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【小説】弥勒奇譚 第二話

年の暮れも近づき仕事も大詰めとなっていた小雪の舞う寒い日に、師匠の不空がふらりと現れた。不空は仕事場を頻繁に訪れるのが常であったが、ここにはあまり足が向かなかったようで随分と久しぶりの事であった。
「弥勒はおるか」相変わらずの張りのある声で呼ばれたのは意外にも自分の名前だった。
「はいただいま」何事かと思いながら急いで不空の前に座った。
「お前、私のところに来て何年になった」
「今年で十五年になりました」
「そうか、ところで最近でもいつか話していた夢は見るのか」
弥勒はこれには少し驚いた。随分と前に一度だけ話しただけなのになぜ覚えていたのだろう。何で今になって急にそんな話を持ち出したのか訝しく思った。
「最近は三日と開けず見るようになっています」
「いやなに仕事の依頼を受けたのだが、その話を聞いてふとおまえの夢の話を思い出したのだ」
「どう言う事でしょう」
「この仕事の依頼を聞いた時にふとお前の夢の話を思い出したのだよ」不空は思いもよらない話を始めたのだった。
「おまえも知っておるだろう道隆さまを通して薬師如来の造立依頼があったのだ」
「道隆さまと言いますといくつも阿弥陀堂を建立されている」
「今度は薬師如来ですか」
「本人ではなく頼まれごとのようなのだ」
「場所は大和の室生の里だ」
「室生と言いますと室生寺の金堂に奉る仏像の造立が始まるように聞いております。やはり室生寺での仕事でしょうか」
不空は「ふん」と少し不機嫌そうに鼻を鳴らすと「室生寺の仏像は官営造仏所の連中がやることになっておるわ」と吐き捨てるように答えた。
「この件は鎮守の本地仏の造立依頼だ」
「おまえの夢のように室生は大和でも最も山奥で、鎮守の龍穴社は室生寺よりさらに奥だと聞いておる。そこの社での仕事だ」「どうだ、おまえこの仕事頼まれてくれるか。
一躯のみなので一人で行ってもらうことになるがな」
「うちに依頼が来たのも何かの縁だ。もしかすると
おまえの夢と何か関係があるのではないかとそんな気がするのだ」
たしかに気になる話だし任される仕事となるとやって見たい気はする。しかしながら行ったこともない地の果てのような場所に行くと思うと多少迷うところだ。だが現実には師匠の命令に逆らえる訳もない。「開眼供養までにはどのくらい時間を頂けるのでしょうか」
「室生寺の方も遅々として進んでいないようで来年の秋頃までで良いそうだ」
「それはまたゆっくりですね」
「時間は余るほどあるから道すがら大和の寺院でも参詣して天平の仏でも拝してくれば良い。見ることも修行だ」
師匠にそうまで言われると断れない。このまま今までの仕事を引きずっていても何も変わりそうにも無いし思い切って行ってみようと、いつもの弥勒では意外なほど簡単に決心がついた。
「やらせてもらいます。道隆さまからは造像に際してのご要望はお有りでしょうか」
「木造、半丈六の薬師如来坐像と言うことだけだ。後は自分の思う通りに腕をふるってみなさい。私も一度は室生に顔を出すつもりだ」
「ありがとうございます。大した用意もありませんので年明け早々にも出立したいと思います。

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