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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#わたしのこと

ライター5年生になりました

ライター5年生になりました

タイトルの通り、ライター五年生になりました。小学校なら高学年に突入。個人的には、一番長い職歴更新です。いや、そもそも私には正社員職歴がないのですが、まあそれはさておき。

毎年、この時期に自分のための振り返りを行なっているので、今年も継続します……と思って見てみたら、昨年は何も書いていなかったようです。あれ?

その前は書いている。昨年の私、何をしていたのだろうか。

こんなものは書いていたようで

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がんばれ、凡人の脳みそ

がんばれ、凡人の脳みそ

うんうん頭を捻る。脳みそを振り絞る。ぐーっと考えてばかりいたら、視野も思考も狭まって、かえってよくないんじゃないかと思い、ぼーっと椅子に座ったまま天井を眺めてみる。……はい、ぼーっとしてみても何かが「降ってくる」ことはなく、ただぼーっと時間が過ぎゆくだけでした。残念。

映画「ベイマックス」に、主人公・ヒロが大学に入るための発明中(でいいのかな)、己の限界にぶち当たって「使えない脳みそめ!」と頭を

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ずっと「何もないなあ」と思うのかもしれないね

ずっと「何もないなあ」と思うのかもしれないね

何もないなあと、思ってしまう。自分に対して。

わたしができることを万人みんなができるとまでは思わないけれど、少なくとも似たようなことをやっている人たちの中だけで考えてみると、わたしがやれることは「当たり前」の範囲内のことであり、そこに甘んじていたらダメだぞ、おまえは何にもできないんだからな、という声がする。

まあ、実際「できる」人間ではない。そこそこ何となく、ならなんとか……が関の山で、「でき

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別アカウントを作った話

ふと思い立って、もうひとつアカウントを作った。別にnoteである必要は特になかったのだけれど、使い慣れているし、まあいいかなと。

いつものことと言ってしまえばそれまでなのだけれど、ここ数ヶ月間メンタルの上下運動が遊園地にあるバイキングで、加えて気圧やら夏を終えたあとにくると噂の疲れやらPMSやらといった、はっきり要因がわかるものにとどめを刺されていた。まあ単純にいえばメンタルの良し悪しの落差がひ

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あえて、書かない

書かなければならない義務なんかなかった。はじめにあったのは、ただ「書きたい」、それだけだった。

理屈っぽく、見ようによっては可愛げのなかった子ども時代のわたしは、ただひたすら思考と感情を文章にすることが好きだった。口達者のくせして肝心なときほど役立たずになってしまう口に比べ、文章であれば深く大きな呼吸ができる。自由に書ける。上手に書きたいと思ったことはなく、ただただ書いていたかった。たぶん、「書

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理性で濾過したくない愛を叫べよ

こう、ぐわあっと胸をわしづかみにされるというか、胸どころか心臓を握られているような感覚というか、布団に突っ伏してじたばたせずにはいられない衝動というか、それら押し寄せる波を我慢した結果ただ惚けた自分しか残らなくなってしまった、みたいな、そんな事態に陥ることがちょくちょくある。

端的に言えば「好き」。それだけだ。

「どこが」とか「何が」とか、説明しようとすればできなくはないのだけれど、言葉に当て

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わたしの幸い

七月に入り、早くも一週間が経過した。このところ、天気はずっと不安定だ。今日も仕事部屋の窓から見える景色は、曇天と雨天とを繰り返している。いま住んでいる場所からはそもそも臨むことができないのだけれど、遠くに見える山々は、今日みたいな天気だと雨にけぶってしまっていただろう。実家から見える山を、ぼうっと眺めているのが好きだった。

そんな天気次第で明瞭に見えたり霞んでしまったりする景色と同じように、わた

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垂直に書く

垂直に書く

ホルモンのせいで体調が芳しくない週末だった。

寝転がってスマホでパズルゲームをしたり、本を読んだり、漫画を読んだり。掛け布団にくるまったり蹴飛ばしたりしながら、不調をやり過ごしていた。(まだ痛い。困る)



最近、母校の文芸部のホームページを久々に検索してみた。HTMLタグを手打ちで作ったのであろうイニシエのホームページは今も変わらず存在していて、パスワード式の掲示板も未だに健在だった。(パ

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「若草物語」というタイムカプセル

「若草物語」というタイムカプセル

小学生の頃、新古書店が現れはじめた。新本を潤沢に買い与えられる金銭的余裕があるわけではなかったのだろう親は、わたしや妹をその新古書店に連れていき、娘たちが気に入った本を買ってくれた。(スペース的な問題もあるため、基本は図書館通いだったけれど)

そのうちのひとつが、青い鳥文庫だ。特に気に入ったのが「若草物語」で、続編が3冊あると知ったわたしは、「続きを読みたい」と親に熱望し、新古書店で見つけられな

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その一言、百人力です

その一言、百人力です

書いたものを誰かに読んでもらえていたと知るのは、いつだって嬉しい。「好き」とか「応援しています」と言ってもらえるのは、もっと嬉しい。

その言葉があるから書いているわけではないけれど、その言葉は確かにわたしの肥料になる。子どもの頃に「豚もおだてれば木に登る」との評価を親からされていたくらいには、まあおめでたいし単純だし、乗せられやすい人間なんだろう。

ただ、もちろんのこと世辞はいらない。乗せよう

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たとえ本当の姿を正しく残せないとしても

たとえ本当の姿を正しく残せないとしても

好きであればあるほど、うまく言葉に表すことができない。懸命に言葉にしようとすればするほど、本当から遠ざかっていってしまう。どんどん余計なものを貼り付けて、飾り立てて、そうして受け取ったときに抱いた感情とは別のものにしてしまう。

身体も心もすべてが飲み込まれるような「好き」は、取扱注意な壊れものだ。少し力を加えただけで、もう違うものに形を変えてしまう。形が変わってしまうだけならまだしも、壊して取り

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「特別」がはらむ残酷さと、熱くなく冷たくもない「当たり前」と

「特別」がはらむ残酷さと、熱くなく冷たくもない「当たり前」と

途中で放ったらかしにしている無料ブログがふたつある。ひとつは高校時代から23歳で結婚する前あたりまで書いていたもので、もうひとつは結婚してから働き始める数年前まで書いていたものだ。

そういえば、あの頃って何を考えていたんだろうなあ。そもそも、書いていたのだろうか。ふとそう思って、9年前の3月4月頃のブログを漁ってみた。

数本だったけれど、書き残されていた記事を読む。「パンやインスタントラーメン

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名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

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我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

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