真実ならば、今現在でも言われている

【「国譲り」は平和な話し合いで中で解決した】

との伝説は覆る事になり、私達が教わってきた神話は何だったのか?、となってしまいます。


⚪「日本神話」での単語  ( 神々の御名前や地名 等 )  の解説


次にこの復刻本で語られている「日本神話」での単語  ( 神々の御名前や地名 等 )  などを述べます。

🌕「漢字」➡️「音訳」➡️スメル語による「日本語訳」

【天】 ➡️ アマ ( Am )  ➡️ アム地方、又はアム河
【天つ】 ➡️ アマツ ( Amul )  ➡️ アム地方の、アム河の

【高天原】( タカアマハラ )  ➡️ タガ ( tig ) アム ( Am ) バラ ( barra )  ➡️ ( アム ) 河の彼方の神国


「アム」地方
「アラル海」に流れ着く河が「アム河」


○高天原 ( たかあまはら ) の神々の御名

【天照大御神】( アマテラスオオミカミ ) 
 ➡️ アマ ( Am ) テル ( til )、オ ( u ) - ウミ ( um ) 
 ➡️ 「アムの地」で全力を尽くす。国の生成。



【須佐之男】( スサノヲ )  
➡️ ス ( su ) サノ ( sun ) ヲ ( uru )
➡️ 毛深い   身体中   男


【建御雷】( タケミカヅチ )  
※「国譲り」で「出雲」に派遣された使者
➡️ タケ ( Tag ) ミガ ( mug ) ツヂ ( tud )  
➡️ 娶る ( めとる )  浅黒 ( 黒人種? )  生まれた

先程の「国譲り」神話のシーン
右側の剣の先に座る「建御雷」ですが、
「国譲り」がスメル語での翻訳の通りならば
こんな場面は有り得ません。



○「出雲」の神々の御名

【大國主】( オオクニヌシ )  
➡️ オク ( Ug ) - ニノ ( nun )  ウシ ( ush )  
➡️ 大衆の王
 又は
➡️ヲ ( Ug )  クグ ( gug ) ウシ ( ush )  
➡️ 付属国    黒人の王 
🌕「黒人の王」……これは「大いなる黒人」「黒人の棟梁」の意味であり、今でも「大國主」の別称として伝わっている「大黒様」となります。
🌸どうして「黒人」なのかは、後程述べます。

「大黒」様



【事代 ( 主 ) 】( コトシロ )   
 ※「大國主」の息子
➡️ クト ( Kud ) スルル ( surru ) 
➡️ 相談相手の神 
🌕通称「恵比寿」( エビス)  様です。

右側が「大黒様」左側が「恵比寿様」




【建御名方】( タケミナカタ )      
※長野県諏訪市「諏訪大社」( すわたいしゃ ) に奉られている神。同じく「大國主」の息子。
➡️ ミナ ( Men ) ガダ ( gjdi )  
➡️ 王族の小黒 ( = 「王子」) 
🌕父親の「大國主神」が「大黒」( 黒人の王 ) に対しての「小黒」( 王子 ) です。

諏訪の神様であられる「御名方 」神


○地名である「出雲」の意味

【出雲】(イヅモ )  
➡️ イヅ ( id ) - ムノ ( mul )  
➡️  ( アム ) 河の人々 ( アム河から移住してきた人々 )


⚪「日本語」のルーツは南インド


我が国の「 国語学」の泰斗 ( たいと ) でありました
学習院大学名誉教授  故「大野晋」 ( おおのすすむ ) 氏。

大野晋  学習院大学名誉教授


この方は嘗て【日本語学】の観点から、ある発言をし、当時の日本社会に大きな反響を巻き起こしました。


「日本語の起源は【タミル語】である」

🌕【タミル語】とは南インドで今現在でも使われている言語。
古代の【スメル人❗】の一派が今現在の南インドに移り住み【ドラヴィタ人】となる。彼らが話していた【ドラヴィタ語】の系統に属する言語。


更に大野氏は
「【スメル語】を話していた【スメル人】の一派であり、南部インドに暮らす【ドラヴィタ人】。彼らは北から侵入してきたアーリア人の圧迫を受けたため、イカダでアジア大陸沿いを東に向かい、インド洋、マラッカ海峡を渡り、朝鮮半島、そして日本の九州へとやって来た」と、述べています。

インド ~ 東南アジア ~ 日本へ移動


また前波氏も「【ドラヴィタ人】が古代にこの日本にやって来た。だから【スメル語 】が伝わっているのだ」と、述べています。

【ドラヴィタ人】は古代文明「メソポタミア文明」を担った「スメル ( シュメール ) 人」の一派。その後インドに渡り、そこで更に古代文明の一つと言われる「インダス文明」を築いた、と言われています。

○嘗て日本までやって来た【ドラヴィタ人】。彼らこそが【黒人種】。

【ドラヴィタ人】は「黒人」系の民族。
先程の「出雲」のスメル語訳が「アム河から移住してきた人々」でしたので、古代「出雲族」はアム河~南インドを経て日本にやって来た人々となり、出雲の神々が「大黒様」「小黒」などと称されているのはこういった理由があるからではないでしょうか?


「ドラヴィタ人」


ドラヴィタ人の分布図




○地名

【薩摩】(サツマ) 
➡️ 中国の少数民族、苗族 ( ミャオ ) 。
この民族も 「スメル人❗」の流れを汲み、その一派である「三苗」( サウル ミヤオ : Saur-mhot ) が古代南九州に渡来し移り住んだその地を「三苗」( サウル ) と名付けます。それが奈良時代に「薩摩」( サツマ ) となります。


「苗族」
「苗族」


○族名

【熊襲】( クマソ ) 
➡️ 同じく古代支那史書で使用されていた言語である「チュルク語」( 古代トルコ語 )。それを言葉にしていたトルコ系騎馬民族「突厥」( とっけつ ) 族の一派「クマン  シフ :  Kuman  Sig 」族。この族名が後に「熊襲」となります。
この「クマン  シフ : Kuman  Sig 」族も、古代に日本の九州へやって来たようです。


世界のチュルク系民族の分布。
濃い青はチュルク系言語を公用語にしている「国」。
薄い青は公用語にしている「自治地域」。

中央アジアに特に集中しているのが分かります。
そこは「アム」河の流域です。


中央アジアの騎馬民族


⚪最後に


生前、前波氏が残した言葉の中に以下の様なものが有ります。

「【日本神話】が外国語で書かれている事が分かれば、その外国の若者達が日本神話にも興味を持つのではないのかな。結構な事ではないか。」


最後まで学術的研究に没頭し続けた「前波仲尾」氏。
今現在の世間には全くと言ってもよい程知られていない方です。
私はこの機会に、この方の残した素晴らしい業績、「古事記」の研究は勿論、「学校教育界」にも多大な影響を与えた事例を述べさせて頂く事で、是非皆様にこの方の事を少しでも知ってもらいたいとの思いでこのブログを書かせて頂きました。

もし興味を持った方がいらっしゃれば、是非お手に取って観て頂ければと思います。


「復原された古事記」


では、失礼します。

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