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UP-STREAMを設立した経緯と自己紹介

どうも、
株式会社UP-STREAM
代表取締役社長の田中琉太と申します。

今日から不定期ですが
note記事を書いていこうと思うので
皆様よろしくお願いいたします!!!

今回は、弊社で行っている採用コンサルティング事業等の
人材に関する事業を始めようと思ったきっかけと
軽く自己紹介をさせていただこうと思います。


自己紹介

神奈川県横浜市出身の20代。


僕夢があって

人材紹介事業のビジネスモデルを変えたい

と思っています!
急になんのこっちゃって感じですよね笑

様々な方が読んでくださっていると思うのですが、
その中でも就職活動をされた方は
下記について共感できる方は多いのではないでしょうか?

企業の面接に行って、

ネットで引っ張ってきたような志望理由や
自己PR、長所短所を言ったことがある人は
たくさんいるのではないでしょうか?


ほんとは、自分の思っていることを
そのまま話してちゃんと受け入れてくれる
そんな会社に入りたくないですか?


また、逆に企業側も
福利厚生や残業、配属地について
ほんとのことを教えてくれない。
これって気持ち悪くないですか?


これ実は日本だけなんです!


ヨーロッパやアメリカに行くと全く違うんです!
求職者と企業が面接でめちゃくちゃ言い合うんです!
想像できないですよね笑

求職者側は、
「僕はこの条件じゃないと働きたくない!」
「僕はこういう仕事がしたい!」
「そのためにこういうこと頑張ってきたんだから!」

逆に企業側は、
「いやあなたの能力ならこの仕事だよ」
「君の経験だとこの条件じゃないと雇用できないよ」



お互いばちばちに言い合って
着地点を見つけて和解した状態で終わり
内定をもらった会社の中からどこに行くか
ゆっくり決めていく

こうすることにより
入社前後でギャップが少ないんです!

でも日本って違いますよね?
新卒入社した社員が1年以内に
38%も辞めている現在で
仕事を辞める人の8割が
仕事に対してのギャップで辞めているんです…

この世の中を僕は変えたい!
「自分が思った通りに働ける」
「一生そこで働いてキャリアを伸ばす」
そう思える入社を誰もが迎えることができる
そんな世の中にしたい!

どうしてこの夢が生まれたかっていうと
僕が大学2年の冬にまでさかのぼります

大学時代僕は毎日サークルの飲み会に参加して
アルバイトは都内で居酒屋のキャッチやってと
どこにでもいる大学生だったのですが
大学2年生の冬に参加したインターンから変化していきました。

友人に誘われて参加したインターンで
新電力やWi-Fiの訪問販売の営業を
やったのですが、それがかなりうまくいって
その時の勢いから大学生ながらも合同会社を設立しました。

起業してからも新電力などの営業をメインに
展開していたのですが、
その時やっていたことが大学内でも
口コミで広がりました

その口コミからか就活中の先輩から
「○○って企業の人事繋がってない?」
と声をかけられるようにもなりました

ですが、当時人材業をしていたわけではなかったため
先輩達には「ごめんわからない」と
断っていたのですが、
どうしても何とかしたい先輩がいたんです

それが、当時大学4年生の先輩からの
就活相談だったのですが
その先輩が、中学のころから
めっちゃお世話になってた先輩だったんです笑

僕は小学5年生から大学1年生のころまで
ずっとバスケをしていたんですけど
部活の友人・先輩って
大人になってからも結構連絡とるんですよね笑

その先輩名前出せないんで
下記ではH先輩って書きます

その先輩就活相談してきたのが
彼が大学4年の8月でした

当時、4大卒の就活って
3年生の春から自己分析して
夏にインターン行って
3月から面接受け始める
みたいな流れだったため

4年生の8月に相談してきた先輩には
めちゃめちゃ心配になりました…

っていうのも、バスケ部が
全国大会常連ってくらい強かったので
引退が長引いて就職活動スタートも
遅くなってしまったのです

「お世話になってるし何とかしたい」
そんな一心で先輩の相談に乗ったんですが
なにしたらいいか分からず

当時通学で使っていた電車の広告にあった
「就活エージェント」に目が行きました
「これがあったか!」って感じでした笑

広告の端に小さいQRコードがあったので
読み込んで先輩に教えて
そこから申し込んだら
早速3日後に面談を組んでいただけました

3日後、都内のエージェントさんの会社に
一緒に行って、僕はビルの下の階のカフェで待ち
先輩は上の階のカウンセリングルームで面談を受けました

1時間ほどの面談が終わって出てきたH先輩から
「あいつ信用できねーわ」って言われて
エージェントさんと何を話したか聞いたら
その内容が衝撃だったんです!

面談始まってから15分くらい話して
「どんな条件で会社探してるの?」
「なにか資格もってる?」など聞かれて
エージェントさんから「ちょっと待ってて」
と言われ5分ほど待つと

ドン!と20社くらい印刷された求人票を渡され
「H君に合ってると思うからどこの会社でも受けられるよ!」
といわれたのです

やばっ!?って思いませんか?
僕が一番驚いたのが
「このエージェント15分話して何がわかったんだ」
ってことです

たった15分話しただけなのに
「なにをもってその求人が合うと思ったんだ」
って感じですよね笑

他にも2社くらい紹介した
エージェントもそのあと行ったんですが
どこも同じような感じで
正直「頼りになんない」って思いました

先輩からは
「エージェント頼りたくないから一緒に企業探して」
と言われ就活についてめちゃめちゃ調べました

そこで知ったんですが
どうやら就活は"軸"を決めなきゃいけないと

先輩の軸って何だろうと思って聞いたら
すぐに答えが返ってきました。

「めっちゃお金稼ぎたい」と

というのも現代よくあることですが
先輩の家が片親ですごくお金で困った経験があり
「将来子供や家族をお金で困らせたくない」
そう思い軸がすぐに決まりました

営業をやっていた僕に頭には
すぐに「営業」の二文字が浮かびました

そこから業界を絞ろうと思い
何がいいか聞くと
「金融って稼げるらしいから金融行きたい」
と即答でした

大手就活情報サイト○○ナビで
『金融』で調べ出てきた会社は
証券や銀行、保険が出てきたのですが
証券と銀行の営業で働いている姿が
当時の僕らには想像しにくいなと感じました

そこで保険だけは
スポーツやっていた経験から
なんとなくイメージできました

スポーツやってると
怪我して病院行くとめっちゃかかる医療費が
保険のおかげで安くなる
このシステムなら話しやすいなと笑

そこで僕らは○○ナビで
『保険 営業 新卒』で調べ
上から見ていくことにしました

上にヒットするのって
おっきな会社ばかりなんですが
その中で先輩は一番上の会社を指さして
「ここかっこいいからここ行くわ!」
と言ってきたんです

そこから家に帰って先輩のために
エントリーシートの書き方めちゃくちゃ勉強して
毎日のようにカフェでエントリーシートを
書いては添削しての繰り返しでした

完成したエントリーシートを出したらすんなり通ったんですが
その会社後々調べてみると50人枠に3000人応募があり
奇跡的に通過していました

その後1次選考の連絡が来て
都内の本社に行き
僕は近くのカフェで祈りながら
大学の課題をして待ってました

1時間半くらい経って戻ってきた先輩から
驚きの言葉を聞きました

「5次面接まですっ飛ばして内定もらったわ」

大学4年の8月で周りが就活終わっている頃に
受けた超大手の1時面接で内定がでるなんて
聞いたことがなかったので正直びっくりしました

面接でのことを先輩からきいたんですが
まず会議室に通され
5年目くらいの色黒の兄ちゃんが来て
形式ぽく面接が始まりました

面接官「H君ほかどっか受けてる?」
H先輩「いえ、御社以外どこも受けてません」
面接官「へーまじで?うちの会社の志望度高い?」
H先輩「はい、高いです」
そりゃ思ってなくても高いって言いますよね笑

面接官「じゃあ内定出したらうち入社してくれる?」
H先輩「はい、します」
面接官「ちょっとまってて」

そこから面接官は30分くらいいなくなり
外から電話している声が聞こえたので
多分電話で誰かと話していました

帰ってきてから
「じゃあ内定あげるから4月からうちで一緒に働こ」
そういわれ、その場で内定が出ました

カフェに戻ってきた先輩はもう
ルンルンでした笑

その場で大学の友人やゼミの友達、
地元の友達や親に電話して
目の前でめっちゃ自慢してました笑
それ見て正直うらやましかったです

就職活動って本来いろんな会社を受けて
いくつかもらった内定の中から
どの会社行くか決めるものなので
他は受けないかききました

そしたら
「もうどこも受けない就活辞める!」
先輩はこういったんですが

これがおっきな間違いでした!

今回の記事はいったんここまで!

次回の記事で僕の夢である
「人材紹介事業のビジネスモデルを変える」
ことに対しての思いの本質を
お話しします!

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