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vol.37 黒川雄星「自分が輝いている姿」を想像してみる

「大学生活をもっと充実させたい!」「やりたいことを見つけたい!」という想いを持ちながらも、なかなか行動に移せない北海道内の大学生に向けた連載企画「Knows」。

編集チームが独断と偏見で選んだ面白大学生の人生をお届けします。今回は第37回目。ゲストは北海道教育大学岩見沢校3年生の黒川雄星さんです。

こちらが黒川さんのfacebookと落語愛好家「釣亭黒鯛」としての黒川さんのホームページです。

学業だけでなく、趣味の落語からサークルの発起人、その他学生団体等、
多くのコミュニティに所属されている黒川さん。落語という珍しい特技を通じて人や地域と関わることの大切さを学んだそうですが、どのような経験から現在の黒川さんが形作られていったのでしょうか。

インタビューは以下からスタートします。

プロフィール

黒川 雄星 (くろかわ ゆうせい)

北海道教育大学岩見沢校 3年生

学業の他、
・アマチュア落語愛好家「釣亭黒鯛」
・大学内の芸能サークル発起人

その他、多くのサークルや学生団体のメンバーとして精力的に活動されています。

アイデンティティは「落語」

―本日はよろしくお願いします。親御さんの影響で幼い頃から落語を始められていたというのをプロフィールで拝見しました。そういった部分も含めて、小学時代から順を追って黒川さんのお話をお聞かせ下さい。

「よろしくお願いします。そうですね、父の落語を見聞きしていた影響で、物心ついた小学生の時には僕の身にも染み付いていました。クラス会で落語を発表したりするうちに、『落語好きの黒川君』と呼ばれるようになったりして、いつの間にか自分と落語が結びついていましたね。

他には地元の老人ホームを訪問して落語を披露する機会などもありました。色々な場面で褒められていると、自然と自信がついてきたのを覚えています。」

―ありがとうございます。現在まで落語を続けられているそうですが、この頃落語とはどんな感覚で向き合っていましたか?

「この頃は単純なもので、ただ落語ができるからやっていた、という感じですね。誰もがやる訳ではない変わったことに取り組んでいて、それをすると周りから褒められるのが嬉しかった、というものだと思います。」

―なるほど。では、落語との向き合い方をはじめ、中学生ではどのような変化がありましたか?

「はい。中学生の頃にも、生徒会企画などで特技を披露するイベントのようなものが何度かあって、昼休みの時間に体育館で落語を披露したところ、友達が沢山集まってきてくれました。
披露する楽しさを覚えましたし、落語が自分の中で武器になった感覚がありました。落語というものが小学生の頃よりも強く僕のアイデンティティになったと思います。

校内でも評判になって、知り合いもコミュニティも一気に増えて。人間関係を広げていく楽しさも感じられるようになりましたね。
現在でも、大学には知り合いが多いという自覚はあります(笑)。些細なきっかけですが、人生の色々な場面において落語というものが多くの繋がりをくれたと思っています。」

―はじめは趣味だった落語が、順調に黒川さんの軸になりましたね。それ以外では何か今の自分に繋がる出来事などはありますか?


「僕は今大学でスポーツ経済学を勉強しているんですが、これは中学生の時の北海道旅行で、好きだったファイターズの試合を見たことがきっかけなんです。」

―なるほど。どのようなきっかけでしょうか?

「ファイターズという球団と、札幌という街が一つになっていたことが印象深いです。地域に根差した密着型の球団とそれを支える地域、というあり方にとても感銘を受けて、自分も何かの形でそれに携わりたいと思ったんですね。

なので、落語もそうなんですが、中学時代の経験の多くが今の自分の道を示してくれているという手応えのようなものはあります。もう一つ挙げるなら、大好きな趣味の釣りですね。

『落語』『ファイターズ』『釣り』。この三本の柱が自分を形作ってくれていると思います。」

中学時代、落語ワークショップの一枚。

―黒川さんの「好きを突き詰める」という性格が世界を広げていきましたね。大きなアイデンティティを得た黒川さんですが、高校時代にはどんな出来事がありましたか。

「大きなターニングポイントとしては、進学した高校にお笑い同好会という集まりがあったことです。部員はほんの少ししかいませんでしたが、顧問の先生の趣味が落語だったこともあって、市内で落語を開催したり新聞やラジオに取り上げて頂いたりと、高校時代には落語愛好家としての活動規模が広がりました。」

広報取材を受けた際の一枚。若者が落語に取り組む姿は
やはり地域の注目も集めるようです。

「なので入学当初はただただ落語が楽しいという感覚でしたね。自身に満ち溢れていましたし、有名人を気取っていたかもしれません(笑)。 

でも、冬頃になるとスランプに入りました。お客さんからのウケが悪くなったり、他の方の落語の上手さに挫折しそうになったり。思うようにいかないし、やりたくないしという感じで、気が滅入る一方で、落語の披露はいい機会だからと断れず……。もしかすると今までは子どもだったから褒められていたのかもしれないという気付きもあって、苦しい時期になりました。」

―落語家としての黒川さんに初めての挫折が訪れた年となってしまいました。話が逸れますが、落語にあまり詳しくないのでお聞きしたい部分が。落語の上手い下手というのはどんなところで決まるのでしょうか?

「個人的には『個性』だと思います。落語は古典のお話で、内容も決まっていますよね。他にも様々な部分で決まりますが、大きい所としては個性を発揮できているかどうかだと思っています。ここでいう個性とは、本人のキャラや話し方の緩急、身振り手振りなど、さりげない表現力の差がつく部分ですね。

アマチュアなのでとりわけ大きな差がある訳ではないのですが、常に全力で話すというのも不自然ですし、変な動作を入れるのも余計だったりと難しいものがあります。

脱線しますが、落語の傍らで漫才などもよく見ます。上手いなぁ、と感心させられる方が好きですね。
例えば『ナイツ』さん。浅草芸能といいますか、昔ながらのやり方でいかにして笑いを取るかという伝統的な型の漫才に憧れますね。

山内さんは好きな芸人さんはいたりしますか?」

―コント寄りなんですが、僕は『サンドウィッチマン』さんですね。誰がやっても面白くて笑えるような笑わせ方やネタの構成を考えるのが凄く上手いと思います。
僕も『なるほど』と思わせられるようなお笑いが好きかもしれません。

「うんうん。面白いですよね。僕もそれと同じような価値観です。お笑いは典型的なものでも万人に受けいれられますが、落語はあまりに古典的すぎてもダメというのが難しいと思います。
若い人に落語を受け入れてもらうには、まだまだハードルが高いんですね。落語に取り組む若者として、僕の使命はその部分にあると思っています。

時系列が前後しますが、大学時代には、絵画作品と組み合わせた落語に挑戦したりしました。」

―落語と真剣に向き合う時期に差し掛かりましたね。スランプからの脱却のきっかけはどんなものでしたか?

「それまでは原稿を読み覚えて披露する形でしたが、実力を上げるため、落語を『聴く』ことを試しました。落語の醍醐味はテンポやリアクションにもあると思います。

そのために文字ではなく音声から入って覚えようとしましたね。始めは音声を繰り返すだけでしたが、そこにエッセンスのようなものを加えていって、自分のものにしました。『元犬』という演目が僕の殻を破るきっかけになりましたね。僕の十八番の演目です。」

イベント「藝術らくご会」の一枚。
同大学の美術文化専攻の学生さんと、落語と絵画作品の共演を果たしました。
作品は演目「元犬」の世界観を表現。

―文字ではなく音声。感覚から落語を掴みにいったんですね。それからの時期はどうでしたか?

高校2年生は、それまでとは違った自信のつき方を経験しました。夏休みに、ホームステイでニュージーランドへ行ったんです。英語で落語を披露したら『カッコいい』と言ってくれました。

向こうには『人と違うことをやるのはカッコいい』という考え方があって、興味をとことん突き詰める自分の個性を肯定されたことがとても嬉しく、印象に残っています。」

―落語に限らず、自分という存在を支える大きな自信ですね。

「高校3年生になると、応援されていることを認識するようになります。地域での落語歴も3年ということで、熱心なファンの方もついてくれて、地域に落語で関わっていることの素晴らしさも分かりました。

もう一つ大きかったのは、落語に興味を持ってくれた後輩が現れたことです。若い人に落語が広まったという嬉しさと同時に、下が入ってきたことで自分の落語に若さという誤魔化しが効かなくなりました。

また、僕の高校は香川だったんですが、徳島の落語同好会の学生さんとの出会いもあって、同世代のライバル出現ということでそれも非常に刺激的な出来事でした。

高校までの落語が僕に教えてくれたのは、『人との繋がり』です。落語だけを通しても色々な人と繋がれる上、見に来て下さる方への感謝の気持ちも浮かびます。好きなことが一つあると、とても心強いですね。」

文化祭での一枚。黒川さんの落語きに惹かれ、
後輩が同好会の一員に。

―落語から、沢山の学びを得られたのですね。この時期には進路決定に悩むと思いますが、黒川さんの悩みはどんなものがありましたか?

「中学の時に札幌で湧いた興味をそのまま持ち続けていたこともあり、ファイターズが居る街にしようと、最終的にはスポーツ経済学のある教育大岩見沢校に進学した訳ですが、この大学に決めたのは受験期の最後の方でした。

前までは他の大学の推薦を受けていたんですが、落ちてしまって。ただ、その大学に通う自分の姿をあまり想像できなかったんです。最終的にやりたいことがはっきり見つかったのが教育大岩見沢校でした。

今頑張っているのは、合格させてくれたこの大学への恩返しという部分もありますね。学校側の期待に応えたいです。」

―ファイターズへの憧れが決定打なんですね。落語はあまり進路とは関わりがなかったのが意外です。

「はい。進路とは別で、落語は趣味だと割り切っています。寧ろプロ野球ファンという部分が強いですね。ただ、面接で高校時代の活動を聞かれたときには落語が役立ちました。他には自分のやりたいことを面接官の方に伝えるということも、僕の中の考えを整理するきっかけになりました。」

将来「やらないこと」をいま全力でやってみる

―なるほど。大学入学後はどのような活動をされてきましたか?

「香川にいたときに、地域と関わる面白さに気付きました。それを岩見沢でもやりたいと思い、大学1年生のときに『芸能サークル』を自分で立ち上げました。このサークルの第一目標は、地域と関わることです。

僕はたまたま落語がありましたが、それはあくまでも手段。得意技があれば何だっていいというのを大切にして活動しています。

僕自身、芸能サークルだけでなく大学生協、よさこい、準硬式野球、その他学生団体……などなど沢山のコミュニティに所属しています。自分達で何かを企画して行うのはやはり楽しいです。そんな風にして、今は大学生のうちにしかできないことをやろうと思っています。

自分を売り込むためという個人的な理由もありますが……(笑)。」

―行動力の塊ですね。活動を続ける中で、自分のポリシーのようなものはありますか?

「進路の話のときと同じで『自分がそれに取り組む姿をイメージできるか』という考えを大事にしています。自分が物事にどんな顔をして取り組んでいるかというのを、自分以外の第三者になってみて、そこから自分を想像する感覚ですね。

それと関連した話なんですが、高校時代は放送部にも入っていて、裏方の仕事も経験したんですね。落語家としてスポットライトを浴びる側の良さも、企画の主催者としてスポットライトを誰かに浴びせる側の良さも、両方学びました。

その方面の仕事もアリかもと思ったんですが、プロ野球に関わる仕事をしている将来と比べると、やはり後者のほうがしっくり来ました。」

「物事を決める際の選択肢には『やりたい方』『そうじゃない方』があると思います。『そうじゃない方』は恐らく、将来やらないものですよね。だったら大学生の今、それをやってしまおうと思ったんです。意外と割り切っているかもしれません。

プロの落語家さんの裏方作りのインターンに行ったことがあるんですが、将来その道に進むかと言われると、そうじゃないんです。インターンは普通、将来就きたい仕事のために行くものですが、僕は『そうじゃない』。

だからこそ、今のうちに経験しておきたいんです。『将来やらないから、今全力でやってみる』。僕の行動には、そういう考えが根底にあります。」

―将来やらないことを敢えて全力で……。僕が持っていなかった考え方です。素晴らしい思い切りの良さです。

「他には、好きを突き詰める性格のお陰か、1年のときに所属したいゼミを決めていて、早くから関わらせてもらっていました。前は嫌いだったけれど、勉強って面白いなと思いました。

大学という環境は、僕の『好きをとことん』という考えを許してくれる場所だと思うんですね。そこが凄く合っている気がします。」

―大学生という時間と環境を最大限に活用されていますね。2年生になってからはどうでしたか?

「皆さんも辛い思いをしたと思いますが、コロナ禍が痛かったです。落語の活動が全くできませんでした。ですが、コミュニティを広げたり、地域へのアクションは続けていきました。

2年生の終わりには、自分で『落語×映像&絵画』をコンセプトにしたイベントを開催しました。この頃はイベントに呼ばれる機会が多かったんですが、自分で企画するのも楽しい!というのを思い出したときでしたね。

先ほどの動画を見返しても、好きなことをしているからか顔がとてもイキイキしているように感じられます(笑)。」

―アクティブに活動されていたからこそ、コロナ禍が大きく響いてしまったようですね。昨年、3年生はどんなことがありましたか?

「2年生の活動の延長といった感じですね。ねぶたプロジェクトに携わっていたこともあって落語を披露する機会はあまりありませんでしたが、コミュニティへの参加は絶やしませんでした。

3年生の初めに、自分を紹介する『出番求む!』的なチラシとホームページを作って、色んな場所で配ったんです。そうしたらメールが沢山来て、コロナ禍で開催できなかった山積みのイベントが2022年に沢山入りました。4月に巻いた種が、今ようやく芽を出したという感じでしょうか。」

コロナ禍を受け、配信形式で開かれた落語会。
様々な形でイベントが行われています。

「何とこのチラシが、真打である林家とんでん平さんというプロの落語家さんの目にも留まりました。“初代“林家三平さんの直属の弟子にあたる方です。

簡単な道のりではありませんでしたが、そういった沢山の出会いや出来事のお陰で、広報活動を行った甲斐があったと思えました。」

―思いもよらない多くの縁に恵まれたようですね。

「はい。大学時代全体で見てみると、1年でコミュニティを広げて、2年生でそれが希薄になってしまっていますよね。それは惜しいと思って、自分から積極的に友人や後輩と連絡を取ったり話を聞いたりして、コロナ禍においても人と人の繋がりを絶やさないような努力をしました。
先輩として、後輩の背中を押してあげることも大事ですよね。」

地域との関わりを大切にされている黒川さん。
高校卒業後も地元の祭りに参加し、
落語を披露されています。


今後の展望とメッセージ

ーありがとうございました。それでは、黒川さんの今後の展望について教えてください。

「残りの1年間は、最近の活動が少ない分、芸能サークルを頑張ります!
入ってきた後輩にスポットライトを浴びせるところまではやりたいですね。

地域から色々なお声がけを頂けるということは『必要とされている』ということだと思います。僕が居なくなったあとも、それを残さないといけない。これは、活動を通して目に見えない需要の存在に気付いた僕の使命だと考えています。

そういう訳で、2022年は落語会を岩見沢で沢山開催します!乞うご期待下さい!

僕個人の展望としては、仕事と両立させて落語を趣味としてこれからも続けていきたいと思います。では仕事はどんなものかと言うと、これまで述べてきたファイターズ……もといプロ野球に関わる仕事に就きたいと思っています。

最近発揮できていないだけで、プロ野球業界はまだまだ魅力も底力もあると感じています。僕自身、遠い香川からファイターズという理由だけで北海道に来ていますから、そういう人をまだまだ増やせると思いますし、野球と地域が結びついた街づくりもまだまだ伸びしろがあるはずです。そういう部分に関わって盛り上げていきたいですね。」

ー立場が変わっても、地域貢献を将来も続けていくのですね。素敵です。最後に、想いを持ちながらも動きだせない大学生に対してのメッセージを下さい。

「『何で悩んでいるんだろう?』……アドバイスできる立場かは分かりませんが、僕の性格上そんな気持ちです。僕の妹がちょうど大学受験なので、妹にアドバイスするように何かを伝えるとしたら『想像してみよう』ですかね。

自分を客観的に見て、何をしている自分が一番格好良く居られるか、イキイキしているか、輝いているか。それで決めるべきだと思います。

僕はよく『落語好きの黒川君』と呼ばれますが、そんなことはないんです。他にも好きなことが沢山あります。僕の中の落語は、自分の個性を形作る手段の一つでしかないんです。皆さんの好きなことも、その一つ一つが皆さんを作る武器になると思います。そういう意味では、自分の興味が将来に繋がるとも言えますね。

もう一つ、人間というのは『塞翁が馬』だと思っています。例えば僕の場合は、志望校に落ちて暗い気持ちになっても、結局その経験が今の自分に繋がっています。
結局僕たちは、辿り着いた所で上手くやっていけます。だから、足を止めるのが一番勿体ない。そう伝えたいです。」

―自分の進みたいことに向かって歩みを止めない。一度初心に立ち返るような、大切な考え方と印象的なフレーズを頂きました。本日は大変ありがとうございました!

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以上でインタビューは終了です。

「将来やらないことを、大学生のうちに」。長いようで短い大学生活の数年間を有意義に過ごしたいものです。
黒川さんの人生を書いたこの文章から何かのきっかけを得てもらえたら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

取材・文:山内翼 (note instagram

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