見出し画像

【海士町】ラインがわからないぐらい仕事が楽しければ、それはもはや暮らしなのではないか。人

僕は毎朝5時に目覚め、コーヒーを淹れ、ジャズを聴きながらキーボードに向かう。小説を書くのが仕事だ。でも、それは本当に「仕事」と呼べるのだろうか。
ある日、隣に住む中年の会社員が僕に尋ねた。「あなたはいつ働いているんですか?」
僕は少し考えてから答えた。「たぶん、一日中かもしれません。でも、全く働いていないのかもしれません」
彼は困惑した表情を浮かべた。僕は続けた。「仕事と暮らしの境界線がわからなくなったんです」
その夜、僕はいつもより長く机に向かっていた。窓の外では満月が輝き、遠くで猫が鳴いていた。キーボードを打つ音だけが静寂を破る。
ふと、僕は気づいた。これが「暮らし」なのだと。言葉を紡ぐこと、物語を作ること、それが僕の生きる意味なのだと。
朝日が差し込み始めた頃、僕は最後の一文を書き終えた。コーヒーを一口飲み、深呼吸をする。新しい一日が始まる。仕事か、暮らしか。もはやそんな区別は意味をなさない。
と思う2024年7月30日10時55分に書く無名人インタビュー844回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 白水ゆみこ さんです!

年齢:30代後半
性別:女性
職業:旅をつくるひと


現在:「このときこう思った」みたいなことって、同じ事象でも人それぞれ表現が違うじゃないですか。だからその人に何が起こったかっていうより、こういう表現ができるんだ、っていう発見がある。

ナカザワ:
今何をされてる方ですか。

白水ゆみこ:
海士町で、港のすぐそばにある泊まれるジオパークの拠点施設「Entô」(以下、Entô)を運営している株式会社海士に勤めています。

ナカザワ:
どんなお仕事をされてるんですか。

白水ゆみこ:
会社の中に経営企画室っていう部署があって。総務とか人事労務、財務系まで会社の運営を支える仕事が全部集まった部署です。そこに所属して、各事業所の運営サポートをメインでやってます。

ナカザワ:
宿泊関係だけじゃないんですね。

白水ゆみこ:
そうですね。Entôの運営サポートが割合多くて、港にある船渡来流亭(せんとらるてい)っていうレストランや、同じ港の建物1階にある島じゃ常識商店っていう港のお土産屋さん(以下、常識商店)の運営も株式会社海士がやっています。わたしはそれぞれの事業所が大事にしたいアイデンティティーみたいなものに伴走したくて、業務改善を一緒に考えたり実施現場にも入るサポートをしています。
あとはEntôの公式HPでコラムを書かせていただいたりもしてます。

ナカザワ:
リンクを参考に送っていただいたのがそのEntôJournalですね。

普段生活する中で、ご自身の生活の中心になってるものはなんですか。

白水ゆみこ:
生活の中心ですか。いまは先に話したようも、仕事がメインですかね。
仕事から派生して、住んでる地区の交流とかも、私生活のメインといえばメインです。離島では一般的な娯楽自体が少ないので、ちょっとした交流自体が仕事とほぼ同じぐらい生活の中心になってるかもしれませんね。

ナカザワ:
最近楽しかったことは何ですか。

白水ゆみこ:
最近だと、運営しているEntôが7月1日で開業3周年を迎えて、イベントをたくさんやりまして。
当日は早朝から、島産のもち米で祝い餅をたくさんつくって、お世話になっている方へ配り歩いたり、あとEntôって漢字では「遠島」って書くんですけど、その響きに引っ掛けてボールを遠くに投げる「遠投」イベントをやったり。1週間くらいそんな行事が続いていて、お祭りみたいな雰囲気があってすごく楽しかったです。

ナカザワ:
具体的に楽しかったのはどういう瞬間ですか。

白水ゆみこ:
そうですね。これまでの開業記念は手探りなことも多くて、全力で楽しめるところまでは及ばなかったんですけど、今年は社内から「こんな事をやりたい」ってスタッフが企画を叶えていくような流れがありました。仲間の動きに触発されて、働いている私たちも結構楽しめた3周年記念で、いろんな事が実現できて良かったですね。島の人たちもイベントに参加してくださって、普段見れない光景を見られたし、島との関わりに変化を実感できて面白かったです。

ナカザワ:
なるほど。これまでのEntôのイベントとはまたちょっと違ったんですね。イベントで白水さんは何をされてたんですか。

白水ゆみこ:
私自身は、これをやりたい、あれをやりたいって言ってたスタッフが、実際に企画に参加できるようにシフトを変えて現場に出たり、サポートに回ってました。
時々イベントをやってる場所にふらっと足を運んだりして、直接の楽しみも味わえました。

ナカザワ:
イベントにはどんな人が来たんですか。

白水ゆみこ:
まず島の人たち、それからEntôに宿泊してる方。その日たまたま隠岐にいた島外の人とか、昔から海士町に関わりのある、いわゆる関係人口みたいな方もこの3周年に合わせて戻ってこられたり。
企画の一つとしてアリス・ウォータースの映画上映をやったんですけど、配給会社の方や、福岡からはミュージシャンの方、本当にいろんな方が来ました。

ナカザワ:
趣味でも何でもいいんですけど、仕事以外にやっていることとか好きなことはありますか。

白水ゆみこ:
最近というか先週から始めたんですけど、島内で三味線教室があるのを知って習い始めました。それが一番新しい趣味になりそうです。

あと昔から本がすごく好きなので、図書館にいる日も多いですね。いまシェアハウスに住んでるんですけど、玄関の一角を私の本が陣取ってて、棚で一面壁を埋め尽くすぐらい持ってきちゃってて、家にいるときも本を読む時間は多いです。カバンにも大体何冊かいつも入ってて、本はいつも身に付けてますね。身に付けてるっていうか、傍らにいるというか。

ナカザワ:
どういう本が好きなんですか。

白水ゆみこ:
エッセイはすごく好きですね。何の種類でもいいんですけど、誰かの日記だとか料理にまつわる読み物だとか。現実に沿ったものっていうんですかね。小説とかは逆にそんなに読まなくて。

ナカザワ:
どうしてエッセイを読むのが好きなんですか。

白水ゆみこ:
なんでしょうね。書いた人が感じたことが文字になってるのを読んで、そういう気持ちって、言葉や文字にするとこうなるんだー、とか。
「このときこう思った」みたいなことって、同じ事象でも人それぞれ表現が違うじゃないですか。だからその人に何が起こったかっていうより、こういう表現ができるんだ、っていう発見がある。エッセイってつくりものじゃない現実から派生した結構ローカルな発見が多くて、そこにすごく惹かれるというか、読んでておもしろみがあるなって感じますね。

うん。今まであんまりこういうことを喋ったことはなかったけど、改めて問われると、そうかもしれないなって、今喋りながら思ってました。

ナカザワ:
なるほど、言葉にする表現方法。

白水ゆみこ:
そうですね、エッセイに限らず新聞とか、ネットニュースとかでもいいんですけど、そういう表現があるんだっていうのにすごく敏感かもしれないです。
その言葉の使い方は知らなかったとか、読んでてすごくいいな、みたいなことは、エッセイと呼ばれる類のものを読んでいて見つけることが多くて。そこに強いアンテナを持っているのかもしれないです。自分自身は表現が下手だと思ってるので、純粋にこれいいなっていう気持ちも沸き起こってるかもしれないです。

ナカザワ:
素敵な表現だなとか、これなんかいいなとかって思うものを見つけたときって、どういう感情なんですか。

白水ゆみこ:
何を思ってるのかな。そう言われると、なんでしょうね。
驚き、というほどの大袈裟さはないんですけど、嬉しさというか、本当になんというか、こう「見つけた!」っていうパッとした感じがあるんですよ。ちょっと、語彙がなくて伝えきれないんですけど。
その場で書き留めたり、付箋を貼ったり、ネットの記事だと、スクショしてみたりとか。特にそれを使う場面は実際少ないんですけど、いいなと思ったものをリスがほっぺたにいろいろ入れていくような感じで、とにかく貯めていってますね。そのときの感情はうまく言えないんですけど、見つけた後の行動はそんな感じです。

過去:コストがかかっても、やっぱり観光に戻った方が自分の精神衛生は良いということがわかった

ナカザワ:
これから過去の話も聞いていきたいと思うんですけど、白水さんは子どもの頃はどんなお子さんでしたか。

白水ゆみこ:
正直記憶が薄いんですけど、中学生のころだったら、割とやりたいことを積極的に取りに行くっていうか、これをやりたいって思ったら直談判しに行くような感じの子ではあった気がしますね。

ナカザワ:
それって例えばどういうことなんですか。

白水ゆみこ:
習い事とか、部活のポジションとかも、最初に決められた場所にずっといられないというか、ずっと同じことができなくて。あれがかっこいいから私もやりたいって思ったら、「やらせてください」って顧問の先生に直談判したりとか。やりたいこととか欲しいことを掴みにいくっていうか、取りに行くタイプですね。
もっと幼い頃になると、小学生の頃とかはもしかしたら男の子を泣かせていたような記憶がちょっとあるかも。それぐらいですかね。

ナカザワ:
ちなみに今は海士町、離島に住んでらっしゃると思うんですけど、生まれ育ったところはどんな場所でしたか。ずっと海士町なんですか。

白水ゆみこ:
いえ、この島に来てからもうすぐ丸3年なんですけど、出身は福岡県です。海士町の前は熊本県の黒川温泉で働いてました。そんなに長くはなくて4年ぐらいですね。熊本の前まではずっと福岡県内で、ちょこちょこ動いてたっていう感じです。

ナカザワ:
例えば風景とか、どういう雰囲気の場所で生まれ育ってきましたか。

白水ゆみこ:
地元はなんというか、普通の郊外のちょっと田舎街みたいな感じ。高倉健さんの出身地なんですけど、何か目立つことがあるかっていうとそれぐらいで。どちらかというと自然が多い景色が広がってます。

今、話しながら思い出したのが、小学校がやたらと遠くて。一時間近く歩いて通学してたような記憶ですね。校区が広かったのと、私が住んでた家があと10歩で隣町っていう場所だったんですけど、道路を挟んで向こう側に住んでたら、徒歩10分の学校に行けたんですよ。しばらく両親に文句を言ってた記憶が今、蘇りました。ちょっと広い田舎町です。

ナカザワ:
やりたいことを取りに行く、みたいな部分は今とは違いますか。スタンスというか性格というか。

白水ゆみこ:
うーん、意外と変わってない気がしますね。やり方が変わっただけというか。
大人になっていくにつれて、直談判でいきなり「お願いします!」じゃなくて、根回しとかちょっとずつ覚えていくので。自分が頑張れば、ここまではできる、みたいなことが分かっていく中で、スタンスは正直そんなに変わらないけど、段階を経てみたりとか、いきなり100を目指すみたいなことはしなくなったりとか。
あとは、生活のためにも仕事をしているので、資金的なアプローチを模索することができるし。それでも基礎みたいなところは、意外と変わってないですね。

ナカザワ:
直談判して、実際にやってみてどうでしたか。記憶に残ってることありますか。

白水ゆみこ:
そうですね、中学のときは吹奏楽部で、先輩がやってた楽器に憧れすぎて、自分に割り当てられた楽器よりそっちをやりたくて、フルートからオーボエって楽器に変えたことがあったんですね。
結局やりたいって願い出て始めたその楽器にはまって、大人になっても音楽を続けるきっかけにはなったので。自分で選んだことで変化が続いたなって思うこともあるし、そこからいろんな人間関係が広がって、今も音楽関係は交流が続いてたりします。

ナカザワ:
なるほど。これまでは中学生ぐらいまでの話だったんですけど、高校時代はどうでしたか。

白水ゆみこ:
高校も音楽は部活に入らず、社会人オーケストラに誘ってもらって楽器を続けてました。
学校生活はクラスが全員女子で。女子校と男子校が合併して、ちょうど共学が始まった1期生だったんですよ。わたしの学科は被服系のデザイン科だったのもあって当時は女の子しかいなくて、自分のクラスだけ3年間ずっと女子校みたいでした。
もう破天荒っていうか、クラスが。それに釣られてちょっと危ない橋を渡りそうなときもありました。結構みんな自由奔放というか、それこそ、やりたいことをやる人たちのクラスだったので、ノリで無茶をするっていうことを覚える3年間でもありましたね。

ナカザワ:
うんうん。

白水ゆみこ:
ピアスとか絶対校則で禁止されてるんですけど、夏休みに思い切って何個か開けたり、夜中に公園でめちゃくちゃ花火するとか。そういう、若干グレーゾーンで遊ぶみたいな。高校自体はいろんなタイプの友達がいたので、結構たくさん遊びましたね。思い出せる限りでも、だいぶ危ないこともやったなって思うんですけど。でも楽しかった記憶です。

そういえば一時、学校に行かなかった時期があって。高3の夏の終わりとかだったんですけど、楽しいはずの内輪ノリが急に面倒くさくなって。3ヶ月ちょっとぐらい、友達と絡むのが面倒くさすぎるって言って行かなかったんですよね。あの時期がなんだったのか、思春期だったのか、何か思うところがあったのか分からないですけど。
クラスの特性上、洋服を作る卒業制作があったので、卒業のために段々と学校を再会して、なんとか卒業したっていう感じです。でも基本的にはずっと遊び倒してました。

ナカザワ:
デザイン系だったんですね。結構元気な学生時代だったんですね。

白水ゆみこ:
そうですね、先生が手を焼くクラスだったのは間違いなかったと思います。

ナカザワ:
楽しかったっておっしゃってましたけど、どういうところが楽しかったですか。

白水ゆみこ:
割と中学を卒業するまでは部活も厳しくて真面目に過ごしていて。高校に入ると、いろんな地域からいろんな人が来ていたので、急に情報が入ってきて初めて知ることも多くて。意図してないものも含めて、数えきれない経験ができたんですよね。そういう新しい出会いというか、人とかコトとの出会いが純粋に面白かったのかなと思います。

学校帰りにマックへ4,5人で寄ってだべって帰るとか、通学の途中で気が変わってカラオケに行っちゃうみたいなこととかって、それまでの自分だと考えられなかったんですけど、意外とできるというか。まあ、普通に禁止でしたけど(笑)でも勢いでやれちゃうし、やると面白くて、新しいことを覚える時期だったのかな。その体験が、いい悪いは別としても、自分の中で楽しいこととして残ったのかもしれないです。もう一生分じゃないかっていうぐらいのプリクラも撮りましたからね。

ナカザワ:
なるほど。それで、高校は無事卒業ですか。

白水ゆみこ:
卒業しました。

ナカザワ:
その後の進路というか今に至るまでっていうところをお聞きしたいんですけど、大学進学はされたんですか。

白水ゆみこ:
在学中に受かったんですけど、諸々の事情で入学金が支払えなくて。入学を見送って、そのまま働くことになったんですよね。
最初は地元の隣にできたイオンモールで飲食店のアルバイトからスタートして、派遣社員をいくつかやってみたり、正社員もいろいろやってみました。20代のうちに10社ぐらいの会社を渡り歩いて、業種も転々として。30歳くらいまでずっとそんな感じでした。福岡県内だったんですが、地元からは徐々に離れて、福岡市の方に居住地を移しながら、仕事を変えていったのが30代の前半ぐらいまでです。

そのあとちょっと病気をして2年間ぐらい一切働けなくて。働けなかった期間に通院とかもしてたんですけど、リハビリの中で将来のことを考えたときに、一旦なんていうか、好きなことを好きな場所でやってみようっていうことで、熊本県に移住したのが32歳ごろです。

そのタイミングで初めて観光業に足を踏み入れました。熊本で旅館の仲居を4年ぐらいやって、それから2021年に今働いている株式会社海士に転職しました。今年38歳なんですけど、相当ざっくり人生そんな感じです。

ナカザワ:
怒涛の20代ですね。

白水ゆみこ:
確かに、怒涛でしたね。もう全然記憶がよみがえらないぐらい、20代は働きまくっていて。30歳で病気をする直前には、土地とか建物の不動産売買営業についたんですけど、自分の中では段階的に給与を上げるっていうことを決めて転職を繰り返していて、振り返ると10年ぐらいお金に執着した働き方だったなって。

どこかで、お金さえあれば大学に行けたのに、みたいな結構トラウマめいた思いで、とにかく年収を上げ続ける約束を自分の中でして、仕事をどんどん変えていましたね。

ナカザワ:
そのときのモチベーションっていうのはお金をとにかく増やすっていうことでしたか。

白水ゆみこ:
もう、自立すれば誰にも文句は言われないでしょう、みたいな。自立イコールお金っていう執着がすごく強かったです。
20代は特に、他の選択肢が浮かばないぐらいで、稼ぐ以外の目的をほぼ全く考えてなかったような気がします。入学が取り消しになった反動が10年続いたみたいな。極端な話ですけど、それぐらいの勢いでした。

ナカザワ:
この頃って、住む場所も徐々に都市部の方にってことでしたけど、1人暮らしをされてたんですか。

白水ゆみこ:
ずっとほぼ1人ですね。途中、2軒目くらいに住んだマンションの駐車場で猫を拾ってしまい、今もその猫と一緒にいます。10何年目だろう。12、3年とか一緒にいますね。転職の度に住む場所を変えてきたので、猫には6回ぐらい引っ越しに付き合ってもらってます。

ナカザワ:
さきほど、病気をされた時に好きなことを好きな場所で、という思いが出てきたとおっしゃってたんですけど、それまでのお金へのこだわりからはかなり変化の大きい部分だと思ったんですけど、どういうきっかけでそういうふうになったんですか。

白水ゆみこ:
働けなくなり社会から1回離脱した気になったので、諦めというか、1回リタイアしたからもうどうにでもなるでしょう、ぐらいの感じでした。

だから過去に経験した業種とかに戻るっていうことは全然考えなかったんです。
自分はどこでなにをしていると一番いいんだろうって考えたとき、もう福岡ではないんじゃないかって。人口とか便利さとか、細かいことは考えてなかったんですけど、ぱっと浮かんだのが元々ずっと暮らしたいっていう願望があった熊本の阿蘇で、今なら行けるんじゃないかっていう案が急に浮かび上がったんですよね。

暮らす場所を変えると、執着も消えていくかなと考えてたときに、たまたま旅館のお仕事の募集が出ていたんですね。旅館の仲居をやりたいっていう思いは強くなかったけど、引っ越すチャンスになるなら応募してみよう、と掲載最終日に応募したんです。23時59分にはこの募集が終わるっていう、あと数時間みたいなところで応募したら、そのまま来週来てくださいって話になって。

直接出向いたときに、お互いの手間を考えて面接のときに、2年間仕事をしてなくて、こういう経緯で、みたいな話をしたらその場で採用していただいて。
通院もあと2ヶ月ぐらいで終わるっていうタイミングだったので、その年の年末に猫と阿蘇の山奥に引っ越しました。

ナカザワ:
福岡の外に出たかったですか。

白水ゆみこ:
あんまり考えてなかったと思ってたんです。でも、働けなくなったことが立ち止まるきっかけになって、場所を変えたかったんだってことに気付いたんだと思います。
働きっぱなしでそんなことを考える余地もなかったので、ゆっくり自分に向き合う時間ができると、ずっとここでいいんだっけ?と考え始めて、じゃあ一体どこにいたいんだっけ?って。そういう流れでしたね。

ナカザワ:
実際それで阿蘇に行って、今は海士町にいらっしゃるということで、また場所は結構違うんですけど、どうして今ここにいるんですか。

白水ゆみこ:
旅館に入って3年目に差し掛かるころ、コロナ禍が来たんですよ。観光地だし、初めて温泉街に全く人のいないゴールデンウィークを経験したんです。

今まで1回もなかったんですよ。どんだけ災害が起きてもゼロっていうことはなかったんですけど、ほぼ全部の旅館が営業しないことになって。その光景を目の当たりにして、さらに、当時の報道とかでも、特効薬の開発にはまだまだ時間がかかりそうだと。これ終わるのかな?って考え始めて1年以上、本当に先が見えませんでした。
旅館には移住が目的で入ったけど、実際やり始めると接客は楽しくて、自分に合うなって感じていたんです。それが、マスクと透明のアクリル板と、異常なくらいの消毒作業とか、今までなかったことが増えていって、いつまで続くかわからないっていうところで結構疲弊してしまったんですね。

それで観光自体から1回離脱してみようと思い、1年ぐらい引き継ぎをしながら退職して、福岡に帰って全然違う職種に転職したんです。そしたら、転職した仕事がもう本当につまらなさすぎて(笑)当時採用してくれた会社には本当に、大変失礼なんですけど、入社して3週間ぐらいで転職先を探そうと。そこで、観光が好きになってたんだということを改めて思ったんです。
退職の時、いつでも熊本に帰っておいでよって言われてたんですけど、今帰ってもスキルが変わってないから、あんまり役に立たなさそうだなと自分なりには思っていたので、少し他で揉まれたり、別の地域の観光業を体験してみてもいいんじゃないかと。1回熊本に身を移したことで、暮らす地域を変えるっていうことにそんなにハードルを感じなくなっていたので、あちこち探してる中で、海士町のホテルがあと数ヶ月後にオープンするという求人を見つけたんです。

黒川温泉で採用していただいたときと同じサイトをずっと見続けていて、日本仕事百貨っていうんですけど。

日本仕事百貨さんのサイトをかなり信用していて、働きながら読み物としてずっと見ていたんです。当時Entôでは、宿泊業の経験者を探していたので、すぐ連絡して採用していただいて。

オンライン面談で、島にお試しで1回よかったら様子見に来てくださいってことで、開業して2週間ぐらいのときに行ったんですね。代表の青山とか、当時の採用スタッフとか現地で働いてる方に会って。そしたら、たまたま私が来島した日に、老若男女問わず島の皆さんが30人くらいで焚き火を囲んでいる日で、何ここ?って驚いて。
そこで話した方からもグッとくる話が聞けたし、たくさんの若い人がこんな遠いところに来るの?って当時は衝撃だったんですけど、なんかそれだけ面白い場所なんだろうなと思って転職したのが2021年の夏です。

ナカザワ:
なるほど。

白水ゆみこ:
当時の福岡の会社には、「観光の仕事に戻るので、来月会社辞めさせてほしいです」と、ものすごい失礼だなって思いながら淡々とお願いしてすぐに辞めて。借りたばっかりの賃貸は契約の残期間がかなり長くて、めちゃくちゃ違約金取られたりとかいろいろあったんですけど(笑)そういうコストがかかっても、やっぱり観光に戻った方が自分の精神衛生は良いということがわかったので、それで戻ったっていう感じです。

ナカザワ:
実際変えてみてどうですか。

白水ゆみこ:
なんだかんだ引っ越した後もコロナは引き続き爆発してたので、こんな時に自分は何をやってんだろうとも思ってました。
でも、はじめて観光に足を踏み入れた黒川温泉っていう場所が自分にすごくフィットしていて、場所も人も、旅館っていう宿の形態とか、温泉が日常にあるっていうのが本当に肌に合ったんですよ。いずれあの場所に帰るための修行期間だと思って、しばらく海士町に行ってみるかと。これまでと違う場所で何でもやってみたら、もうちょっとぐらいは成長できるかもしれないって思っています。

それに、いずれは黒川温泉に戻るつもりだから、多分ずっとはいられないっていうことを前提に採用していただいて。今日も、何か役立てるようにいつかは帰りたいなって思いながら、島で過ごしてるっていう。なんかそれだけは迷いながらも大きく変わらなくて。

ナカザワ:
今は修行期間なんですかね。

白水ゆみこ:
自分で勝手にそうしてるだけなんです。修業っていう言葉ほど実際やってることは厳しくないんですけど、3年前より自分にできることが少しでも増えてたらいいなって思って、あれこれやってみています。

未来:面白いですよね。大人になるって本当に面白いなって思ってます。

ナカザワ:
先ほどの話にも関わるかもしれないんですが、白水さんは、5年後とか10年後とか、そういった将来についてどういうイメージをお持ちですか。

白水ゆみこ:
先ほど黒川温泉に帰りたい、みたいなことを話した手前ではあるんですが、結構この島のことを気に入ってて。なので、5年後、いや5年だとちょっと短いかもしれないですけど、10年スパンで考えたら、もしかしたら2拠点とか、1つの場所にとどまらない、行き来できる生活を目指したいなって思い始めています。どちらにも自分の家があって、いつでも帰れる状態になっていて、どちらの地域でも宿泊とか観光に関わる仕事ができてると最高だなと。

ナカザワ:
うんうん。

白水ゆみこ:
仕事を生活の軸にするつもりはあまりないんですけど、そのラインがわからないぐらい仕事が楽しければ、それはもはや暮らしなのではないかって思ったりするので、生活と仕事がパキッて分かれてないぐらいの働き方をしてたいなといつも考えてます。

ナカザワ:
二拠点生活ですか。

白水ゆみこ:
うん。二拠点は、目指したいですね。

ナカザワ:
熊本に戻ったら、どういうことをやりたいですか。

白水ゆみこ:
自分の宿を立ち上げたいなとずっと思ってます。

ナカザワ:
なるほど。

白水ゆみこ:
海士町に対しても同じ思いなんですけど、自分だけのものではなくて、誰かの拠点にもなりそうなイメージで、分かりやすくいうと場作りに近いことができる場所が持てたらいいなと思ってます。島の外の人も、島民も一緒に居てもいいみたいな。
今借りているシェアハウスはすごく居心地が良くて、この家で何かできたらなとも思ってます。すごく気に入ってるので。

ナカザワ:
今おっしゃったような話は今後10年くらいのイメージですか。

白水ゆみこ:
そうですね。ただ、ここから10年経つとわたし40代後半になっちゃうので、10年とは言いつつ、動き始めるとしたらもう本当に今からとか、なるはやで始めたくはあります。でもあんまり急がず、良いタイミングで自分のペースで、とも思ってます。

ナカザワ:
宿泊、観光に関わるっていう話なんですけど、宿泊業とか観光業の魅力とか楽しさとしてはどんなことがありますか。

白水ゆみこ:
観光業そのものへの思いは、どっちかっていうと後付けで。
黒川温泉に来るまで10社ぐらい、いろんな業種・いろんな雇用形態でバラついたことをやってたんですけど、宿泊業ではその全部が活きたんです。
コールセンターでいろいろ文句言われた経験も、丁寧な受け答えのベースにはなったし、不動産会社で営業してたときのちょっと目上の人との距離感とか、接客のときに役立ったし。意識して積み上げたわけじゃないのに、あのときこれやっといてよかったなと思うことが山ほどあって、宿泊業では過去の経験が何も無駄にはならないんです。

逆に宿泊業で経験したことは、違う分野にもまた還元できるというか、紐づいてくるんですよね。これまでの経験が宿泊に集約されて、また外に広がっていくっていうか。それがすごく救われるし、自分も心地がよくて肯定されてる感じがするんです。
一期一会で色々な人と会えるし、宿には10年以上も毎年来るお客さんがいたりして。人間だからできる仕事の最たるものというか、尊いことだなと思いながらやってきたんです。

旅館の仕事に少し慣れてくると、宿の外に目が向き始めて、地域を見始める。そしたら観光っていうもっと広いところが気になって、人は宿にどんなタイミングで来るんだろうとか、旅でどんなことを感じているんだろうとかが気になり始めて、全体も知ってみたいなって思うようになったんです。

ナカザワ:
なるほど。

白水ゆみこ:
そうやっていくうちにだんだん面白くなってきて。自分にはすごくハマる業界だったんですよね。

ナカザワ:
なるほど、人と関わる仕事の究極体みたいな感じですね。

白水ゆみこ:
そうかもしれないです。結局日々トラブルもあるんですけど、相変わらず面白いですね。

ナカザワ:
うんうん。

白水ゆみこ:
今は役職もあって現場には立ってないので、直接お客さんと話したり出迎えるっていうのは減りました。それでも、現場を担うスタッフの成長を見るのが今はすごく楽しくて。スタッフが宿泊した方と談笑していたり感謝を伝えられている様子も嬉しいし、ずっと飽きずにやってます。

ナカザワ:
なるほど、ありがとうございます。
ちょっと抽象度が変わるんですけど、死ぬまでにこれはやりたいとか、これをやるまで死ねないみたいなことってありますか。

白水ゆみこ:
ものごとみたいなことですか。

ナカザワ:
そうですね。抽象的でもいいと思うんですけど。

白水ゆみこ:
死ぬまで、難しいですね。正直ぱっと浮かばないんですけど、いずれにせよ、それは自分が納得したことなのか。そこが結構わたしの中では重要というか。
又聞きの情報ってあんまり信用できなくて、「誰々がこう言ってた」とか、「そう聞いてますよ」みたいなことより、自分で確かめるというか。多分、自分で掴みにいくことがいろんな行動のベースなんだろうと思うし、納得感をある程度は大事にしてますね。

ナカザワ:
うんうん。

白水ゆみこ:
うん、そこかな。その感覚さえあれば、どんなことも案外軽々とやれるので。

ナカザワ:
なるほど。子どもの頃からやりたいことをやるということがベースにあって、さっきの納得感の話にもつながると思うんですけど、そういうことを大事にされてきてる中で、やっぱり大学に行けるはずだったのにいけなかった、みたいなところって、唯一、やりたいけどやりきれなかったみたいなものだったのかなと想像するんですけど、それがなかったらどうなってたと思いますか。

白水ゆみこ:
そうですね。もしかすると観光業には入ってなかったんじゃないですかね。そもそも絶対に離島にはいなかったと思います。
経済学を専攻してて、地方経済と心理学を組み合わせて勉強しようと受験したので、もっと、フィールドワークにガンガン突き進んでいたかもしれないな、とか。20代の多くの時間で、あったかもしれない未来を想像して働いてました。

でも大人になると、働きながら通信や夜間大学に行ってる人もゴロゴロいて。そういう選択肢は、知らないだけで実はあるんだっていうことが分かると、過去の出来事を、できなかったこととして仕舞い込まなくていいんだとも思い始めて。大人にならないと見えない選択肢もあるんだなと。

なんかあんまり固執しなくていいんだって思ったのは本当に病気をした頃でした。確かに出来事としては大きかったんですけど、もう自分ではどうしようもなかったし。
入学金の期日って言われた日の最終夜までバイトを4つ掛け持ちしたんですけど結局必要額に少し届かなくて。駅前ホテルの厨房裏で皿洗いしながら泣いてた自分が、やっぱりずっと頭の片隅にいたんです。それもだんだん消えていったかな。やれることはやったよね、と思いながら、考えが広がったんですよね。

あれがなかったら今ここに居ないし、良い悪いではなくて、こういう暮らしや働き方は手にしてなかっただろうし、自分で経験してきた結果かなと思います。できなかったこと全部が悪ではなかったなというか、激しい人生グラフの線が、考え方次第でちょっと緩やかな曲線にもできる、そういう気付きはたくさんの人との関わりの中で育った気がします。

ナカザワ:
なるほど。

白水ゆみこ:
面白いですよね。大人になるって本当に面白いなって思ってます。

ナカザワ:
なるほど。ありがとうございます。
最後に、海士町に関係する皆さんに聞いてるんですけど、白水さんにとって海士町ってどういう場所ですか。

白水ゆみこ:
このインタビューに関わらず、結構いろんな人からも聞かれるんですけど、そうですね…。3年住んでみて、出会うべき人やものに出会える場所っていう感覚になってきてます。欲してたタイミングで、腑に落ちる助言をもらえたり、自分にとって必要な出会いがありますね。そういう場所ですかね。

尊敬してる本の著者にしれっと会えて2次会のスナックをご一緒できたり、島に関係する誰かが、自分は知らなかっただけで実はどこかで繋がってるということが、この島では頻繁に起こるんですよ。なんで人口の多い東京じゃなくて海士町なんだろう、とも思うんですけどね。縁島とも言えるし、本当に不思議です。

すみません、全くまとまらなかったです。

あとがき

白水さんの言葉を通して、観光・宿泊業の印象がガラッと変わりました。
観光というと、客観的な価値の追求やコンテンツ作りのイメージを持ってしまっていたことに気づいて、こんなに手触り感のある面白い世界だったんだな、と。

『これまでの経験が宿泊に集約されて、また外に広がっていく』とか、『人間だからできる仕事の最たるもの』という表現、面白いなと思いました。

「人間だからできる仕事」というのは、人と向き合う仕事なのかもしれません。

【インタビュー・編集・あとがき:ナカザワ】

#無名人インタビュー #インタビュー #一度は行きたいあの場所 #この街がすき #離島 #海士町 #ホテル #ento

この記事は海士町関連のインタビューです。
他関連記事は、こちらのマガジンからお楽しみくださいませ!!!!!


マガジンで過去インタビューも読めますよ!

インタビュー参加募集!

いただいたサポートは無名人インタビューの活動に使用します!!