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2024年1月21日 「性差別の医学史 医療はいかに女性たちを見捨ててきたか」感想

「性差別の医学史 医療はいかに女性たちを見捨ててきたか」
著:マリーケ・ビッグ 訳:片桐恵理子 双葉社

ひさしぶりに、読んだ本の感想です。
難解な上、テーマがテーマなだけになかなか感想が書けませんでした。
興味がある人は、こんな感想を読むよりご自身で読んだ方がいい本だと思います。
著者が言いたいことを正確に読み取れている気がしないまま、
これを書いています。
そんな理解で何故、感想を書いているのか、
それは、
この本について議論をしたいからではなく、
自分が読んだ際に湧いてきた考えを備忘録として記しておくためです。
理解が追いつかなかったので、今後何度か読んで
少しでも理解したいからです。
悪しからず。


とにかく時間がかかる本

書影の格好良さと内容を知って、
ぜひ読もうと考えてすぐに、購入に走ったものの
読み出すまでに時間がかかり、
読み通すまでに時間がかかった
個人的にはここ最近で1番の難読本です。
本当に歯応えがありました。
繰り返し読んでもほとんど意味が理解できない始末で
自分の頭の悪さを呪うことになりました。
おそらく、この本は著者の論文や研究をもとに書かれた本であり、
英語の論文を読むつもりでなかった人間にはなかなかに馴染みにくい
文章や構成なのです。
硬くて、難解なのに、比喩表現と実体験とが混じり合う文章であるというのも
理解に時間がかかる理由でしょうか。
それでも、
コツコツと読んでいく中で、非常に興味深い部分が沢山ありました。

医療における身体とは「男性の」身体である


この本を読むまで、医療は科学に基づくものであり
科学は、合理的で平等なものだから、医療もそうだろうと思い込んでいました。
医療における身体とは基本的に「男性の」身体であるということなど考えたこともなかったのです。
しかしこの本を読むと、それは自分の思い込みであり、医療においては、「男性の」身体以外は外れ値に分類されている可能性が高いことを初めて知りました。
でも確かに、と思ってしまう部分もあります。
長年通っている病院の医師は男性でとても良い方ではあるのですが
「そういう体質だ」とか「年齢を重ねたら仕方ない」というコメントが多いのです。
がん検診で引っかかった時もそうでした。
「何かあるけどおそらく大丈夫」と言われ、しばらくすると改善したので、それはどうして変化したのかと尋ねても、それもよくわからないという返答でした。
結局のところ、女性の身体や病気は、男性の病気以上に解明されていないこと、わかっていないことが多いということでしょう。
大体の不調は体質か年齢に帰され、それと何とかやっていくことを勧められます。
女性の体は、一般的な体、「男性の体」から取られたデータからは、
外れ値なのです。
これは、読んでいて非常に驚かされました。
人口の半分の存在が外れ値!!!

思い込みは怖い

欧州と米国の女性の死因第1位は心疾患だそうですが、
現在でもそういうイメージはまだなく、
心疾患は働き盛りの男性の病気であると思われており、
女性の心臓の痛みは心因性、「ヒステリー」「気の病」と思われがちだそうです。
そして、死因第1位の心疾患よりも、乳がんの方を心配しているという研究結果があるのだとか。
確かに、心疾患が欧州と米国の女性の死因第1位が心疾患というイメージは全くありません。日本でも乳がん検診は声高に叫ばれるようになりましたが、心臓の話は聞いたことがありません。
人種の違いがあるとはいえ、欧州と米国で死因第1位なら、日本でもそれなりの方がなくなっているはずなのに、そういったイメージがないのです。
思い込みって怖い…と思いました。胸が痛くても「ストレスかしら…」でやり過ごす、女性は多そうです。
著者によれば、女性の心疾患は男性の心疾患と異なる特有の問題があり、画像診断を使った研究では冠動脈疾患のパターンが男女で異なることが明らかになっていると言います。
「女性だから心疾患ではなくヒステリー」などと言うのは、「男性は乳がんにはならない」と言う思い込みとさしてかわらないということでしょう。
思い込みは、病気の治療はもちろん、科学、そして医療の進歩をも邪魔するものですね。
思い込みって、害がないように見えて、かなり怖いものだなぁと思います。

身体は誰のもの

女性の体で男性と異なる機能があるものは
全て「妊娠と出産」に関連したものであるという刷り込みが我々人間にはあるようです。
それはひいては女性の肉体の役割は「妊娠と出産」であると限定しているとも言えます。
女性の体はなかなかその役割イメージから抜け出せず、
それ以外の可能性というものが閉ざされているようにさえ思えます。
女性の体は未来の「誰か」のためにのみあるものなのか、
体は個人のものではないのか、
女性の体を用いない生殖の方法は発展しないのか、
など色々と考え込んでしまいました。
この身体さえも自分のものではないということの恐ろしさ、
社会的につかわれるためにあると規定される恐ろしさを
男性にも理解してもらうにはどうしたらいいのだろうとも考えています。
「気にしすぎ」とか「人類の未来のためにはしょうがない」と言われそうでつらいところです。
生きているだけで、人生の一つの大きな方向性を勝手に決められ期待されると言うことの残酷さをどういえばいいのでしょうか。

我々はまだ家父長制のもとにいる

中世から、少しずつ進歩してきたとはいっても
我々はまだ
「女らしさ」「男らしさ」を押し付けられる、家父長制のもとにいます。
おそらく英国人である著者よりも東アジアの国、日本にいる我々はもっとそのシステムに絡め取られています。
著者は男性と敵対する姿勢を保つわけではなく、家父長制は男性にとっても害を及ぼす事例があることをあげています。
そして、家父長制を解体していこうと呼びかけています。
しかし、家父長制を解体していった先にあるものが何かということは、著者にとってもまだ明確ではない気がします。
おそらく、男女の区別なくそれぞれの身体やその特質が尊重され、認められるシステムを目指していきたいのだと思います。
しかし、それってどう言うことなのだろうと思うのです。
その世界にどうやって近づいていけばいいのでしょう。
研究者でない一市民の我々は、どうしていけばいいのでしょう。
何とか最後まで読み終えて、
荒野に放り出されて「これからそれぞれ頑張りましょうね」という置き手紙だけもらったような気がしました。
自分の頭で考え、行動していくということになれていかなくてはなりません。
慣れないこの身にはよるべなさばかりが沁みますが
「女だから」「男だから」も罠にハマらないようにするには、
おそらくそうしていくほかないのでしょう。
歯応えのある本でした。
しばらく時間が経ってから再度読み直してみたいと思っています。

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