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【海士町】まとまってないところは思いつくまま話してた人

海士町イン旅ュー2024夏はっじまるよ~🌊

今回ご参加いただいたのは さやか さんです!


現在:ここでの暮らし大好きですっていう顔をしてたいんだろうな。

ゆいぴ:
さやかさんは今、何をしている方ですか?

さやか:
今、何をしているか?一番はっきりしたアイデンティティはお母さんです。小学校4年生の娘がいて。彼女が誇りに思うようなお母さんでいたい、というのがたぶん一番自分の中で強いアイデンティティです。一般的な意味での何をしていますか、仕事にあたる部分としてはフリーランスです。主に一つの会社の仕事をしていて、東京にあるIT系の会社で。アプリとかを作ってる会社なんですけど、そのアプリのローカライゼーション。今はもうほぼ英語だけになってしまったかな。だから英語化の部分をマネジメントしているのと。あと海外のお客さんとの商談にあたって資料作成もするし、ミーティングで最近通訳的な役割がすごく増えていてっていう感じですね。

それから島の中では、村上家資料館っていう昔のお屋敷を資料館にしたとこがあるんですけど、そこをこの地域の方にも利用してもらえるような施設にしたいっていうプロジェクトが走っていて、それのコーディネーターをさせてもらっています。その場所を活かした季節の行事みたいなことを企画運営するのと、昔は寺子屋として使われてた場所なので今の時代の寺子屋として復活させようっていうことで、その中で英語の先生もしています。あとはちょこちょこ通訳やら翻訳やらの仕事を受けたり。それと、夫がブドウを育ててワインを作っていてその仕事を、周りの人が思うほど手伝ってないんですけど、手伝わなきゃなって思ってる感じです。

ゆいぴ:
フリーランスのお仕事はいつからやってるんですか?

さやか:
海士町に来る前、ここに来る前はタイのバンコクにいたんですけど。そこでしていた事業を閉じたのは5年半ぐらい前で。そこからしばらくどこに住んで何をしようかなっていうのを考えるために家族であちこち旅行していて。そのときに縁あって今のメインでやってる会社、それは週に8時間みたいな旅行中にできる感じの仕事で始めて。いつの間にかどっぷりになって。ただ正社員という形で契約してしまうのはちょっと違うので。フリーランスで業務委託を受けてるっていう形で続けてます。

ゆいぴ:
海士町に来たのはいつですか?

さやか:
もうすぐでちょうど5年になります。5年前の8月末のキンニャモニャ祭りの前日に来て。

ゆいぴ:
ちょうど今の時期ですね。

さやか:
そう、本当に今の時期。そのお祭りのことを聞いたんで、絶対お祭りに間に合うようにって言って来て。最初はお試し移住って言って、1ヶ月半だけのつもりで来て。そのままもう1ヶ月経たないうちに「ここでいいね」ってなって実際に荷物を全部持ってきた感じ。

ゆいぴ:
それはご家族で「ここでいいね」って?

さやか:
そうですね。夫は元々ここに住みたいって言っていて。すごい話が前後しますけど、5年前の冬から、日本でいう冬からですね、1月ぐらいからずっと世界あちこち旅して回りながら、次はどこでどんな生活をしようっていうふうにしてて。それまではこの国でこういう仕事があるからそこに移住しよう、みたいな感じで場所を決めていたんですけど。そうじゃなくて、どんな暮らしがしたいからここに住みたくて、そこでできる仕事をしよう、みたいな形にちょっと切り替えようかっていうふうに話をして。その前にタイではすごい忙しかったんで、いろんな場所でのいろんな暮らしを見ながら、しばらくできてなかった旅みたいなこととか、いろんなところに友達を訪ねたりとかをしようっていう形で半年ぐらい旅して。

その旅の終わり掛けぐらいにたまたま夫が出張で東京に来たときに、昔のお友達とランチか何かしながら、今こういうような暮らしがしたくて次の場所を探してるんだっていう話をしたら「海士町行ってみたら?」って言われたみたいで。たまたま海士町には私の高校の同級生が2人も移住してきてるんですよ。っていうのがあって、海士町ってさやかが言ってた高校の同級生がいるとこじゃない?って話になって。ちょっと日本滞在伸ばして行ってくるみたいな感じで、彼だけ2泊3日で海士に来て。すごい惚れ込んで帰ってきて。あそこに住みたい!ってなって。私はそのときはまだ全然日本は考えてなかったから。あんまり子育てがしやすい印象がなくて。しかも寒いの苦手なのにそんなに暖かそうな場所でもないし、田舎住んだことなかったし。ちょっといきなり決められない、でも別にそのときにすごいここに行きたいって場所があったわけではないので、じゃあ1ヶ月半ぐらい行ってみてそれで決めようか、って言ってきたのがきっかけなんです。何の質問に答えてたのか忘れちゃったけど。そんなような流れで(笑)

ゆいぴ:
さやかさん的に決め手が何かあったんですか?

さやか:
決め手というか、住まない理由はないねって最終的にはなったんですけど。元々その半年の旅行のうちの大半が結局アフリカにいたんだけれど。その当時娘が4歳とかだったんですね、すごいなぜなぜ期で常にあれはなんでこうなんだってずっと聞いてくる子で。だけどバンコクにいたときは自分たちでビジネスしてたのもあってすごい忙しくて、話を聞いてあげられなくて。娘が何か言ってるのを私は仕事しながらうんうんって聞いて。あれ、今なんて言ってたんだろ?って思うことが何回もあって。それが嫌だなーっていう思いを抱えて旅行が始まって。

アフリカで飛行機移動したくなかったので、できるだけ陸路で移動してて。だからバスで10時間とか電車で3日とかそういうことをしてたら、やっぱり車窓を眺めながら話をするしかない時間があって。彼女の質問にもたくさん答えられて。そういう子供のなぜって結局一つ答えると、それはなんで?ってなって、またそれはなんで?ってどんどん深くなるんだけど、その答え方によって自分がこの世界をどう見てるか、深まり方が全然違うなってそのときに思って。そこで、題材としてアフリカだから生き物がたくさん周りにいたっていうのもあるんだけれど、私はこの世界を命の循環として捉えてるんだなってそのときにすごく思ったんですね。その娘との時間もすごく良かったから、私はこういう命の営みを感じられる場所で、それを娘と一緒に楽しむ時間を持ちながら暮らしたいっていうふうに思って。ただあちこち行った結果として、世界のどこでも別に私は住めそうだぞってなって。逆に選択肢が広がってちょっと困っていたんですね。

最初に言ったように元々日本に戻るってこと考えてなくて、しかも田舎で生活するって考えたことがなかったから。どっか北欧とかカナダとかの、近くに国立公園でもあるような都会のイメージだったんですね。で、夫に、住む場所に関して基本的に私は条件はないけど、カフェがある場所じゃなきゃ嫌だ、って言っていて。なぜカフェかっていうと、匿名の存在になれる場所が私には必要で。どこの誰でもなくて何の役割も担わずに、そこで誰でもない私として好きにしていられる場所があるところじゃないと住めないから、だから田舎は無理だと思って言ってたんだけど。海士町に来て1ヶ月経って、ここでいいかもねってなったときに夫に「カフェないけど大丈夫?」って聞かれて(笑) そういえばカフェに行きたいって1ヶ月間全く考えなかったなって思って。それってなんでかな?って考えてそのときに思ったのは、ここは本当に何も隠せない場所で。もうみんな見てるしみんな繋がってるし。郵便屋さんからお店の人から、みんな知り合いなんですよね。誰かのお父さんとか、そういう感じだから。社会的機能を持った人たちとそのサービスを受ける人として接するんじゃなくて、生身の私として、この生活の全てを行っていて。そうしたらもう何も隠せないから。最初田舎ってプライバシーがなさそうだから嫌だって思ってたんだけど、もうこんだけないと隠そうとか無理だなって思ってちょっと諦めた。もうそういうもんか、もう全部晒すんだな、って思ったらすごい楽になって。

これ他の人に話したときにちょっと不思議がられたっていうか、都会にいた方が常に誰でもなくいられるからカフェとかいらないじゃん、って言われたんですけど。でもたぶん私は常に「ここでは私は4歳の娘を持った母親の顔をしてなきゃいけない」とか、無意識でたぶん思ってたんだと思うんですよね。スタバに行ったらちょっとスマートに注文しなきゃいけないとかね。でもたぶんそういうのが、私はこうで、こういう旦那さんがいて、私の子供はこういう子で保育園ではこういう振る舞いをしてる、みたいなことをみんなに知られてる環境にいたらもうね。その場面場面に応じていろんな顔をしなくてよくなったので。だからカフェで全部を脱ぎ捨てたい、っていう欲求がなくなったんだと思うんですよね。

そういうところもあり、自然がとても近くて日々の営みの中に命っていうのがすごく関わっていたってこともあって。あと人との繋がりがすごく近くて。日本苦手だなっていうのには子育てしづらそうっていうのもあったし。東南アジアに何ヶ国か住んでたときに、人と人がすごい近いし、知らない人でも気軽に挨拶するような関係性だったりっていうのがすごくいいなと思ってたので。ここに来てみたら似たような環境があるって思えたり、人と人がすごくお互いに頼り合って生きてるのがいいなって思ったし。かつ子育てに関してもみんなが見てくれるから。実際にここに来て「ここでだったらもう1人作ってもいいね」って話をしたぐらい、子育てっていう面でも全然不安がないと思ったし。いろいろ理由はあるんだけど、当時はどっちかっていうと、ここに別に住まない理由がないねっていう感じでした。元々割と数年で場所を移動して生活してたので、ずっと住まなきゃいけないっていう意識は全くなくて。住みたい限り住んで、また別にいい場所ができたり、ここで嫌なことがあったりしたら移ればいいしって思っていて。最初はいろんな人に何年いるの?とか、ずっと住むの?とか言われるのが、え?って(笑) 何年住むか決めてないし、でも別にずっと住むとも決めてないしって思ってたんですけど。たぶんずっと住まなきゃいけないっていう気負いがなかった分、今住みたい場所はここだっていう選び方をしました。

ゆいぴ:
さっき言ってた村上家資料館のプロジェクトには何がきっかけでジョインしたんですか?

さやか:
そうですね。さっき高校の同級生が海士町に住んでてって話をしたけれど、村上家資料館を委託管理している風と土とっていう会社があるんですけど、そこの代表をしている阿部くんと、私が移住してきた当時そこで社員だった浅井くんっていう2人が同級生で。だから最初お試し移住をするにあたっても、その前の夫が見に来るにあたっても、その2人に連絡を取っていろいろ案内してもらったりしていて。お試し移住のときには、1ヶ月半住める家も風と土とが借りてる空き家物件を使わせてもらえたりとか。そうそう、家具家電とかも全部整ってるところに入って。

そういうのもあるかもね、住もうと思ったきっかけとして。そうやって何でもいろいろ助けてくれる人たちがいるし、あちこち声かけたらいろんな人が助けてくれるっていうのが1ヶ月の間で実感としてあったからですね。その関係があったので、風と土とっていう会社はもう来てすぐから親しみを持っていて。で、浅井くんから話があったのかな。今こういうコーディネーターを探してるんだけど興味ない?って言われて、やろうと思ったんですね。元々続けてた仕事はしてたけど、島でも何らかの仕事をしたいなというのは思っていたので。お金もらうもらわない関係なく、何か役割みたいなものが欲しいなって思ってたので、すごくいい機会だなと思って引き受けたという感じ。

ゆいぴ:
海士町に移住してきて約5年ですよね。今どんな気持ちですか?

さやか:
すごいざっくりとした質問ですね。プロジェクトとしてはこれまで4年、今年5年目になる。10月にある行事も戦後に廃れていたものを復活させるっていう形で始めて、毎年かなり風物詩的に子供たちの間でも知られてきているなと思うし。それに限らず、村上家資料館っていう場所は、いろんな季節の行事のイベントをする場所だっていうのが。かつ私はそれに関わってる人だっていう認知のされ方をしてきてるなと思うので、それはすごいありがたいなと思います。ただ、ちょっと最近物足りなさを感じていて、たぶんそれは最初の頃にゼロから作り上げたときの感じがもうないから。でも続けてきたことはやっぱり続けたい。だからこれをやめて新しいものを始めるみたいなことにはあんまりならない。わくわくはちょっと今減っていて。割ともう段取りとかもわかったことを淡々とすることが多くなってきたので、何かもう少し考えたいなっていうフェーズには来てます。村上家のプロジェクトに関しては。

でも今年、村上家夜神楽っていうのを5年ぶりにして。夜に村上家資料館の外で神楽をしてお客さんに来てもらうんですけど、結局雨だったんで室内に変更したんですけど。それは割とずっとやりたい、やってもらいたいというふうに望んでいた人たちがいたもの、コロナ禍とか入ってしばらくできなかったものをようやく復活させられたから、それはすごくやりがいがあった。けどそれも、たぶんそんなに自分発信じゃないから。こういうふうにしたい、前回こうしたものをいかに良くするか、っていう頭の使い方はしたけど、元々自分がどうしてもしたかったこととは違うからですかね。そうね、やっぱり若干今マンネリ化だな。マンネリ化してきてるなと思ってて。これはでもあれですね、仕事の内容のせいじゃなくて、ちょっと私の意識の問題だなー。

質問はあれですよね、島の暮らし全般ですよね。でも全体的にちょっと今停滞していて、たぶん公開インタビューっていうところに抵抗があったのもその辺なんだろうなと思ってます。島の暮らしがっていうよりも私の今の人生フェーズ的にだなと思ってるんだけど。動きが今あんまり少なくて、それかつ新しいことを自分で始められてなくて。なんとなく自分で動かなくっても新しいことを始める状況にしばらくあったので、それに甘えてしまってきたというか。そのせいで自分で動かないと何も動かなそうな状況になりつつあって、でも何もしてないっていう感じだと思う。

質問とちょっと違うけどさっきのカフェ云々の話で、最初はそう思った、っていう言い方をしたのは、今回のインタビューをなんでここまで公開したくないんだろうって考えて。最初に言ったようにもう全部さらけ出してるんだったら関係ないはずなのに、私は確実にインタビューが公開されることをすごい憂鬱に感じてて。なんでだろうと思ったときに、やっぱり最初は旅人感覚だったんだろうなって。別に全部さらけ出したところで特に不利益もないというか。仕事も別に地元のどこかの組織に属しているわけではないから、その組織を背負って何かとかあんまり考えなくていいし。だからある意味そのしがらみみたいなところが全くない状態で、プライバシーどうせ無いしみたいなところだったのが、だんだんやっぱり5年も住むとそれなりに地域の中でのいろんな社会的役割があるんだなって。意識してなかったけど、その辺は無意識のうちに意識しながらこの島で暮らしているようになってきてるんだなと今回のインタビューで思った感じです。

具体的に何って難しいけど、でもたぶんやっぱりあれなんですね、ここでの暮らし大好きですっていう顔をしてたいんだろうな。そういう意味では社会的役割とはまた違うかもしれないけれども。でも外から来て、ここである程度の期間住もうというふうに決めた家族として、この島のことどう思ってるんだろうっていう目ではきっと見られ続けているから。そこには基本ポジティブな顔だけを見せていたいんだろうなと思いました。好きなんだけどね。さっきも言ったように別に島のせいとかじゃない、私の今の人生フェーズの問題だなと思ってるんだけど。なんか今ちょっと閉塞気味です。

過去:たぶん留学の申請書に書いた時から、やっぱり母親みたいになりたいって常に思ってたんだと思うんですよ。

インタビュアーゆいぴ!

ゆいぴ:
子供のときってどんな子供でしたか?

さやか:
私4月生まれで、今時の人は4月生まれだからどうこうって言わないのかもしれないけど基本的に同じ学年の子に比べて何でもできる子だったんですよね。勉強もできるし運動もできるし、器用だし、基本先生には気に入られるしみたいな。先生の言うことをただ聞いてる優等生じゃないぜっていうかっこいい顔を友達の前で見せれるぐらい諸々できる子でした。当時はそんなことには気づいてないけど。今でも地元に帰ると、昔の小学校のときとか中学校のときの友達に会うと、なんかいかに優等生だったのかがわかる。本当に何でもできるすごい子って思われてたんだなって思うし、どこかでそれを期待されてるからその通りにしなきゃと思ってたんだなって今になれば思います。

その分先生に怒られたりするとすごいショックだった。ショックだったけど、悪いことをしちゃったっていうよりも、バレちゃったって思うタイプだった。だからやっぱり誰にどういう顔見せたいかっていうのは繋がるんだなと思う。当時からきっとそういう習性があったんだと思うし、うまくやれてきてたんだと思います。すごいいい子で、言うことを聞くっていうわかりやすい子じゃなくて、何でもよくできて、決定的なことにならないラインをちゃんとわかりながら反抗もできるとか、そういう子。すごそうだな、こう言うと(笑)

割とずっと、なんとか自分でやりたいことをやっているっていうふうに自分でも信じながら、でもたぶん常に周りから見て一番よく見えそうなことを選んでいた気がする。後になってそれはすごく思いました。一度何がしたかったんだっけ?って悩んだことがあって、大学院ぐらいのときに。そのときに振り返って本当にやりたかったのか、見栄えがするからしたかったのか、ちょっとわかんないなって。一時は見栄えだけなんだって思い込んですごい自分にダメージを与えてたんだけど、今となってはそうでもないなと思って、やっぱり自分がしたかったこともあるんだなとは思ってるんですけど。っていう感じです。

ゆいぴ:
印象に残ってたり強烈だったりするエピソードや記憶ってありますか?

さやか:
広いですね。強烈なエピソード…。もう少し絞れますか?

ゆいぴ:
未だにふと思い出すことがあるな、っていう記憶がもしあれば。

さやか:
いろいろあるよ、いろいろあるけど。いろんな切り口でいろんな話ができます。どうしよう。

ゆいぴ:
じゃあ今の生活に繋がってるかもとか、リンクするかもしれないっていう切り口ならどうですか?

さやか:
なるほど。今の生活に繋がってるかもしれない、か。急にすごい難しくなりました。今の生活に繋がってるかもしれないエピソードですよね?

ゆいぴ:
エピソードでも記憶でも、なんでも。

さやか:
エピソードとかじゃないけど、ふと思ったことだけ。こういうふうによく考えてましたって話。なんかね、自分のアイデンティティで一番強いのはお母さんで、娘に誇れるようなお母さんでいたいと思ってるんだけれど。結構昔からずっとそれって思っていて。私は両親が小学校の低学年の頃に離婚していて、ずっと母が育ててくれていたんだけれど、基本的にすごい忙しい人で、ひとり親だったからっていうのもあるけど。朝は会えるけれど帰ってくるのが遅かったから近所のおばちゃんがベビーシッターみたいなことをしてくれていて。保育園迎えに来てくれてお風呂入れてくれてご飯食べさしてくれて、寝かしつけてくれて、母は私と弟が寝た後に帰ってきて。離婚したあと1人になっても、ずっと頑張っていた人で。

高校のときに留学したんですけど、そのときに奨学金の応募申請フォームに尊敬する人は?って書いてあって、もう即決「母」だった。たぶん本当はいろんな偉人の名前だったりを書くような場所だったんですけど、もう母しか思いつかなくて。っていうぐらいもうこの人かっこいい、この人すごいってずっと思っていて。授業参観のときもすごい誇らしかったんですよ。私、彼女が31のときの子で、私達の世代ではだいぶ遅いから、小学校低学年くらいの時はうちのお母さんだけ年とってるなって思ってたんですけど。だんだん大きくなるにつれて、周りのお母さんが専業主婦が多かったときに、バリバリ働いてる格好してハイヒール鳴らして学校来るので、めちゃくちゃかっこいいと思ってて。さっきも言ったように、あんまり一緒に過ごす時間が取れるとかっていうわけでもなかったけど、でも寝かしつけはできないからっていうので、本を読んだやつをカセットテープに録音してくれてて、それを聞きながら寝ていたりとか、一緒にいれない分の時間をどうやって埋めようみたいなことは常に考えてくれてました。

だから社会に出てかっこよくしてる背中を見せつつも、愛情をちゃんと向けてるってことをずっと示し続けてくれてたと思ってて。たぶん留学の申請書に書いた時から、やっぱり母親みたいになりたいって常に思ってたんだと思うんですよ。何かのタイミングでその話をしたら「目指されるような感じじゃないからやめて」って言われちゃったんだけど(笑) でも今でもそこはあんまり変わらなくて。私もやっぱり同じように、べったり子供に向き合うのではなくて、私がどうやって生きてるかっていうのを見せることで子供を育てたいなっていうふうに思っていて、それは夫もたぶん同じなので。うちの家族ってあんまり子供のために何かしなくて。基本的には大人がするところについてきたりとか、最近はもう4年生なので来たくなかったら1人で好きなことをしてなさいなんだけど。子供のために何かを我慢したりとかしない、むしろ大人って楽しそうって思ってほしいってすごく思ってます。

今ふと何かを言おうと頭によぎった。あ、そうだ。子供が生まれてすごく楽になったことが一つあって。人生での選択、いろんな選択において、娘が今の私の立場に立ったら、親としての私はどっちを選んでほしいだろうって考え方をするようになって。そしたらいろんなしがらみとか世間体とか抜きにして、私が本当にしたいのはこれだなっていうのが見えるようになった。私はたぶん娘にはそうやって生きてほしいから。だからその選択を私も取ろうって今は思うので選択がすごく楽になりました。あんまり今やりたいことにおいて娘のことを考えないっていうのもたぶん、私は娘の子供よりは娘がかわいいから、彼女が幸せだなと思うようなことを選んで欲しくて。だから私もやっぱり、彼女のために今何かを我慢することはしない。それがむしろ彼女のためになるだろうって思っているので。これね、危ういんですけどね。いろんな言い訳になりうるからね。たまにちゃんと自制しないといけないなと思うんだけど(笑)

未来:社会全体で見たときには、それはまだ全然当たり前のものではないっていうことをもうちょっと意識して何か次を考えます。

フリー素材ゆいぴ!

ゆいぴ:
この先について。近い未来から遠い未来まで、最後に死ぬところまで考えてみて、未来に対するイメージって何かありますか?

さやか:
イメージか。基本的にはあんまりこの先にこうありたいと思って生きてきてはいなくて、割と今したい今こうありたいの積み重ねの先に未来があると思っているし、そう生きてきたので。すごいビジョンとかはないんですが。気にはなってるのにきちんと実践に移せていないこととして、地球の環境はこれで大丈夫なのかなっていうのはやっぱり思っていて。今の暮らし方をみんなが続けていたら、いずれ破綻するだろうな、いずれって思っていたけど、たぶんすごい近い将来に破綻するんだなっていうのは、いろいろ読んだり人の話を聞いたりするにつけ思っていて。自分たちの暮らし方については、割とできるだけ自然に優しい形でエネルギーを無駄にしないでっていう暮らしの仕方にずいぶん変えてきたし、海士での暮らしを選んだのもそういう側面もあったと思うし。だけどそれで終わってしまっている。さっき閉塞感という話もしたけど、基本的にはその未来のビジョンに向けてというよりも今やりたいことで考える方なので、満足が続いてきてしまったから今に至る、今つまんなくなってきたのに至るんですけど。新しい動きをするのであれば、そっちの方向で考えなきゃいけないんじゃないかな、という感じがしています。

でも実はもう1年2年くらいなんとなく思っていて、でも動けてなくて。いよいよこの物足りなさが詰まってきてるから、そろそろなんか考えなきゃなと思ってます。それはだから自然環境のためにっていう大きな話というよりも、第一義的には自分のためですね。自分の幸せのため。自分がこう信じている通りというか、満足できる生き方をするためには、自分が居心地よく楽しく暮らすっていうことはもう全然できているから、もう少し手応えのある社会的意義のあることがしたくて。その中でテーマになるのはやっぱりそこかなという気がしています。大学とか大学院とかでずっとやっていたのは国際開発のことで、当時は世界の中での不公正不平等みたいなところに興味があったし、今でもそこは全く興味がないわけではないけれど、今一番関心があるのは、この人類全体がやばそうだぞっていうところですかね。

海士町に引っ越してきた理由でもあったけど、私達ってやっぱり命が繋がり合って生きているはずで、そこを忘れてしまったりとかそれが見えない状態での暮らしがあまりにも溢れていて。確かに楽なんですよ。だけど、自然環境ということを考えても、いろんな理由からそれって破綻するし、それを考えなくても、楽だけど幸せじゃない暮らし方だなって思って。だから自然環境はちょっと大上段に構え過ぎてるかもしれないけど、もっと人としての営みみたいなところをちゃんと感じられてちゃんと自分で触れられるような関係性の中で生きていくっていう暮らし方をきちんと見直したい。人に伝えるみたいなとこってすごく苦手なんだけど、でも自分が感じるだけじゃなくて何らかの仕組み作りみたいなことにやっぱり関わっていかざるを得ないと思うし。それがひいては、この自然環境全体としての崩壊みたいなところのストッパーになったらいいな。そっちの方が近い気がします。自然環境云々というよりも暮らしのあり方として。自然に優しいとかじゃなくてもいいから。うち鶏飼ってるんですけど、本当にそれだけでもね、普段食べているもの、卵とかお肉みたいなものがどうやってできてるのか。それって日々餌やって暮らしているこの鶏たちの体があの肉になるし、命削って産んでくれてる卵だしっていうそこの繋がりが見えてるだけで、すごい自分の暮らしが豊かになっていると思うし、そっちの方が自分にしっくりきますね。自然環境をどうこうというよりも。

なんとなく閉塞感の理由がちょっと今見えた気がした。私たぶん、命の営みをキーワードにここに来ることにしたのに、ある意味見えてる命がすごく当たり前になってしまっていた。それが当たり前になるのはとても幸せなことなんだけども、ありがたいっていう気持ちをちょっと忘れていたかもしれない。かつ社会全体で見たときには、それはまだ全然当たり前のものではないっていうことをもうちょっと意識して何か次を考えます。初心に戻れた気がしてきた。ありがとうございます。まだきちんと言葉になってないけど、何か糸口が、今ちょっと出てきた気がしました。ごめんね、勝手に。

ゆいぴ:
いえいえ。じゃあ海士町との今後の付き合い方って何か考えてますか?

さやか:
海士町と付き合うとか向き合うという気はない。最初の入りも本当にただの場所でしかなくて、すごい過ごしやすい場所だし、いろんな面白い人に会える場所だし、いろんなチャンスを与えてくれる場所だとは思っているけれど。あんまりこの場所をどうしていきたいという思いがあるわけではないという。一旦さっきの自分の未来のビジョンの話は外れると、海士のために何か、みたいなことってそんなに私は強くなくて。だけど、自分たちが今受けているような恩恵が次の人にも続くような場所ではあってほしいし、そのためには貢献したいなという思いはあります。一昨年ぐらいに、だいぶ長く住んでたけど出ていってしまった人がいて、その人と話してたときに「だんだん海士の文化を消費するだけの人が増えてきてつまらなくなってきた」って彼は言ってて。そのときに私は今まだ消費してるだけかもな、って思ったんですよね。みんなで作り上げてきた文化であって、それが面白いからまた新しい人を呼び込むし、だったのに、その面白さを消費するだけの人が増えるとつまらなくなってくる。それは結構刺さったし、自分はやっぱり文化を作り上げる方の立場で何らかの関わりはしたいなというふうに思いました。

っていう中で、さっきの自分の将来の話を絡めてもいいし絡まなくてもいいなという感じです。基本的なスタンスとしては今言ったみたいな感じ。みんなで課題は解決してどんどん面白いことをしていこう、住みやすい場所にしていこう、みたいな文化は大事にしたいしそれを作る側にはいたい。それと、営みを大切にすることをもう少しきちんと形にしていきたい、広められるような形にもしていきたい、っていうことがどう絡むかわかんないです。うまく絡んでいい感じのシナジーになるならするかもしれないし、全く関係ない形で考えるかもしれないし、よくわかんないです。

ゆいぴ:
最後に言い残したことってのを聞いているんですけど何かありますか?インタビューの感想でも。

さやか:
さっきも言ったように、ちょっと糸口が見えた気がしたのはすごいありがたい。ただゆいぴさんもあとで書き起こしを読み返すと「結局この人何言ってるんだろう」ってなる気がするんだけど(笑) 糸口にはなってるけどちゃんとまとまってないので、そこをもう1回自分でも考えて、何がしたいのかとかどうしていくのかを考えたいなって思いました。悩んだけどありがとうございました。やっぱりインタビュー受けてよかったなと思いました。その部分に関しては今言葉を紡いだ感じなので、自分でも糸口が見えた気がしました。それ以外の話は割と他の人にもしたことある話を繰り返したりもしてるからお話としてはまとまってるけど、たぶん何言ってるかよくわかんないようなまとまってないところは思いつくまま話してたとこだから、一番正直なところだと思います。

ゆいぴ:
はい、ありがとうございます。

インタビュー実施:2027/8/21@隠岐開発総合センター

【特別企画】参加者の方の海士町おすすめ風景!

あとがき

広い部屋の真ん中で向き合うふたり。外から聞こえる海士町役場の新築工事の音と、廊下で談笑する町の人たちの声。現在と過去、そして未来について思いを馳せるこの空間に、そんな日常の音がわずかに混じり合っている。次の目的地を探さねば。もっと前に進まねば。でも先を行くには何かが足りない気がして、いつも立ち止まってしまう。海士町と私、地球と人類。何かに、どこかに、光を見出せる気がする。新しい町役場が完成する頃、私たちも新たな一歩を踏み出しているのだろうか。

【インタビュー・編集・あとがき:ゆいぴ】

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この記事は海士町関連のインタビューです。

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