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12月25日の手紙 年賀状を書こう

拝啓

年賀状を作成・印刷して、投函しました。
これで一安心です。
そろそろやめにしようと思いながら、
結局、今年も出してしまいました。

仕事にゆとりがある頃は、
年賀状に向けて、イラストを描き、
それをスキャナで取り込んで、
印刷する…という至極面倒なことを、
当然のようにやっていました。

イラストはデジタルではなくアナログ、つまり紙に下書きをしてペンを入れ、着色していたのです。
その過程もさることながら、
イラストはアイデアが湧くのにとても時間がかかります。
干支の写真やイラストをあれこれ眺めて確認し、その特徴を頭に叩き込みます。
それから、ああでもない、こうでもないと構図を考え、
鉛筆で下書きを、何度も描き直すのです。
下書きが出来上がると、ペン入れをして、
水彩クレパスを水でぼかしながら、色を塗ります。
せっかくいい下書きができて、ペン入れが上手く行っても、
着色で全てが失敗になることもありました。
そうすると、もう一度、最初から、描き直さねばなりません。
着色が苦手なもので、色をつけ終わるまで気が抜けなかったのを思い出します。
 
今考えると、
どれも、時間のゆとり・心のゆとりがあるからこそ、できる作業です。
技術がない分、その2つにはゆとりがないと到底完成できません。

漫画家さんやイラストレーターさんは時間も手間もかかるお仕事だ、と改めて感じ入ります。

ちなみに、友達は、知り合いのイラストレーターに、年賀状を発注しており(もちろん料金を支払っている)、
既に12月上旬に、納品してもらっていました。
毎年、干支にちなんだ、工夫を凝らしたイラストで、
もらう方も楽しくなるような年賀状です。

それだけのクォリティも当然なく、
何か報告があるわけでもなく
家族の写真を掲載するわけでもないのに、
どうして年賀状を出しているのか、自分でもやや不思議です。
なかなか準備できずにいると、気が重くなってきます。
年賀状は出す期限もあるので、じりじりと追い詰められてくるのです。
年末はそれでなくても忙しいのだから、
いっそのことやめて仕舞えばいいのに、
なかなか踏ん切りがつきません。

年賀状をたくさんもらったからといって、
何か良いことがあるという訳でもないのに、と思います。
それでも…、それでも年賀状を大事に思っている自分がいるのです。
ただの紙、ただのハガキ以上の存在です。
あれこれ考えてみると、
特別なノスタルジーを、年賀状に感じていることがわかりました。

長期休みに、友達と遊ぶようなことがあまりない子どもだったので、
年賀状が届くと、ことのほか、嬉しかった覚えがあります。
もちろん、友達が1人もいないわけではありませんでした。
それに、その頃だって、電話はあったし、お家に誘いに行けばよかったのですが,
どうにもそれが億劫だ、と思っていました。
億劫というのはスタイルで、
結局、誘いの電話をかけたり、誘いに行って断られるのが、怖かったに過ぎなかったということです。今ならあっさり、認めることができます。
でも、当時は、そうは出来ませんでした。
大体の子どもと面白いと思うものが異なっていることには薄々気づいていたものの、
皆のようには振る舞えないことをまだ認められなかったからです。
他の子どもが面白いと思うアイドルやテレビ番組、おしゃれ、恋愛など、どれもあまり面白くはありませんでした。興味があったのは、読書とお話を作ること、人形で遊ぶことでした。
でも、面白いふりをするくらいの知恵はあって、皆に同化しているつもりだったのです。

誘いの電話をかけたり、誘いに行ったりすると、
そうやって、
どうにかやっている擬態が発覚するような予感があったのかもしれません。

持て余した時間を、年賀状のデザインに使ったような覚えもあります。
そして、年賀状のいいところは、相手に届いた後、学校が始まるまでには数日時間があることです。
あざけり、もしくは感想をすぐにぶつけられることはほとんどありません。
自分の作品(例えば絵)を見せるのが恥ずかしいけれど、
同時に誰かに見てもらいたい気持ちもある子供にとっては良いイベントだったのだと思います。

また、親からあれこれ言われずに、葉書をもらえて、絵を描けるというイベントでもありました。
ただ落書きをしていたら、「宿題は?」と言われるものですが、「年賀状を書いている」と答えれば、さほど追及はされません。
大人にとっても、年賀状は特別で、昔は一家総出で、年賀状作りをやっていたような気がします。
父は、年賀状を数十枚でなく、百何枚、数百枚、出していた時期があったかもしれません。
令和の現在、仕事の付き合いで、そんなに大量の年賀状を出す人は少なくなったでしょうね。

自分の中にいる子どもが「創作をして、誰かに見てもらいたい」という気持ちで、
年賀状にこだわっていたことを思い出し、
その気持ちに納得すると、年賀状が書きやすくなりました。
大人の社交辞令で出す、と考えると、辛いわけです。
自分のため、自分の創作のひとつと思うと、楽しく制作できました。
あまり時間をかけず、それでも自分が作った、創作したと思えるもの…と考えて、
スマホで撮った写真に加工を施し、その写真をもとにデザインすることにしたのです。
スマホの写真アプリと、プリンターメーカーのアプリの2つだけで、印刷まで完結しました。
かかった時間は半日ほどです。
あっという間でしたが、なかなか満足しています。

個人的には、創作物を送りつけると言うことは、「生きてるよ」の同義語と言えます。

年賀状は、「まだ、生きてるよ。あなたもできたら生きててね」という狼煙のようなもので、詳細は大事ではないのだと思うのです。
見栄や社交辞令をとっぱらった年賀状、楽しいですよ。








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