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【小説】弥勒奇譚 第一話(全三十話)

「またあの夢だ」
弥勒は同じ夢を繰り返し見るようになり、ここ数年は三日と開けず頻繁に見るようになっていた。
弥勒は京に住む仏師で、中堅どころとなった現在いくつかの仕事を任せられるようになっている。考えてみればこの夢を見るようになったのは師匠の不空に弟子入りした頃からであった。
不空は明るい性格の男で弟子も多く老境となりつつある今も精力的に仕事を受けこなしていた。弥勒は中堅とは言え口数の少ない物静かな性格で、どちらかと言うと弟子の中でも目立たず、新たな造像より修理の仕事をあてがわれる事が多かった。

「夢」とはこうである。
いずこか山深い地の寺院か神社の御堂に一人いて、仕事の依頼を受けたのか仏像を彫っている。半丈六の坐像で尊名はよく分からないが如来像のようだ。
夢だからと言ってしまえばそれまでだが結末はいつも同じで、仕上げの段階で手の印相を彫っている場面だ。今ではいつもやっているどうと言う事もない作業なのだが、妙に緊張して手元が覚束ない。そうこうしている内に鑿が深く入り指先を切り落としてしまう。短い叫び声をあげ目を覚ますのだった。
夢を見始めた仏師になりたての頃も、いくらか腕に自信もついてきた今も夢の内容に変わりが無いのは不思議と言えば不思議だった。
夢で見る景色は見たことも行ったこともない場所だし、如来のような尊格の高い造像は実はまだ経験が無かった。新規の重要な造像を手掛けてみたい気持ちとは裏腹に引っ込み思案の性格が災いしてか師匠からの声は掛からなかった。
平安京への遷都から数十年が経過しており藤原氏の台頭も手伝って造仏の仕事はいくらでもあった。
夢のことも気にはなったが日々の仕事に追われていた。
仏像の造立は大寺であれば寺院専属の仏師が携わるのが普通である。仏師を抱えられないような小寺院では弥勒のいるような仏師集団が依頼主から造仏の仕事を請け負うようになりつつあった。
いまは山科の安祥寺で小仏師として兄弟子の元であまり重要とも思えない作業を任されていた。贔屓目に見てもやり甲斐のある仕事ではなかった。

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