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無名人インタビュー:段ボールを被ったアイドルの人

アイドルのインタビュー! DONSYΔRIさんから応募が来たとき、最初ふるえたんですよね。無名人インタビューとか言いつつ、ブランドに弱いqbcがそこにいるんです。うわ、やっばアイドルと知りあえるじゃん、て。
って実際にインタビューしてみると、アイドル活動の話はもちろん、都会と田舎の話、岡村靖幸の話、コロナの話、20代の女性として今の時代を生きる話まで、いろんな話をおうかがいしました!
まあでも一番大きかったのは、無名人インタビューのコンセプトと、DONSYΔRIさんがなぜ段ボールを被って活動しているかの意味が重なりあったところでしょうか。
ちうことでDONSYΔRIさん回、楽っっのしんでいってねー!!

今回ご参加いただいたのは DONSYΔRI さんです!
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1、段ボールを被ったアイドル

qbc:ドンシャリさんって有名なんじゃないですか?

DONSYΔRI:いや、まだ知ってる人は知ってるかもしれないくらいのレベルです。まだまだ全然無名人です。

qbc:なるほど。では、どういうインタビューにしていきましょうか?

DONSYΔRI:自分の活動の話を中心にしていきたいですね。

qbc:うんうん。

DONSYΔRI:私、Twitterやお送りした資料を見ていただくとわかると思うんですけども、段ボールを被っていまして。

qbc:そうですね。

これがDONSYΔRI=ドンシャリさんね!

DONSYΔRI:段ボールを被って匿名のまま音楽活動をしているんですが、そのわりに自分のスリーサイズの数字を公表してみたりだとか、けっこう人間味のある話であったり、プライベートで感じたことをけっこう書いたりしているんですね。
その二律背反というか、矛盾している姿はなんで生まれたのかというあたりを、お話しできればと思っています。

qbc:なあるほど。ちなみに「無名人インタビュー」はどこから知っていただいたんでしょう?

DONSYΔRI:どこだったかな。いろんな人のインタビュー記事を読むのがもともと好きでたどりついたんですけど。
最初に読んだのは、野菜ソムリエの方のインタビューだったかな。あと63歳ひきこもりの方とか。

qbc:あーしんのきさんと藤巻さん。

しんのきさん!

藤巻さん!

DONSYΔRI:みなさん、無名だと言いながらも自分の生きてきた軌跡がちゃんとあって、それを証明したいんだなって。
それから、インターネットだからこそ聞ける話だなって感じがすごいしてます。どんな本やニュース、ドキュメンタリーで見るよりも、生々しい話が読めておもしろい。

qbc:ありがとうございます! 63歳ひきこもりの方、壮絶でしたよね。

DONSYΔRI:あと、20代の風俗嬢の方も、女の子のお金の稼ぎ方っていうので印象的で、それもすごく好きです。

つばきさんですね!

DONSYΔRI:いろんな人がいろんなことを考えて生きてるんだなっていうのが、インタビューを読んでいて、わかるんですよね。
私は今まで「こう生きなきゃいけない」思いこんでいたところがあったんですけど、インタビューを読んでいるうちに「こう生きなきゃいけない」っていうのはないんだって、すごく気づかせてもらえるような内容がたくさんありました。

qbc:おおー! めっちゃうれしいです。

DONSYΔRI:それで、自分もそこに名前を連ねることができたらなあと思いまして。

qbc:理想的読者様ですわ!

DONSYΔRI:本当ですか? ありがとうございます。

qbc:ほんとほんと。他人の人生を知って、自分の人生に反映してもらうっていうのはイメージしていた読まれ方の一つです!
では早速インタビューですが、今、何をしていらっしゃる方なんでしょうか?

DONSYΔRI:今は、段ボールを被りながら、人間のちょっと矛盾した感情とか、社会的に認められないような感情も昇華して歌にしようという活動を行っています。段ボール頭の22歳女子大生です。
(※2021年5月現在、誕生日を迎え23歳に)

qbc:え、それはどこまで本当? 女子大生も本当?

DONSYΔRI:女子大生まで本当です。今年の3月で学生でなはくなりますが、一応。
高3からずっと段ボールを被って活動して、バンドや、楽曲制作、動画制作を行ってたんですが、私一人でやったほうがもっと才能を前に出せるんじゃないかってメンバーに後押しされて、バンドをいったん活動休止にて個人活動を2020年からはじめました。

qbc:なるほど高3から段ボールですね。

DONSYΔRI:はい。その個人活動の一環で「ミスiD2021」に参加しました。

セミファイナリストだねえ。

DONSYΔRI:そしてもう一つ参加させていただいてるのが、ヤマモトショウさんが主催されている「アイドルプロジェクト・オンライン」です。「会いに行けぬアイドル」をコンセプトにした完全オンラインの活動で、候補生として参加させていただいてます。

qbc:ヤマモトショウさんね!

ヤマモトショウさんね! って言って私はわかるんですがわからない人もいらっしゃると思うので。

そしてアイドルプロジェクト・オンラインがこちら!

DONSYΔRI:私、自分にすごくコンプレックスを抱えているんです。バンドで売れるとしても、みんなと同じように顔出しをして売れていくっていうのは自分には無理だなって判断していて、だから段ボールを被ってます。コンプレックスまみれなんですよ。
でも、なぜか、2020年にはアイドルを目指していて、自分でもちょっと想像してなかった未来に来てしまっている。その、はじめた動機と、今の到達点の違いであったりとか、その過程で生まれた感情について話していけたらなって思います。

qbc:なるほどなるほど。最初は、SUMESHIってバンドをされてたんですよね。

DONSYΔRI:もともと高校の同級生と組んだ、本当に一夜限りの文化祭のために組んだバンドだったんですけど、そこでカバーを2曲と、オリジナル曲を1曲やったんです。
オリジナルは私が制作したんですけど、ライブ後に「あれ、なんていう人の曲? めっちゃ良かった」みたいな感想をいただけて。今までは素人の趣味でちまちまと作ったりしていたんですけど、「あ、私の作品は人の前に出しても、みんなに評価していただけるのかもしれない」っていう思いが、そこで生まれたんです。そこから、本格的に自分のCDを作るっていう活動をはじめました。

qbc:その曲は何て曲なんですか?

DONSYΔRI:「サイダー」という曲です。

こちらです!

DONSYΔRI:受験生のときに作った曲だったので、今すごくがんばらなきゃいけないけど、もうどこか消えたいなっていう気持ちであったり、なんでがんばってるんだろうっていう気持ちだったり、そういった思いはあるけど、でもどうせ今思ってるこの時間とか場所とかに、もう戻って来ることってなくて、ずっと前に進んで行かなきゃいけないんだなって、そういうことを思いながら作った曲です。これが私たちの原点になってます。

qbc:今検索して聞いてたんですけど、制作の背景を語ってもらいながら曲を聞いてるとめちゃくちゃエモくなりますね。音聞いてるのは私だけだから、私だけエモくなってるだけなんですけど。

DONSYΔRI:ありがとうございます。

2、地元ヘイト

「地元に恩返しをしたい」。穏やかな自然とそれなりに文化のある田舎で育ち、育った土地を愛しているのですが、田舎の嫌な部分を詰め込んだ思慮の浅い同級生に嫌がらせを受けたり、モラルのない人が多く目につくことから地元が嫌いになってしまいました。
ここから引用

qbc:地元に対する悪意というか、恨みがあるってプロフィールなどに書いてありましたが、聞いても大丈夫なやつですか?

DONSYΔRI:大丈夫です。高校時代が、すごく嫌でした。
高校までの10何年間、ずっと地元から出たこともない地方の学生で、三重県の伊勢が地元なんですけど、観光ですごい栄えてる町ではあるんですけど、まだまだ田舎なんですね。
典型的な田舎の悪いイメージみたいなのが多くあって、若い人たちがあまり地元に残りたがらなかったり、旧時代的な、旧態依然とした価値観を抱えたまま大人になってしまった同級生も多いです。
それが嫌な子たちは、みんな都会に出ていく。で、みんな戻って来なくなって。で、その旧態依然とした価値観が嫌で出て行った同級生たちは、こんどは自分の親と軋轢が生まれてしまう。そういったようなことが繰り返されているような場所でして。

qbc:まじか。中島みゆきのファイトの世界がまだ地続きなのかよ。

薄情もんが田舎にあと足で砂かける、ってね。これは1980年代の歌ですよ。

DONSYΔRI:すごく、場所であったり、自分が生まれて住んできた都市としては、とっても大好きなんですけども、そこの町で死んでいくっていうのは、自分にとって自分を出せないまま、たぶん何か別の自分を演じたまま死ぬことになるんじゃないかって感じて。
たとえば音楽活動をしているだけで同級生から後ろ指さされる環境でした。だから、自分のしたいことをしたいようにできるところっていったら、みんながみんなに無関心なところが良いなと思って、それで都会に出ようって決断しました。
ミスiDのプロフィールっていうか、書いてあることは、全部本当です。誇張もないです。

qbc:うんうん。

DONSYΔRI:コロナでも旧態依然とした価値観が見え隠れしましたね。地元住民たちの間で噂がひろまったりして、それによって苦しむ人がいたりとか。
そういう環境を変えていくには、こういう状況はどうなんだろう? って問題提起をしていくのが一番かなと思ったんです。自分にできる、地元を良くできる一番の方法だと。

qbc:これまで約100人にインタビューしてるけど、この手の発言てけっこう聞くんですよね。で、そのうちの一人は50代。もう一人は20代。つまり、ぜんぜん変わってないのかなって。
私、東京生まれ東京育ちなので、その感覚がほんと分からないんだけれど。

DONSYΔRI:都会だと人が多い分、みんながみんなに無関心なところがあるので、噂話であったりだとかも、ありはするけど、風化が早かったり、みんなも話半分に捉えているところがあるんだと思うんです。
たとえば、地元の県でコロナの感染者が出ましたってなったときに、私たちはそれを、どこどこ市で出ましたって市からの公表の情報で知るんですけど、おばあちゃんたちの世代は、私たちが知らないような、どこの市のどの人がかかったっていうことまで把握してるんですよ。

qbc:すげー。独自の諜報機関だ。

DONSYΔRI:お正月とか集まって話す機会があると、悪意はないけれども、すごい勢いで近所に広まってしまうんですよね。
よくあるのは、どこどこさん家の子どもの◯◯ちゃんは、どこどこ大学に行ってこういった企業に就職して、今はここで結婚して奥さんはどんな人ってことを、自分のことをまったく知らない人が把握してる環境が、田舎にはまだあるんですよ。

qbc:なるほどー。田舎に生まれただけでもう有名人ってことですわな。

DONSYΔRI:なので、自分が知らないおじさんおばさんたちが、私のフルネームを知っていて「あんた最近、ここに行ってこういうことしとるって聞いとるけど、ちゃんとやっとんの?」って聞かれるんです。私としては「え、あなた誰ですか?」ってとこからはじまるんですけど。
でもそこで「それをあなたに言わなきゃいけないんですか?」って正論を言うとまた角が立ってしまって、ご近所トラブルに発展するんです。それでなんとなく話を合わせていくうちに、また自分もこの土地の人とおんなじように人の情報を広めてしまうんじゃないかって、ちょっと怖くもありますし。
プライバシーが機能してないんですよね、田舎って。

qbc:なるほどどこねー、変えたいっていうのは。

DONSYΔRI:そうです。自分が住むなら、そこが住みにくい部分だと思うので、変えていきたいって思ってます。田舎ってそういうところあるよねーっていうのを、問題提起していけたらなと思っています。

qbc:その思いを強くしたのは、いつなんでしょうか?

DONSYΔRI:中学生ぐらいからなんとなく、ちょっと嫌だなっていうのはうっすら思ってたんですけど、高校も県内の進学校に行きまして、そこで田舎の嫌なところをまた感じたんです。井の中の蛙っていうか、田舎の価値観の中で頭でっかちになって大人になっていく人たちを見て、すごく自分が苦しめられたんです。後ろ指さされたりとか。
自分が俗にいう陰キャって感じで、特定の仲の良い子としかしゃべらない子が、音楽活動とかをしてると、本人たちにはいじめてやろうという気はないんでしょうけど、クラスの派手な男の子とかが「あいつ、こんなんしとんで」って言って、クラスのグループLINEで写真を晒したりされたんですよ。

qbc:え?

DONSYΔRI:当時、私たちは別に陰キャといえど、同じような友だちはたくさんいたし、楽しい学生生活を送っていました。その中で異性の友人とかできますし。
SUMESHIのメンバーの一人であるSENMATSUくんとは、高一のときに出会って、クラスは違うけど部活が一緒だったんですごく仲良くさせていただいていたんです。まあ、今でも仲良いんですけど。
本当に一切恋愛色を排した友人関係だったにも関わらず、大人しい女の子が男子と頻繁に会ってるところを見た他のクラスの派手な子たちが「付き合っとんちゃうん」って晒しあげてくるんですよ。
自分たちよりも輝いてなさそうな人間が、自分たちと違う価値観の中で幸せそうにしてるっていうのが、たぶん許せないし、ちょと嫉妬してる部分があるんじゃないかと。

qbc:うんうんうん。

DONSYΔRI:彼が当時付き合ってた、別の高校にいる年下の女の子のチュープリ画像がSNSで見つかっちゃって「いつもDONSYΔRIと一緒におるSENMATSUくんちゃうん?」ってクラスLINEにそれを貼られる事件が起きたんです。
でも、みーんな波風立つのが怖いから、何も指摘しない。本当にそのとき仲良かった友人数名が、矢面に立ってちゃんと怒ってくれたんですけど、そういったおかしいことをおかしいと言えない状況を変えたいんです。

qbc:まじかー。ほんとそういうのあるのねえ。私は学生時代にSNSがなかった世代だからこれもよくわからんのよね。

DONSYΔRI:若気の至りとしてけっこう見過ごされてしまうんですけど、だから私、SNSリテラシーとしてヤバいと思ったので、先生にもお話はしたんですけど、お咎めはまったくなしで。若いし、他意はないし、すごい攻撃しようとしたわけでもないからって。見逃してあげなさい、みたいな。

qbc:なるほどね。見つけたものを貼っただけだしね、事実としては。

DONSYΔRI:それをグループLINE、しかもクラス全員の連絡事項だけが流れているグループLINEに、なぜ投稿する必要があったのかっていうのが、はなはだ不明で。

qbc:あ、学校で運営してるわけじゃないそういうLINEがあるんだ、こわ。

DONSYΔRI:そうです。運営は学校ではないです。

qbc:ええ、そんななの今って。そしたら私、たぶん学校行かなくなってるわ。たえられないそんな教室。

DONSYΔRI:なりますよねー本当に。

qbc:ほんと気持ち悪い。こわいわー。学校ってオフィシャルとは別に情報のネットワークがあるのね。

3、箱女

DONSYΔRI:スクールカーストに、SNSとさらに田舎の陰湿さがプラスされた環境でした。

qbc:Netflixの「13の理由」な。日本でもふつうに今そうなってんのね。

最終シーズンきてるみたいね!

qbc:横溝正史の世界だよね。「八つ墓村」とかさ。逆上して村人を殺しまくる世界。

知らん人は知らんでしょうが日本の田舎の陰湿さが事件の発端となる横溝正史の小説、映画があって、それは「津山三十人殺し」という事件がもとになっています。
ってまあ「日本の」は言い過ぎで「田舎の」といったほうがいいでしょうね。

山岸涼子も「負の暗示」て作品でとりあげてますわな。

DONSYΔRI:私たちはそれを耐えるしかないし、別の場所で花を開かせるしかない。そういう努力であったりをするしかないんだって当時は考えていました。
とにかく創作活動に打ちこんだりとか。私、吹奏楽部と文芸部に所属してたんですけど、そういった嫌なことがあったときは創作してました。悪い感情はどんどん昇華していって、要らない感情はエンタメにして売るしかないんだって。私以外にも、そういった感情を抱いている子が、当時の友人には多かったです。

qbc:おもろいわー。どうなんだろね、実はSNSの登場でそういう田舎の地縁関係ってものが強固されたのかな。
田舎のそういう陰湿なのってみんな嫌だったのに、ぜんぜんなくならないのって案外そういうITツールのおかげなのかも。

DONSYΔRI:そうですね。強化しますね。使い方を間違えれば本当に。SNSは全世界から見えてる場所なのに、本名でSNSとかできちゃってるし。

qbc:そうねえ。無名人っていうのは「ソーシャル=名」としてとらえ、社会的な名前、スクールカースト、セクシャリティ、職業から離れたところにあるその人らしさを発見しよう、てコンセプトなんですよね。だから、本当は「人インタビュー」。

DONSYΔRI:その無名人の概念と、私の活動が象徴しようとしているところが、すごく当てはまっているなって思ってます。
まず、この父と母のもとに生まれてきて、どういう家系で、どういった環境で育ってっていう、名前のある人間が一人ある。で、そういう存在を捨てたわけじゃないけどいったん横に置いといて、今までのバックグラウンドや今までの発言とか何をしてきたかとかには全く縛られない存在、自分のしたいことをするための、自分の活動がしやすい存在を作る。
そうしてできたのがDONSYΔRIだと思います。

qbc:あーそっかなるほどなるほどね。あ、DONSYΔRIの活動=段ボール被るだったんですか?

DONSYΔRI:そうです。えっとですね、今22で18のときからだから、4年前からですね。高3のときからです。

qbc:そうかー。ちなみにプロフィールの好きなアーティストに月ノ美兎ってVtuberが入ってるけど、今って匿名性を持つためにいろんなツールがあるじゃないですか。なんで段ボールだったんですか?

もちろん私もチャンネル登録している委員長です!

noteもあるから!

DONSYΔRI:そうなんですよね。たとえば「アイドルプロジェクト・オンライン」の中にもかざみりかさんっていうVの子がいたり、2D絵の満たされないうさぎさんがいるんですけれども、そもそもVtuberが目立ちはじめたのって、私が段ボールを被りはじめた後なんですよ。

はたしてみんな話についてこれてるのだろうか?

qbc:あ、そっかそっか単純に時間軸ね。

DONSYΔRI:そうなんです。段ボールアバターでVtuberを作ったらおもしろいんじゃないかって考えはしたんですけど。今、本当に自分が好きなアバターを持てる時代だと思うんですけど、そこの中に入ると埋もれてしまうかもって思って。

qbc:段ボール被るのはLo-Fiなんですかね。

DONSYΔRI:そうそう。音楽シーンでも80年代がリバイバルしてるし。

qbc:ネオシティポップね。

DONSYΔRI:そうそう。フューチャーファンクとか。
それに、私たちオタクとかインターネットにふれている人はVtuberとかアバターの存在にそんなに違和感持ってないと思うんですけど、まだ違和感ある人もいらっしゃると思うんですね。
キズナアイちゃんが「ダウンタウンDX」に出たときに、それこそ私が高校の教室で感じていた「おい、こんなんやっとるやつ、おるで」的な扱いを若干されていて、まだまだ浸透しきっているわけではないなとすごく思いました。

キズナアイちゃん!!

DONSYΔRI:テレビって自分が見たくないものも流れてきてしまうんですよね。そこで、たとえば自分が理解できないものが流れたら「なんやこれ」って批判的になる。
自分が段ボールを被った理由は、自分の本名のこれまでの軌跡を廃して、新しく活動ができる場所を作りたかった、そのために顔を隠す必要があるって思ったこと。
あとは、本名の私では、後ろ指さされたり、そんなこと言わないほうが良いよって言われるような話も、DONSYΔRIとして顔を隠した存在であれば、生々しいプライベートの体験談、地元のちょっと屈辱的な部分の話も、一つのコンテンツとしておもしろく捉えてもらえるんじゃないかって思ったからですね。

qbc:なるほどなるほど。

DONSYΔRI:VRアバターだと、後ろに人がいるってことをまだ理解しきってない人が多い印象があって。

qbc:確かに。

DONSYΔRI:インターネット的な匿名性と、完全なバーチャルの世界ではない人間性というか。二次元と三次元のあいだだと、2.5次元ですけど。
「アイドルプロジェクト・オンライン」も、生身の子3人とバーチャルの子2人、その間をつなぐ存在がDONSYΔRIなのかなっていうふうに思っています。

qbc:なるほどねーおもしろ。あれ、安部公房の「箱男」は読んだことない?

DONSYΔRI:あります。文芸部の後輩の、1年生の男の子が、私が段ボールを被っているのを見て教えてくれました。
「箱男」って小説を読んで自分も被りたいと思っていたんだって話してくれて、それで知りました。

qbc:被った後に知ったのかー。

DONSYΔRI:それで本を読んでみて、これを完全に模倣するのは危ないぞって思いました。まあ、だけど私は箱女ですし、自分と違うガワをまとってみたいっていう欲望は、やっぱ誰にでもあるんだなって。
それが、自分を隠すものなのか、自分を強調するものなのかっていうのは、その人次第だと思うんですけど。誰しも、そういう願望っていうのはあるんだなあって、すごく思いました。
で、実は、この後輩も段ボールを被っていたことがあるので、箱男くんが実在していた時期もありました。

qbc:安部公房は、箱男に関する講演のなかで、ずーっと浮浪者を観察してたって言ってるんですよね。あんなおもしろい存在はないって。社会から外れた視点を小説上でどう表現するかって。都会では浮浪者が段ボール箱を被って世間を覗いていても誰も気にしないって。

DONSYΔRI:あと、単にかわいいっていうのもあるんですよ。キャラクター的で。

qbc:確かにかわいい。

DONSYΔRI:22歳の女子大生が、ちょっとふざけたポーズとかをしていたとしても、その辺のただのスナップ写真とか、友だちの中でのおふざけぐらいになっちゃう。
けど、段ボールを被って街中で変なポーズをするだけで、インターネットミームっぽくなる。そのキャラクター感というか、ある種、顔が良い悪いっていう価値観から自由になって、親しみを持たれやすいかなって思ったので。
それから、体調悪かったり機嫌が悪かったりとかしてても、ずっと同じ自分のガワでいられる良さもあります。段ボールさえ被っていれば、私が風邪で休みの日に、別の人が中に入っていても、究極バレないかもしれない。一貫したアーティスト像、変化しない像を作りたいっていう意味で段ボールを被っている部分もあります。

qbc:けっこうけっこう戦略的段ボールよね。

DONSYΔRI:けっこうアイドルって、ちょっと顔がむくんだりとか、化粧の仕方が変わるだけで、すぐ叩く人がいるんですよ。
人間だから、コンディションの良い悪いは当たり前だし。もちろんその日のいろんな気分次第で、顔、表情とかも変わってくる。だけど見ている人は、常にそのアイドルに完璧を求める。自分が求められたらできないのに、それっておかしいよねって思うところがあります。
なら、誰が見ても変わらない、ずっと変わらない像を段ボールで作ってやろうって。

4、岡村靖幸さんのことはすごく好きです

qbc:倉橋ヨエコが好きはわかるんですけど、岡村靖幸はどのあたりから好きになったんですか?

ヨエコー!

DONSYΔRI:一番最初に知ったのは、2013年とかだから、完全に捕まって刑務所に入ってたあとの復帰からですね。
覚醒剤で捕まってた太ってたときとくらべると、シュッとしたおじさんになって戻ってきてたときです。今時のメジャーなアーティストとコラボしていたころですね。

こういうのですね。

委員長も歌ってるよ!

DONSYΔRI:で、全体的にも好きだけど、一人の人間が挫折とか失敗とか、人生に汚点をつけながらも変わっていく、音楽性も変わっていってっていう様子が好きですね。
岡村さんに対して影響受けた部分ってのは、たとえばラブソングを作るときにカッコつけないところですね。結局、恋愛とかしてるときって、きれいごとばっかじゃなくて、どんどん嫌な部分とか「うわ、自分ってこんな気持ち悪いこと考えてたんだ」みたいな部分が出てくるものだと思うんですけど。そういう気持ち悪い自分があることを認識したうえで、でも君のことがすごく好きだって言えるっていうのは、それってすごい良いというか、自分がそういうふうな告白されたら落ちますよね。
カッコつけて来られるよりも、すごく情けないカッコ見せてるけどでも君のこと好きなんだって言われたら、落ちます。

qbc:それは性癖でしょーw

DONSYΔRI:まあでも、何かに一生懸命な人とか、飾らない一生懸命な姿って、結局何かしら成功したり、欲しいものを本当に手に入れられる人だと思っているんです。
なので、誰が見ても納得するようなきれいな歌詞を書く人よりも、なんでここにこんなワードを入れたんだろうみたいな、そういう、ある種何か具体的な実話があったことを想起させるような岡村さんの歌であったりっていうところに、カッコつけたいけどカッコつけきれない人間味っていうのをすごく感じます。
あー無茶苦茶人間味があって好きだなっていう風に思う。そんな感じです。

qbc:岡村ちゃんが若いころのも聞いている?

DONSYΔRI:もう、本当に昔の、いつの時代の映像かなっていうケミカルウォッシュ履いてるやつも見てますよ。

qbc:「家庭教師」のライブDVDかな。

コロナのおかげで映像でてるんですわ。

DONSYΔRI:「靖幸」ってアルバムののあたりはかわいい感じに見せてるけど、けっこうキモいこと言ってるし。「19(nineteen)」のときからそれは変わらなくて。
私、母と岡村ちゃんが一緒の歳なんですけど、人間って50いくつになってもまだまだ発展途中だし、いろいろ試行錯誤しながら生きてるんだなって。
音楽性を通して一人の人間が歩んでくさまを見せてくれるので、「あ、失敗してもいいんだな」とか。カッコ悪い時っていうのがあって当然だし、そういう自分を許してあげたいよねっていう気持ちをすごく感じられるので、岡村さんのことはすごく好きです。

qbc:めっちゃ良いファンじゃん。すごいねー、私は現役時代から知ったけど、ちゃんと聴くようになったのは二十歳すぎたころなんだよね。

DONSYΔRI:私、他の好きなアーティストとしてあげさせてもらっている人も、カッコいいだけではない人、人間味のある人だと思います。
闇という言い方は好きじゃないんですけど、表に出したら社会的に良くないような部分であったりだとか、人に言いにくい、本当は人に認められたいけど認められないかもしれない感情を抱えてる人っていうのが、すごいやっぱり愛おしいんです。

5、社会を変えるための活動

qbc:未来のお話をお聞かせください。未来って、どうしようと思っていますか?

DONSYΔRI:まず1年後、直近の未来で言いますと、自分の方向性っていうのを定めようと思ってます。アイドルという肩書をいただいてから半年ぐらい経つんですけど、まだ慣れなくて。
ミスiD自体も、参加する前はインターネット化け物バトルみたいに思ってたんですが、まさか自分が出るとは思ってませんでしたし。そういった自分の状況っていうのを受け入れるのに、自分で飛びこんでおきながら、この一年すごく時間がかかってました。
なので来年は、自分の肩書きであったりとか、その肩書きを通して見ている人に納得していただけるような活動を、たくさんしたいです。

qbc:なるほどお。

DONSYΔRI:今のところ、ただ段ボールを被ったインターネットのちょっとおもしろい人くらいの感じなのかなと。今準備しているところですが、音楽活動に関しても力を入れたいですし。
まだ、自分のコンセプトを人にわかっていただけるような活動がしきれてないなとも思ってます。「なんで段ボール被ってるの?」それはこういう根底があってって懇切丁寧に説明したらわかってくださる人はたくさんいらっしゃるとは思うんですけど。おそらく自分の活動を見ただけでは、理解できないでしょうし。そこをうまいこと言語化しない部分も含めてコンテンツで表せられるようになったらいいなって思ってます。
で、この段ボールを被って活動してる人、アイドル、アーティスト、DONSYΔRIっていう存在を見たときに、3年後、5年後くらいには、人々がけっこう違和感を抱かなくなるぐらいにはなりたいですね。
最終目標があって、私、日本のビリー・アイリッシュになりたいんですよ。

billieeilish!! フォロワー8千万って国家じゃん!
コルセットつけたねえ。

DONSYΔRI:あの風貌とか容姿とか。キャラクター的な感じで、ユニークに見える風貌を持ちつつも、社会問題であったり、自分のスタンスっていうのを完全に表明して、それに憧れる人が多い。そうすることで、社会への問題提起だとか、そういったことがもうちょっとカジュアルに、ラフにしやすくなるだろうって考えているんです。

qbc:なるほどお。

DONSYΔRI:活動家って、たとえば街宣車に乗ってデモをするとか、女性問題やLGBTの講演会をするとか、それを見たり聞いたりして心を入れ替えるというのもあると思うんです。でも、たとえばジェンダーレスな人気者の存在を見て「あ、こういう人いるよね」ってその存在に納得をするっていうほうが、カジュアルで受け入れられやすいかなってすごく思うんです。
ポップアイコンと言えばいいのかもしれませんが、そういう若者から憧れられる存在になりたい。あくまでもラフな体を装いつつ、みんなに日ごろ思ってる苦難とか、こういうことは嫌だよねって言いやすい社会と環境を作りたい。そういう空気を、自分が率先して体現できる存在になっていきたいなって思います。

qbc:真面目だよねえ。しっかり考えてる。

DONSYΔRI:真面目ですかね。でもけっこう奔放ですよ。奔放っていうか、たぶん、人にギョッとされるようなことしか、普段してないんで。あんまり、なんか。真面目ってあんまり言われたことないんでわかんないんですけど。

qbc:そのやりたいことについて言語化して、こうしたいんだよっていうことをはっきり私に伝えてくれるじゃない。そこはやっぱり自分の心情に対して真面目ですよ。

DONSYΔRI:あ、ありがとうございます。

qbc:社会のルールに従ってるっていう意味の真面目じゃなくて。自分の望む未来を真剣に作ろうとして取り組んでいる。

DONSYΔRI:なんかこう、2020年は本当にいろんな人が、自分の生活を考える時期だったのではと思ってるんですが。

qbc:あーそうそう。どう思う? コロナは、人間は。

DONSYΔRI:正直なところ、生きやすくなった部分も多くて。
いやもちろん、大変なこともあって。私のバイト先が倒産したりとか。だからお金稼げなくなっちゃったり。そういった生活面の苦難もけっこうあったんですけど。私、親が公務員なんで、そこの収入難はなかったんですけど、大学卒業の後は新しい生活がはじまるから準備費用がいるし。
ただ、たとえば一つのコミュニティにずっと属してなきゃいけないっていう同調圧力みたいなのが、コロナ禍でなくなった感覚はあります。

qbc:はいはいはいはいはい。

DONSYΔRI:たとえば、大学のサークルにいたら、そのサークルで地位を獲得するために、そこにずっといる初期メンバーみたいな顔をしてなきゃいけない。そういうの、誰も言ってないけどなんとなくあると思うんですけど。
飲み会あったら全部行かなきゃいけないですよね、みたいな。たぶんみんな、会社員の人とかでも行かなきゃいけない飲み会とか多かったけど、コロナがあって、断りやすくなったとかあると思うんです。

qbc:うんうん。

DONSYΔRI:そういった意味で、自分の生きやすい選択をしても許される社会っていうのが、ある種できた面もあるんじゃないかと思ってて。決して、このパンデミックを看過することはできないけど。
ただ、みんなが生活様式をいっせいに「はい」って変えることになった場面において、自分の生き方であったりとか、本当は何がしたいかって考える時間をもらったのかなって、すごく私は思ってます。こういうふうにコロナ禍じゃなくって家から出ない期間になってなかったら、。私は「ミスiD」にも出てないし、アイドルにもなってないと思いますし。

qbc:あーそうなんだ。それはでかいね。

DONSYΔRI:就職活動、去年の1月ぐらいからしてたんですけど、マジでもうなんか、めっちゃがんばったんですけど、全然ダメで。その辺とかもメチャ真面目にやってたんですけど、3月までは好調だったけど、急に緊急事態宣言以降、本当に厳しくなっちゃって。
結局終わったのが10月の末とかですかね。けっこう病んでました。どうせ就職できるかわからないし、自分がしたいことってたぶんもっともっとたくさんあるのに、自分がしたくないことに精神を割かれている状態ってすごい健康じゃない、嫌だなって。なんでこんなこと、がんばんなきゃいけないんだろう。
じゃあもっと、自分ががんばりたいと思えることをやろうって。今まで恥ずかしくてできなかったことを、後ろ指さされるかもってちょっと思ってたことに飛びこんだほうが、それこそ清水の舞台から飛び降りたみたいな感じでやろうって。「もしかしたらここで感染して死ぬかもしれへんし、とりあえずやっといたほうがいいわ」みたいな気持ちになって。
今までけっこう計画を立てて立てて立てて、実行までに二の足を踏みがちだったのを、とりあえずやってみて、ダメやったら辞めよ、みたいな感じの考え方に変わった。

qbc:なるほど。

DONSYΔRI:わりと、もしかしたら死ぬかもしんないっていう状況が迫ってきたときにこそ、逆に希望っていうのが湧いてきて、やってみようやって気持ちがすごく自分の中で出るようにはなりました。

qbc:めっちゃくちゃ影響あったんじゃん。

DONSYΔRI:そうです。もうガラッと変わりました。本当に。自分がこれまで二の足を踏んでたことに対して、挑戦をしやすくなった。

qbc:興味深いですね。コロナで20代の女性の自殺率は上がってるんだよね。プラスにもマイナスにも、スイッチ入るんだろうね。

DONSYΔRI:精神的に落ちこんでるからこそ、普通じゃないかもしれないっていうのに気づきやすいとか。

qbc:内省の時間がさ、ネガにもポジにも働くのか。

DONSYΔRI:公表してることですが、私ずっと不安障害があって、病院とか行ってるんです。過度の不安でパニックになっちゃっうみたいな感じです。
はじめて心療内科へ行ったときに、心療内科って怖いとこじゃないぞっていうふうに思って、そこに行ける気づきっていうのを、私はできたんですね。でも、意外と周りにはできてない人もいて。

qbc:そうね。

DONSYΔRI:で、私は精神科、怖いとこじゃなかったよって紹介してあげたんです。そうすることで、その子は自分がおかしかったんだ、自分って精神がちょっと不調だったんやってことを気づける。そういうこと、けっこう続いてて。

qbc:なるほど。

DONSYΔRI:何かに飛び込むのって、やっぱり自分を客観視して、今、自分どうなってるんだろうって気づくことって、すごい大変だと思うんですけど、逆にコロナは内省の時間をくれた分、それをより、ポジの部分、ネガの部分あるけど、先鋭化させてくれたのかなって思います。

6、最後のゆとり世代

qbc:コロナみたいな、地球規模のこんな大きい変動じゃないと、人間は変われないんだよね。

DONSYΔRI:うん、確かに。逆に、今考えると、コロナの前は、おんなじ日常がどんどん続いているだけ、みたいだったのかな。何かしてるようで何もしてない。そういう日ばっかだったのかな、もしかしたら。

qbc:なんだっけな。そういう概念があったよね。体重を一定に維持しようとするような性質。

DONSYΔRI:えーと、ホメオスタシスですか?

qbc:そうそう、社会にもホメオスタシスあるよね。

DONSYΔRI:あります。

これがホメオスタシス。

qbc:習慣に戻ろうとする慣性。変化を受け入れないっていうのが生き物の本質だよね。変革をしようとするから田舎で疎外される。そのホメオスタシスの重力を突破して、どうやって社会を変えていくか。

DONSYΔRI:逆に言えば、田舎にとってみれば、自分がウイルスみたいな存在になってるのかなって、今、思いました。まあ、でもね、それが良いように働くか、悪いように働くかってのは、そのあとを生きていく人間の判断次第だと、すごく思います。

qbc:つまり、田舎が都会になるってことを目指しているのかな。でも、単純にそれだけにはならないよね。全部が都市になるって世界、あるのかな。どういう変化になるんだろう。
ただの田舎ではない観光地って変わりやすそうなんだけどな。

DONSYΔRI:観光地は、人は流動的に入ってくるんですが、でもインバウンドで海外の人たちを呼ぶわりに、海外の人に対する偏見もすごいですよ。そういうの全然ありますから。

qbc:そうね。

DONSYΔRI:京都でもそんな感じでした。まあ、でも、自分が住んでるところの安寧が脅かされるっていうふうに思うのも、ホメオスタシスみたいなものなのかな。

qbc:その年代でそういうことに気づいて考えてるっていうのは、やっぱ、あれですね。最近の20代はすてきよね。10代20代の鋭さっていうか。

DONSYΔRI:私たちは考えてる世代だと思う。ゆとりだゆとりだってさげすまれてきた最後の世代なんで。

qbc:あーそうなんだ。最後のゆとり世代か。

DONSYΔRI:はい。

qbc:最後に、言い残したことはありますか? あえて、死ぬ間際に聞くような質問をしてるんですけど。

DONSYΔRI:あ、確かに。そうですね。言い残したことか。
なんかたぶん、今までけっこう抑圧されてというか、知らないあいだに抑圧されて生きてきてたんで、そういうのないほうが人生、めっちゃハッピー、マジでハッピーで、めっちゃおもしろいんで。
さいきん、友達から、なんでもかんでもおもしろいか、おもしろくないかで人生を測るのはやめたほうがいいって言われちゃったんですけど。

qbc:田舎の友達?

DONSYΔRI:田舎から一緒に出てきてた友達です。まあでも、ウケるかウケないかで判断して、ってそういう自分の中の基準で行動するかしないかを決めるのって、めっちゃ大事だと思うんで。
別に難しいこと考えずに、なんでもやってみたほうが、たぶん、マジで楽しいと思うんで。私の、なんでもやっていくところを、みんなに見せようとするので、是非見ていただけたらっていうふうに思っております。

qbc:本当ね、人間の本来の力はね、生きものの力って、自由な状態じゃないと発揮されないんだよね。だってさ、基本的に生きものだから生きようとするんだよ。それは自由から生まれるんだよ。なんでって、自由にやっていいよって状態じゃないとさ、の人自身の考えってものが生まれないからだよ。こういうルールでやりなさいって縛っちゃったら、考えるのをやめて、動くことをやめちゃうんだよ。
自由はさ、本当に一番重要な気がする。

DONSYΔRI:本当に。人生、面白くするのって、自分次第。マジでこういう実業家みたいなこと、言いたくないけど。でもなんか。いや、苦手なんですよそういう人。まあ、言ってる意味が違うと思うけど。

qbc:ああ、実業家の話。インタビューした人で、大阪芸大出身の人で、インドで一番有名になりたい日本語ラッパーの人がいるのね。

DONSYΔRI:おー。

qbc:その人は、ニューヨークで日本人の実業家に会ったとき、考え方が全部変わりましたって。
「彼らはね、未来のことしか考えないんですよ。芸術を目指してた僕ら、過去のことばっかり考えちゃってて、それがおかしいんですよね」「それから、一番自由なのは芸術家ではなくて、実業家なんじゃないかと思うようになりましたって」って。

DONSYΔRI:すごいな。

qbc:彼は、芸術家肌の過去の部分と、未来の実業家の考え方と、二つを秘めていておもしろかったですよ。
MCケロリンっていう人なんですけど。

DONSYΔRI:あ、お名前聞いたことあります。何で見たのかな。メガネの方ですよね。

qbc:そうそう「冴えないメガネ」って。

件のMCケロリンさんのインタビューはこちら!

qbc:それではありがとうございました。

DONSYΔRI:はい、ありがとうございました。

あとがき

これはつまり、マイルドヤンキーvs陰キャのスクールカーストの構造であり、都市と地方、都会と田舎という対立関係のお話だったのだ。
そして日本で20代の女性がどう生きるかっていう話だったかと思う。
しょうじき、いやそれは私怨であって、私怨を社会構造に絡めて話すのはズルくない?! ということも頭の中でちらついたりしたのだけど、それでも全力で自分の思考を、自分の計画を世の中で試そうという強い姿勢は、聞いていて興奮するものがあった。
みなさん、どう思った?

ずっと真夜中でいいのにのボーカルは顔わからんし、adoもyamaも顔を出していない。
月ノ美兎も顔は分からない。花譜だってわからん。顔を出さないメリットは、インタビューの中でDONSYΔRIさんが話してくれた通り。ちょっとした体調不良や、容姿という価値軸から自由になれる。そもそも、作品を作る人の顔を知る必要はあるのだろうか?
私たちは、過去や、知名度や、セクシャリティや、職業、そういったことでその人を判断する必要が、あるのだろうか?


編集協力:有島緋ナさん

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