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読書記録『私とは何か/平野啓一郎』

今年12冊目
「空白を満たしなさい」の中で『分人』という考え方が出てきたことがキッカケで読んだ本。
上記の小説を読んだことは、自分にとってとても意味あるものになったし、この分人という価値観を知れたことは今後生きていく上での財産になると思っている。それくらい衝撃的だったし、非常に興味深い視点だった。



今回の『私とは何か  〜「個人」から「分人」へ〜』は新書である。
感想の前に本書より感銘を受けた箇所を引用する。

たった一つの「本当の自分」など存在しない。 裏返して言うならば、 対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」
「社会的な分人」と「グループ向けの分人」を経て、最終的に生まれるのが、「 特定の相手に向けた分人」である。  もっとも、すべての関係がこの段階まで至るわけではない。そうなるかどうかは、運もあれば、相性もあるだろう。
主役となる「いい先生」は、生徒一人一人に対して柔軟に分人化する。  グレた生徒とは、その生徒と最もうまくコミュニケーションが取れる分人になる。優等生とは、また違った分人で接する。そのことに、生徒が信頼を寄せる。
八方美人とは、分人化の巧みな人では ない。むしろ、誰に対しても、同じ調子のイイ態度で通じると高を括って、相手ごとに分人化しようとしない人である。
私たちは、幼い頃には、親や兄弟に向けた分人しかなかったのが、年齢を重ねるにつれて、交友関係が広がってゆき、その分、分人の数も増えていく。その結果として、私たちは、 多種多様な分人の集合体 として、存在している。  誰に対しても、首尾一貫した自分でいようとすると、ひたすら愛想の良い、没個性的な、当たり障りのない自分でいるしかない。まさしく八方美人だ。しかし、対人関係ごとに思いきって分人化できるなら、私たちは、 一度の人生で、複数のエッジの利いた自分 を生きることができる。
誰とどうつきあっているかで、あなたの中の分人の構成比率は変化する。
個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。
私たちはこれまで、人間には核となる個性があり、それをオープンにして生きることが誠実な生き方だと思い込んできた。数年間、誰かとつきあうと、自分はその人の本質をよく知っているような気になる。分割不可能な、個人同士の関係のモデルだ。そして、その人が、自分以外の人とまったく別の顔で接しているのを知ると、裏切られたような気持ちになる。あいつは、あんな性格を隠していたのか!? アレがあいつのウラの顔だったのか!? と。  しかし、私たちは神ではない。自分の親しい人が、色々な場所で、色々な人とコミュニケーションを図るために持っているすべての顔を知ることなど、出来るはずがない。
人間関係は多種多様 だ。自分に対して、一切隠しごとをしてはならない、あなたのすべてを私に見せなさいというのは、傲慢である。それは、相手に対して神になろうとしているのも同然だ。
私たちに知りうるのは、相手の自分向けの分人だけである。それが現れる時、相手の他の分人は隠れてしまう。分割されていない、まったき個人が自分の前に姿を現すなどということは、不可能である。それを当然のこととして受け容れなければならない。
貴重な資産を分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、 複数の分人の同時進行のプロジェクト のように考えるべきだ。学校での分人がイヤになっても、放課後の自分はうまくいっている。それならば、その放課後の自分を足場にすべきだ。それを多重人格だとか、ウラオモテがあると言って責めるのは、放課後まで学校でいじめられている自分を引きずる辛さを知らない、浅はかな人間だ。
私たちは、一人でいる時には、いつも同じ、首尾一貫した自分が考えごとをしていると、これまた思い込んでいる。しかし実のところ、 様々な分人を入れ替わり立ち替わり生きながら考えごとをしているはずである。無色透明な、誰の影響も被っていない「本当の自分」という存在を、ここでも捏造してはならない。
分人が他者との相互作用によって生じる人格である以上、ネガティヴな分人は、半分は相手のせい である。 無責任に聞こえるかもしれないが、裏返せば、ポジティヴな分人もまた、他者のお陰なのである。
あなたと接する相手の分人は、あなたの存在によって生じたものである。 相手が、あなたとの分人を生きて幸福そうであるなら、あなたは、半分は自分のお陰だと自信を持つことが出来るし、不幸そうなら、半分は自分のせいかもしれないと考えるだろう。
「自分探しの旅」は、文字通りに取るとバカげているように感じられるが、じつは、分人化のメカニズムに対する鋭い直感が働いているのかもしれない。なぜなら、この旅は、分人主義的に言い換えるなら、新しい環境、新しい旅を通じて、 新しい分人を作ることを目的としているからだ。
人は、なかなか、自分の全部が好きだとは言えない。しかし、 誰それといる時の自分(分人) は好きだとは、意外と言えるのではないだろうか? 
逆に、別の誰それといる時の自分は嫌いだとも。
そうして、もし、好きな分人が一つでも二つでもあれば、そこを足場に生きていけばいい。
人間の恋愛感情は、シーソーのように、どっちかが高まればどっちかが低下する、ということを繰り返し続ける のだろう。
愛とは、「その人といるときの自分の分人が好き」という状態 のことである。つまり、前章の最後に述べた、 他者を経由した自己肯定の状態 である。
なぜ人は、ある人とは長く一緒にいたいと願い、別の人とはあまり会いたくないと思うのだろう? 相手が好きだったり、嫌いだったりするからか? それもあるだろう。しかし、実際は、 その相手といる時の自分(=分人) が好きか、嫌いか、ということが大きい。
愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。 そして同時に、 あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。
今つきあっている相手が、本当に好きなのかどうか、わからなくなった時には、逆にこう考えてみるべきである。 その人と一緒にいる時の自分が好きかどうか?  それで、自ずと答えは出るだろう。
「わたしと仕事、どっちが大事なの?」という詰問は、文字通りに取ると、比較しようのないものを比べている、バカげた発想のように思われる。しかし、「 どっちの分人が大事なの?」となると、話は違う。
パートナーはよく似た分人のバランスを持っている人が理想的 なのかもしれない。
恋愛関係は、自分が抱いている「相手向けの分人」と、相手が抱いている「自分向けの分人」とのサイズが同じくらいでないと、なかなか、うまくはいかない。 片思いというのは、お互いの分人の構成比率が、著しく非対称な状態
こちらはどんどん好きになった人向けの分人を膨らませて、他の分人をすべて押し潰して、四六時中、その人のことばかりを考えているというのに、むこうはいつまで経っても、社会的な分人のまま自分と接している。あるいは、別の人間向けの分人の方が遥かに大きい。デートに誘ったら、忙しいからと断わられたのに、相手が別の人間とデートしていたと知れば、ショックで気がヘンになりそうだろう。その人にとっては、別の人間との分人の方が大切だという意味である。──これが、片思いの苦しみの正体だ。
失恋の苦しみは、相手との分人が膨らむだけ膨らんだ後で、もう二度とそれを生きられなくなってしまうことにある。
その別れた恋人との分人は、時間の経過と新しい誰かとの出会い(分人化) によって、少しずつ小さくなっていく。特に、新しい恋によって、生きているのが楽しい別の分人が生じれば、その分人は急速に廃用性萎縮を起こしてゆくだろう。
十年前のあなたと、今のあなたとが変化しているとすれば、それは、つきあう相手が変わり、分人の構成比率が変わっているからである。
自分の親しい人間が、自分の嫌いな人間とつきあっていることに口出しすべきではないと、私は書いた。大好きな人間の中にも、大嫌いな人間の何かしらが紛れ込んでいる。そこに、私たちの新しい歩み寄りの可能性があるのではないだろう。


だいぶ厳選したが、かなりの引用数になってしまった。
どのテーマから切り取った分人についての説明も面白かったけど、特に「第4章 愛すること・死ぬこと」は面白かった。


自分が一人で考え事をしているときに、いい波に乗っている時と、悪い波に飲まれている時があった。
いい波の時はポジティブで背中を押してくれるような誰かとの分人だったのかな、と自分は解釈している。その逆も然り。ネガティブ思考になる分人は過去にネガティブ反応をされたりそのことをひきづっている時の分人なのかなと。

今後の人間関係に置いて、一生「分人」という考え方を持って自分は生きていくと思う。

例えば、Aさんと話した時は○○って言ってたけど、Bさんと話してる時は△△って言ってるなあ。どっちが自分の本音なんだろう。とはきっと思わなくなるだろう。


もっと人に優しくなれる気がするし、相手を理解しようと思える自分になれる気がした。
というか、もっと早くにこの本、分人という考え方に出会っておきたかったと心の底から思う。

「人だけでなく、本も、最良のタイミングで出会う」と信じているので、今だからこそ意味があったのだと。この先の自分で大いに生かして行こうと思います。



本当にこの本と出会えて良かったし、「分人」という視点をくれてありがとうございます!!って全力で平野啓一郎さんに伝えたい気分である。

あと新書ならではの醍醐味は、作家さんの思考や視点の拾い方を知ることができること。小説を作るキッカケとか、平野さんが長年かけて思考し、彼なりの答えを出していくところが、あとがきに書かれていて、そこも面白かった。

とりあえず、作家さんはすごい!
突き詰めて考え抜くという作業は根気がいることだろうにそれをした上で作品になるのがかっこいい。

自分ももっと考え抜きたい。考える持久力や耐久力を持ちたい。
思考から逃げない。


オススメ本です。

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