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【小説】真神奇譚 第六話

 「ところであんたの通り名、酒手の眩次の酒手って変わった名だけど何か云われでもおありかい」お雪は帰りの道すがら思い出したように気になっていた眩次の通り名の云われを聞いてみた。
 「あっしの通り名ですかい。よくぞ聞いてくれやした」眩次はここぞとばかり喋り出した。
 「また始まった。お雪さんや、あんた覚悟した方が良いぞ。この話が始まると一晩中でも止まらなくなるぞ」小四郎はうんざり顔で歩を早めた。
 「旦那、良いじゃありやせんか。せっかく姉さんが聞いているんだから」
眩次は眼を輝かせながら語り始めた。 
 「あっしは化け狸ですがその中でも坂道狸と言う一族の出でやす。酒手の由来は今になってははっきりとは分かりませんが坂道と関係しているようです。ほら、昔の馬子や駕籠かきがせびるあれですよ。
 あっしらの一族は阿波の金長狸の眷属で常に金長の側近として活躍してきやした。酒手一族は金長狸と六右衛門狸との合戦、姉さんは阿波の狸合戦はご存じですかね、その合戦にも何度となく加わった由緒ある家柄で敵の眼くらましをするのが役目でした。初めて姉さんに会ったときめまいがして社の濡れ縁からすべり落ちたでしょ。あれがあっしらの技です」
 「そうかい世の中は広いね。阿波の狸合戦は聞いたことはあるけどさすがのあたいも化け狸の技までは知らないよ。でもこの平和な世の中じゃ狸合戦でもあるまいから腕の見せ所がなくてさびしい限りだね」
 「よく言ってくれやした。まったくその通りでだいぶ腕も鈍ってきやした。姉さんは人間の車に乗ったことはありますかね。近頃じゃ車が信号待ちをしている時に下り坂を上り坂と錯覚させて人間を驚かすくらいが関の山でね、情けない限りでやすよ」
 「そう悲観することも無いやね。また役に立つ時もあるんじゃないかね」
 「そう言ってくれるのは姉さんだけだね。ありがとうございやす」
 「お雪さん、こいつは甘やかすとひたすら付け上がるぞ」
 「良いじゃありやせんか旦那。姉さんがああ言ってくれてるんですから。ついでにご先祖様の手柄話でもいたしやしょうか」
 「酒手の由来も分かったし、それはまたの機会としようじゃないか。ほらもう社が見えて来たよ」
 「そうですかい残念だな」眩次はいかにも残念そうにお雪の顔を見た。
 「姉さんは強面のふりをしてますがその実は気立ての優しい人じゃない猫ですね」
 「ちょっと優しくしたからって調子に乗るんじゃないよ」照れ隠しかお雪は板塀でひとしきり爪とぎをすると社裏の猫道を走り去って行った。
 


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