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無限の世界で、有限を生きる。 #116

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前回、3つの思考の軸について書きました。簡潔に紹介すると、ほとんどの知識はこの3つの思考の軸で説明ができるのではないかという仮説を立てたという話でした。


前回は、3つの思考の軸の1つ目である「構造主義と実存主義」について書いてみました。


今回は、3つの思考の軸の2つ目である「無限の世界で、有限を生きる」について少し詳しく書いてみます。


必ず終わりを迎えるという宿命

「私」はいつか存在しなくなります。これはどうやら避けられない事実です。どれだけ健康に気を遣っても、それは終わりの地点を遠くに動かすだけで、終わりがなくなるわけではありません。

100年生きられるとしたら、約36500日、約5200週、約1200か月。毎年の行事は100回、オリンピックは25回、式年遷宮は5回、ハレー彗星は1回。一生で食べられる料理、読める本、観れる映画、訪ねられる旅先、出会える人。その量には限りがあります。どれだけ効率化したとしても上限があります。

だからこそ、出会いというのは「意味がある」と思えてきます。無限の中から「私」という有限性が存在する間に、何かしらのつながりのある時間があった。それは単なる偶然かもしれませんが、必然と呼びたくなるほど途方もなく低い確率の出来事であるのです。


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