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広告よさらば(社会系コラム集)

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– A Farewell to Ads – グラフィックデザイナーやコピーライターとして広告や商業デザインに携わり20年程で引退した元アートディレクターのつぶやき。 商業主義社会…
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#資本主義

「モノ」 時間泥棒を追って(4)

今回は、本当は主題的にもっととっておこうと思っていた「モノ」についてです。昨今では、まる…

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「無駄」 時間泥棒を追って(3)

「いやぁ、テレビ見てたら、あっという間にもう夕方だよ。」 「昨日、ネット朝まで見ちゃって…

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「風景」 時間泥棒を追って(2)

「駆け込まないでください!」「少しでも空いているドアへおまわりください!!」「無理なご乗…

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「儲かリストの純真」 商業主義社会の常識

「さよなら商業デザイナー」として約1年余りにわたり、私個人のグラフィックデザイン委託制作…

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循環 〜 ものを大切にするということ 《さよなら商業デザイナー(28)》

以前の「綺麗にして土に還す。」という内容の文末で、長年望み続けて来た委託デザイン制作業か…

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社会から引き退き自然の儘に還る 《さよなら商業デザイナー(27)》

前回の「商業主義社会からの引退」という表題について、この表現「引退」ではなくて『商業主義…

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さよなら商業主義社会 《さよなら商業デザイナー(26)》

さよなら商業デザイナー本当であれば「商業主義社会」ではなく『(現代)資本主義世界』という題目をつけるべきなのではないだろうかとも思う私も確かにいる。しかしいま現状では、そこまで追及する必要性を感じていない私がいるということのほうが感覚的に「近距離」に感じている。 第一章として「さよなら商業デザイナー」という表題にて、実際に私自身が商業デザインの受注制作を引退するまでの心情を重ねて書いてきました。 【さよなら商業デザイナー】「辞めたい人」の不都合な心理分析という感じでした。

商業社会のおける肩書きの罠(後日談) 《さよなら商業デザイナー(25)》

「ブランディング」という名の罠先月末日で商業デザイナーを辞め、無理矢理にでも期日通りに形…

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理解と同意は別物 《さよなら商業デザイナー(24)》

前回の内容にあったように、しばらくは気分次第に、徒然と思い浮かんだものを吐き出すように書…

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最終日 《さよなら商業デザイナー(23)》

そもそもこの文章としては一年前から書き始めたようなものですね。これまでつべこべ書いてきま…

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「不自然な癖を自然の中で浄化させる」 《さよなら商業デザイナー(22)》

商業デザイナー(委託制作グラフィックデザイナー)としての自分もあと約3日に迫った本日です…

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最後の時間たち 《さよなら商業デザイナー(21)》

「1年間もかかってしまいました。」2017年の1月に「さよなら商業デザイナー」という文章を書き…

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すべては感謝に変わるまで 《さよなら商業デザイナー(20)》

人の喜びこそが「品質」であり、人を生かす「まごころ」の品質こそが「豊かさ」の価値である。…

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なにがいいんだかわからなくなるんです 《さよなら商業デザイナー(19)》

さよならをする前に、一人の人として「こぼれ話」を。「さよなら商業デザイナー」この主題にて、今回で最終回の予定だったのですが、予定を変更して最終回の前にひとつだけ。これまでの「品質の価値」の話とも言えるのですが、あえて言い表すなら逆で「価値の品質」について、最後にこぼれ話をさせてください。 前述の「デザイン「いろは」を知らずして」の中で、『デザイナーが社会の中で肩を落とす時』や『社会の中では人としての好意による「無償の行為」は「無料のサービス」と認識されることもある。』等にて