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人生を考えるために役立つ、3つの思考の軸 #112

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本質、原理、真理。そんな言葉たちに惹かれます。有象無象の情報の海の中で、きらりと光る真珠のような知識。これを知っておけば、色々なことに応用ができて、一生役立つようなことを学びたいと常々思っています。

そんなことを思いながら日々知識を取り入れてきた私が、ほとんどの知識や考え方はこの3つの軸に当てはまるのではないかという仮説を立ててみたので、共有してみます。



1. 構造主義と実存主義

構造主義と実存主義という言葉は、哲学の専門用語です。構造主義とは「人間は構造(システム)によって考え方や行動を決められている」という考え方です。歴史的には、マルクス、フロイト、ソシュールなどの流れを汲み、レヴィ=ストロースがその集大成であるとされています。現代社会はこの構造主義に基づく考え方が主流となっています。

一方、実存主義は「私にとっての幸せ・理想の生き方は自分で決める」という思想です。キルケゴールやニーチェ、サルトルなどの流れにある考え方です。残念ながら(?)、レヴィ=ストロースとサルトルの論争において構造主義の方が「正しい」ということになり、現在では下火になっている印象があります。

でも、どちらかが正しくてどちらかが誤りであるというわけではないと考えています。というのも、この両者はカントのアンチノミー(二律背反)における「決定論か自由意志か」という命題にあたるからです。構造主義は決定論的な立場をとっていて、実存主義は自由意志の存在を重視していると捉えれば、どちらの主義も否定することはできないと思います。

とはいえ、ほとんどの思想はこの2つに分類されると思っています。そして、私は「構造主義的に世界を理解して、実存主義的に生き方を考える」という方法を採用したいと思っています。人間は大きく分けて生物的、社会的、個人的の3つの構造に囚われています

まず、生物的というのは、進化論的に考えれば人間もホモサピエンスという生物である以上、生存と生殖に有利になるような行動をとりたがることは否めないということです。この構造から完全に抜け出している状態は死であるので、生きている以上この生物的構造の存在は誰もが共通する境遇です。

次に、社会的というのは、自分が所属するコミュニティのイデオロギーやパラダイムを意味します。家族、学校、会社、国、時代という構造の中で生きている以上、それぞれのコミュニティの考え方に従うことが期待されます。

最後に、個人的というのはいわゆる「トラウマ」で、より簡単な言葉にすれば「思い込み」です。過去の経験に基づいて「私はこんな人だ、世界とはこういうものだ」という考えを抱くようになり、その思い込みが真理であると誤解してしまいます。

しかし、こうした構造は「私」に生きる意味を教えてはくれません。構造が期待する生き方を実践したからといって、「私」が幸せになるとは限りません。「これを満たせば幸せです」という様々な情報が巷には溢れていますが、それを満たせば幸せで満たさなければ不幸せなんて、そう単純な話ではないでしょう。

ここで、実存主義的な考え方が役に立ちます。たしかに「私」は構造の中にいるかもしれない。でも、構造の中にいることを受け入れることもできるし、その構造にいることが嫌ならば抜け出すことを選ぶこともできる。この選択を主体的にできることこそが生きる意味ではないかと思います。自分が構造に囚われていることを気づきもしない状態や、構造にとどまることも抜け出すことも決断していない状態は、本当に生きているとは言えないのかもしれません。


2. 無限の世界で、有限を生きる

人間は有限な存在です。100年生きるとしても、生きられる日数は約36500日。「私」も人間である以上、「私」という存在には必ず終わりがあります。それに比べれば、世界は無限であるといってもいいでしょう。本好きの私がよく思うのは、一生かけてもこの世界に存在する全ての本を読むことはできないのだという紛れもない事実。この事実に直面すると、「私」の存在の儚さを突き付けられたようで、虚しさを覚えます。

無限性を追い求めると、有限の人生は一瞬にして消えてなくなってしまいます。だからこそ、人間は決断を求められます。無限の選択肢の中から何かを選びとらなければならないのです。無限の世界の全てを理解することはできない。だから、自分にとって意味があると思える対象を選ぶことを迫られます。つまり、無限の世界に生きているにもかかわらず、有限で折り合いをつけることが運命づけられています。

この折り合いの付け方には、以下の3つの手順があると考えています。

1. 選択の基準を明確にする
2. 基準に基づいて決断する
3. 決断の結果を受け入れる

ミニマリズムを例に考えてみましょう。世界にはほぼ無限の商品があります。モノが欲しいという欲望も無限に湧き上がってきて満たされることはありません。そこで、自分が所有するモノの量や種類に基準を設けて、自分にとって大事なものだけを所有するようにします。そして、自分の持ち物に感謝する。このように、ミニマリズムとはまさに無限性に有限性の折り合いをつける方法と言えるでしょう。


3. 意味とは、つながりである

「私」とは、孤独な存在です。どこまでいっても「私」のことを完全に理解してもらうことはできないし、逆に相手のことを完全に理解することもできません。そんな孤独を抱える人間はつながりを求めます。そのつながりに価値を見出します。たとえば、伏線とは過去と現在の時間的つながりに意味を見出すこと、人間関係は自分と他者との関係を築くことと言えそうです。ここでのつながりには3つの種類がありそうです。それは通時的、共時的、個人的の3つです。

通時的とは、歴史的なつながりです。何かをしてもそれが過去の歴史の流れに乗っていなければ、意味があるとはみなされません。たとえば、現代アートの世界でも、ただ闇雲に奇を衒った作品を作ればいいのではなくて、過去の作品の当たり前を理解したうえで、その固定観念を打ち破るから意味があるのです。

共時的とは、同時代における社会的なつながりです。同時代の人がしていることを把握して、それに対してどのような立場をとっているのかを明確にすることで、意味が生まれるということです。価値とは差異である以上、同時代の人との差別化が意味をもたらします。

最後に、個人的とは、自分の人生の物語・ストーリーです。「私」の過去の経験が今の「私」とどのようなつながりがあるのかを絶えず考えなければなりません。その「私」の人生の物語こそが「私」のアイデンティティとなります。

「生きる意味」を考えるうえでも「意味とはつながりである」というテーゼは参考になると思います。つまり、生きる意味とは、この世界と自分とのつながりを考えるということに置き換えられるからです。生きる意味がないと思える時、それは「私」という存在と世界との関係性が見出せないと考えることができます。そして、生きる意味を生み出すキーワードは、感謝と慈悲です。感謝とは世界から「私」に与えられていることに気付くことであり、慈悲とは「私」が世界に主体的につながりを持つことだからです。


まとめ

1. 構造主義的に世界を理解して実存主義的に生き方を考える、2. 無限の世界で有限性に折り合いをつける、3. 意味とはつながりである、というのが現時点での私の思考の軸です。

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