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創作SF もろびとこぞりて

「うちがいうたことは、忘れてええんやからね」と声が聞こえた。
落ち込んだ様子ではなくて、わりとさっぱりとしていて、面白がっているような口調だ、と阿南は好感を持った。
どこから聞こえたのだろうと視線を上げる。
今、阿南がいる待機カフェは、温かい色のライトに、緑、白、茶の3色で構成された内装だった。壁や天井、テーブルは、木製風の合板で、あちこちにフェイクグリーンが飾ってあった。チープではあるが、居心地の良い空間を作ろうと努力しているのはわかる。
かかっている音楽は、英語のポップス曲だ。どの曲も、最近の曲ではなく、少し前のものか、カントリーミュージックに近いジャンルの曲のように聞こえる。おしゃれすぎないというか、
どこか、田舎くさいというか、土埃っぽい雰囲気、よくいえば、親しみやすさがある。
それでも聞いたことがある曲が一曲もないのは意図的なものかもしれない。つまり、記憶を呼び覚まされて、あまり感情的にならないようにするための。
座席は全てボックス席で、言われなければその昔にあったファミリーレストランのようだ。
ファミレスか、懐かしいと阿南は思う。若い頃は、ドリンクバーとなにか一品を頼んだだけで、長く粘ったものだ。恋愛だとか、今後の相談だと理由をつけて、仲間内で集まっていた。あの頃は真剣に悩んでいたが、今となれば全てどうでも良く、あの瞬間に一緒にいたかっただけだとわかる。もちろん、そんな恥ずかしいことは誰も口にはしなかったけれど。
仲間は皆どうしただろうと阿南は考えた。
1人はあのまま田舎にいて家業を継いだと聞いた。家業とは何だっただろう。土建屋?農業?畜産業?それとも、廃品処理工場?その中のどれかで、もし違っていたとしても似たようなものだろうと思う。
仕事の相談など何の意味もなかった。やるべきことをやるしか結局はないのだから。職業選択の自由がある最後の時期とはいえ、その幸運に選ばれる人間はさほど多くはなかった。皆、バイトで食い繋いでいたものだ。逆にいえば、それができたと言う時代でもある。
そういえば、そのほかの奴らは?と阿南は考えたが、どの仲間の顔も、もはやはっきりとは思い出せなかった。
うまくいっていれば、家族を持ち、その生活を守るためにあの田舎町できゅうきゅうとして働いていたはずだ。都会のベッドタウンになり損ねた、山あいの小さな町。
あの頃、あのあたりで、夜中に、煌々と明るいのはファミリーレストランかコンビニエンスストアだけで、バイト上がりに、それらを交互に行き来する生活から、1人だけ抜けた事実を思い出す。
そう、あそこから抜け出す前は、バイト上がりに、ひとつの言葉、ひとつのメール、いくつかの視線、そういう話を繰り返し繰り返し仲間で吟味し、それがどういう意味を持つものかと話し合うのが遊びだった。唯一の娯楽だったといってもいい。それでも数年後、もしくは10年後にはもっと良い暮らしができるとぼんやり信じていた。
仲間は誰も酒を飲まなかったから、ファミリーレストランではドリンクバーを頼んで、コーラかジンジャーエールを,飲みまくっていた。タバコを吸う奴は結構、いた気がする。その頃はまだファミリーレストランも喫煙席と禁煙席は完全に分けられていなかったと思う。灰皿にたまる様々なタバコの銘柄の名前さえも思い出せないのに、吸わなかったタバコの煙が懐かしい。
こことそっくりの、いや、もっと無骨で飾り気のない内装のファミリーレストラン。
今はもう、ファミリーレストランは深夜営業をしていない。特にあんな田舎では人手がなくて、営業することができないだろう。ひとは皆、どこに集まっているだろう。まさかと思うが、公民館だろうか。それとも早朝の公演にでも集まっているだろうか。
そもそも、あの町はまだ『ある』だろうか。

阿南がいるここは、ファミリーレストランそっくりだが、ファミリーレストランではない。
しかし、ここでは、ファミリーレストランのように、食べたいものや飲みたいものを注文することが可能だ。
何を頼むべきかを考えている時、冒頭の声が聞こえてきたのである。
どうやら、阿南の視線が向かう側のボックス席から聞こえてきたようだ。ボックス席同士の間には、加工を加えられたアクリル板が立てられていて、様子を覗くはできなかった。
「かわいそうやわ。気を遣わせて」とどこか、楽しげに声はいう。
その声をかけられた相手は鼻を啜って泣いているようだった。くぐもった音だけが聞こえてくる。
ずいぶんと間があった後に、
「気にせんでええんよ」と柔らかく声は続けた。
「私が決めたことやからね」

この場所にいて、あれだけ明るくキッパリと言える人とはどういう人だろうと、鉄板ハンバーグ目玉焼き付きセットにソフトドリンクを付け加えて注文しながら思う。
注文といっても、空間に投影されたハンバーグ目玉焼き付きセットの画像に2回触れるだけでよい。

しばらくすると猫型の給仕機械が鉄板バンバーグを持ってきた。受け取って、噛み締めて食べる。猫型給仕機械は楽しげなまたたきをしていた。
ドリンクバーに行ってい事に気付き、席を立つ。ドリンクバーに行く際に、先ほど声が聞こえたボックス席の横を通る事になった。
泣いていたのは、スーツの上にダウンジャケットを着た中年の男だった。髪に腰がなくなって、ぺったりと頭蓋に張り付いている。
パーマを当てた肩までの白髪の女性は、男の頭を数回撫でてにっこりと笑った。妙な話、男の方が年老いて見える。
細いフレームの眼鏡をかけていたが、それでもその笑顔がよく見えた。
「さあ、もうええんちゃう」
男は髪と同じように力無く立ち上がった。
「大丈夫、大丈夫」と女性が励ますように言う。
阿南はいたたまれずに、ドリンクバーの方へ急いだ。混んでくれていたら良いが、誰もいない。今は繁忙期ではない。もちろん、その時を選んだのだ。中途半端な、この時期を、と阿南は思う。
コーヒーを飲むべきか紅茶を飲むべきか、ソフトドリンクを飲むべきかを考えて時間を潰した。さっきのあの光景をもう一度見る自信はなかった。人生で1番深く悩んでいれたコーヒーになった。
ボックス席に戻ろうとすると、隣の席はもう、メガネと白髪の女性だけになっていた。
男が座っていた側には、口がつけられてないのだろう、カップの縁までなみなみと注がれたコーヒーカップが置かれていた。女性の前には空になったコーヒーカップがある。
女性は先ほどとは打って変わって、くたびれた様子で、ひとつ、ため息をつくと、生ビールを注文していた。
空中に表示された注文デバイス、その生ビールの映像越しに、阿南と目が合う。
「あらまあ、お恥ずかしいところを、ごめんなさいねぇ」
恥ずかしいと言うのが何についてのことだろうと阿南は思う。
日中、それも午前中から生ビールを飲むことなのか、それとも…と考えていると
「えらいメソメソしていたでしょう、あの子。もうええのにね」
チェーンのついた眼鏡を外して、首から下げ、女性が言う。
そちらの方かと阿南は思う。
「でもまあ,送り出す方は、そんなに冷静にはなれないものではないですかね」
「あら!お仲間かと思ったら、ご家族やったん?」
女性は心底申し訳なさそうに、頭を下げた。阿南は、ふっと笑ってしまう。
「いえいえ、お仲間…のほうですね」
「あらまあ。でもそうやんねぇ」
女性は、ごく自然に向かいを手のひらでさし示したので、阿南は、素直にそこに座った。女性が、冷え切ったコーヒーを机の端によせる。阿南はコーヒーカップを置く。
「出発予定日はいつにしてはんの」
「2日後ですかね」
「私はねぇ、明日」
2人はそれぞれの回答を噛み締めて黙った。
こう言う時のためにあの英語のポップス曲は流れているのだろう。
「…さっきのは息子。息子と言うても、遺伝的繋がりはあらへんの。それでもやっぱり親子やからね。納得はなかなかできへんみたい」
「そうでしょうね」
「でもまあ、色々考えるとこれが1番ええんやと思う。こうすればほんのちょっとでも財産を残せるかもやし」
阿南は無言でうなずいた。
お互い、自分の選択が真に正しい自信なんてない。おそらくこれはひどく間違った判断なのだろうと思っている。
だから、何となく言い訳を言いたいのだ。
「おいくつなの?」
「あー、160才です」
「まあ!」
「初回の適合がかなりうまく行ったみたいで、あまり外見が老けないんですよ。稀にそう言う人間がいるみたいです」
「羨ましなぁ」
「結構、言われます。でもそう言われるのも疲れましたね。中身は、頭の中も身体の中も、わりとボロボロです。不調が多いというか」
「私は130やけど、同じやわ。かなんなぁ」
2人で笑った。
「それに、話が合う人がもうほとんどいません。昔のことを話しても、誰も知らなくて。面倒だから外見の年齢を名乗ってますけど、それも辛くて。誰に対しても敬語で喋るようにしてたら、抜けなくなりましたよ、敬語」
「私は逆。この外見(そとみ)になってから、ずっとおばあさん扱いやわ。この外見になったのは50の頃。若白髪が多すぎるなら、思い切って、脱色したん。その後、処置を受けたから」
確かに、阿南が近くで顔を見てみると白髪の印象より、女性の顔はずっと若い。
「面倒やから、おばあさんやってるんやけど、たまにあんたみたいな人と会うと調子くるうわ」
2人は顔を見合わせて笑った。

そこから、お互いのことをとつとつと語り合った。女性は、東雲(しののめ)というらしい。
仕事は薬剤師だという。
東雲の語り口は面白く、阿南はつい引き込まれた。
若い頃(50歳〜60歳はまだ若い)の東雲のことを老婆だと考えて対応する人々がどれほどいたか、
数十年も高齢の女性として過ごすとどれほど多く軽んじられる経験をするのかなど、暗くなるはずの話も、東雲が語るとなかなかに面白い。
「こんだけ働いて、それでもまだ明日の食事とか支払いのことを考え続けるのに、飽きてしもうた。いつ終わりが来るのかわからんマラソンはしんどい」
阿南にもその気持ちはよくわかった。未来永劫続く生活。明日のパンを買うために働き続ける毎日、すでに友達も家族もほとんどいないのに、日々は過ぎる。それはもはや希望ではない。
「今回のことを決めたのは、病気や怪我をして、ナノマシンの治療で完治したと言われてもあちこちが痛むからです。医学的にはそんなはずはないらしいんですけどね。でも毎日毎日身体中が軋んでいる気がする。本当の身体はとっくの昔に、土に帰っているんですよ。なのに動いてるから脳にエラーが出てるんだと思う。幻肢痛のようなものだと思います。幻肢死と言ってもいいかもしれない。この身体はすでに死んでいるんじゃないかと思います」
阿南は珍しく、自分の話をする。
東雲は何も言わずに聴いて、そして「ほんまになぁ」と言って、生ビールをごくごくと飲み干し、次を注文した。
2人はしばらく話をし、東雲はさらに2杯ほど生ビールを飲んだ。
頭がしっかりしていると思う時もあれば、意識が混濁する時もある、とか、
元気なら子供を育ててみないかという政府からの通知にうんざりしているとか、
財産を狙う奴がやってくるとか、
お気に入りのメーカーはほとんどなくなってしまい、食べたいものが見つからないとか、
最近の人間の喋り方は早くて、短縮されていて、ボソボソ言うので聞き取りにくくて、苦労するとか、
どんどん進化していくデバイスについてくのが何より大変であるとか、
こんなに長く生きることになるとは全く思っていなかったとか、
墓は全てが朽ちてしまったから、集団墓にはいるつもりだとか、
そう言う話をした。
どれも、なかなかできない話だ。
ふと時計を見た東雲は「あかんわ、もう時間や」と笑った。
阿南は静かにうなずいた。
「ひさしぶりに楽しかったわ。そうやね、またどこかで会えたらね」
東雲は一呼吸おいてきっぱりいう。
「その時はお互い、身体と年齢がおうてることを祈るわ」
阿南は「そうですね」と返す。
東雲は「何や、最後まで、敬語、治らへんかったなぁ」と笑って、立ち上がる。
明日にまた会うバイト仲間のようだ。
東雲は、手を振ってから、背中を翻し、待機カフェを出て行った。
阿南は、「また!」と東雲の背中に呼びかけた。
「また明日」と声をたわふ。
懐かしい、と阿南は思う。
引き止めるつもりは毛頭なかった。
それぞれ、もはや何を選ぶべきかは、十二分に、分かっている。
それでも「また明日」だった。
懐かしい言葉、全てが込められた言葉、
だってそれ以上にふさわしい言葉はなかったから。











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