思想を持ったお店をつくったり、運営、デザインをしているひとやその感想などの記事をまとめるマガジンです。
株式会社うなぎの寝床 白水高広
会社概要ほど正式なお知らせではないですが、会社にまつわることを。
「#うなぎの10年」というマガジンをつくりました。このマガジンは、うなぎの寝床をはじめて10年、地域文化商社ができるまで、それが生まれる以前の思考と経験、そして、会社を立ち上げて以降の試行錯誤の10年を振り返ってみたいと思います。 #0 振り返るうなぎの10年
白水高広の日記のようなものです。
うなぎBOOKSは2021年10月に、福岡県八女市旧塚本家にオープンしました。まずは1500冊ほどの本が入り、町の本屋としてスタートさせています。私たちも本の流通ははじめてなので、本を扱う組織としての機能をしっかり社内にインストールするといいうことが目的でした。そして、ここからがうなぎBOOKSの本当の仕事のはじまりです。今回の記事は「うなぎの寝床 旧寺崎邸」に本コーナーを拡張することをきっかけに、うなぎBOOKSのコンセプトも含めて書いてみようと思います。 【うなぎB
地域文化を感じ取る場所を都市につくりたい うなぎの寝床は2012年7月に、福岡県南部の筑後地方を中心としたものづくりを発信する場として、福岡県八女市でスタートしました。アンテナショップとしてスタートしましたが、2015年から久留米絣のMONPEのメーカーとしても活動をはじめました。当初は福岡県南のものづくりが主要な取り扱いでしたがが九州、そして全国のものづくりも紹介するようになりました。 アンテナショップとしてのはじまりから、メーカーや、ECなどの役割を付加し、2017年こ
去年、産地経営サミット2021を行いました。福岡県広川町の事業の一環で行なっており、福岡の久留米絣産地が主催でありながら、愛媛今治タオルの組合、福井鯖江のTSUGIの新山さんを中心とした取り組み、有田の官民と共に取り組んでいる取り組み、4産地で15分ほどのプレゼンの後、意見交換を行いました。 各産地、産業、産地、工芸家業の集まりなど、様々な産地特性があり、課題感を共有しながら、お互いの足りないところ、進んでいるところ、特徴も含めて有意義な意見交換ができました。 1974年
「#うなぎの10年」というマガジンをつくりました。このマガジンは、うなぎの寝床をはじめて10年、地域文化商社ができるまで、それが生まれる以前の思考と経験、そして、会社を立ち上げて以降の試行錯誤の10年を振り返ってみたいと思います。 #0 振り返るうなぎの10年 #1 「建築応用学」建築的な思考方法が地方においては役に立つ #2 就職しないで生きる。東南アジアバックパック旅行で得た仕事感 #3 自思考を持って曖昧を議論する。 前回は、大学3年生の時に、東南アジアへのバックパ
考え方と思考をまとめたものを、まとめていきます。
佐賀県で行なっている。「暮らし」という軸から伝統工芸や地域のものづくりを考えるプロジェクトです。http://new-normal.life
株式会社うなぎの寝床のやってきたことのまとめ記事などです。
「#うなぎの10年」というマガジンをつくりました。このマガジンは、うなぎの寝床をはじめて10年、地域文化商社ができるまで、それが生まれる以前の思考と経験、そして、会社を立ち上げて以降の試行錯誤の10年を振り返ってみたいと思います。 #0 振り返るうなぎの10年 #1 「建築応用学」建築的な思考方法が地方においては役に立つ #2 東南アジア1ヶ月バックパック旅行で得た仕事感 前回は、建築を学んで、その思考が今の仕事につながっていることについて書きました。今回は大学3年生の時
「#うなぎの10年」というマガジンをつくりました。このマガジンは、うなぎの寝床をはじめて10年、地域文化商社ができるまで、それが生まれる以前の思考と経験、そして、会社を立ち上げて以降の試行錯誤の10年を振り返ってみたいと思います。 #0 振り返るうなぎの10年 #1 「建築応用学」建築的な思考方法が地方においては役に立つ 前回は、僕白水の小学生から高校生までの簡単な振り返りを行いました。ここからは大学に入ってからのことを振り返ってみたいと思います。 大学では建築を勉強ま
あけましておめでとうございます。 2012年7月1日に、うなぎの寝床は創業しました。2022年7月で10年をむかえようとしています。創業当初は、代表の白水高広、妻、共同創業者の春口丞悟、の3人ではじめた小さな活動でした。今は人数も増えグループ会社のUNAラボラトリーズ のメンバーも含めると40人を超える組織となりました。 この10年という節目をきっかけに、一度なぜうなぎの寝床がはじまったのか?どういう経緯でこのような活動に変化していったのか?を、思い出しながら記していきた
1泊2日で大分県の日出町に出張していた。kamenosというカフェと宿で、有馬晋平さんのスギコダマ・コダマの展示会が行われていて「白水くん、20日一緒にトークイベントしないー?」と連絡が来たからだ。僕は有馬さんと少し話したいなという気持ちと、人が入ったトークイベントで話す憂鬱と同時に抱えながら会場へ向かった。 有馬さんは、非常に感覚的な人で、もう13年だったか、このスギという木と、様々な木材に向かいあいながら作品をつくっている。その作品というのは、ひたすら丸い玉に木を造形し
言葉というものは、その人の姿勢を表す。 僕は細かい言葉のやりとりがわりと気になるタイプだ。「承知しました。」「わかりました。」とすぐいうタイプは、だいたいわかったフリをしていることが多い。あくまでも、僕の中のケーススタディ的ないろんなところとコミュニケーションをとってみた傾向くらいに思ってもらってよい。別に特定の誰かを非難したいとか貶めたいとか、まったくないから、気軽に眺めてほしい。笑 承知しました。とわかりました。というのは、そこで思考が遮断され、それ以上の会話の余地が
なぜか、日記のようなメモをはじめた。なんでだろうか。この5年くらい、なるべく自分からの発信はやめて、組織の仕組みとしての発信に切り替えようと思い、会社内の情報発信には、なるべく関わらないように工夫してきた。そして、それも今は続いている。 しかしながら、まだまだ規模もそんなにない会社で、そんな仕組みとか言ってる場合でもないかなとも最近思い始め、もう一度、自分のメディア化みたいなこともやってかないとなーと思い、少し情報発信をはじめている。しかしながら、ものづくりとかの情報をあん
mついにPayPayを登録した。うなぎのお店でももちろん導入しているし、便利というのはわかりきっている。しかし、電子決済の登録が憂鬱なんだ。 クレジットカードを初めて使ったのは26歳くらいだったと思う、それまで現金でやっていた。決して現金主義というわけでもないのだが、自分がリアルにいくら手元にあって、いくら減るという物理的な現象を経ないと、クレジットカードで決済するものは、なんだか大きさがなく、数字の移動でしかないので、僕の中でお金の交換価値としてのやりとりを、お店や会社と
2021年10月にCraft Inn 手という宿を福岡県八女福島につくります。地域文化の担い手に出会うきっかけをつくることが目的です。 (暖簾は久留米絣・提灯は八女提灯と名尾和紙のコラボレーション) 今回は、この滞在できる場所をつくった背景や、コンセプト、部屋の様子をお伝えしていこうと思います。 ○目次 【背景】 ・いくらものがよくても、知らないと買えない。全く伝わらない。 ・僕らがやらなければならないのは、地域文化を体感できる場をつくること! ・さらに、地域文化に通じ
人間というのは、飽きと慣れというものが襲ってくる生き物なんだ。僕は久留米絣という織物に携わりはじめて、もう10年が経とうとしている。それなりに、久留米絣、または絣という技術について知り深めてきたつもりである。 であるが故に、面白がれるポイントがマニアックになってきて、一般の人からは感覚的に遠ざかってきたのであろうと思う。最初は単純に織物ってこんな感じで作ってるんだ!知って欲しい!とか、そういう感動を伝えるという役割だったんだが、今は産地の現状や会社、様々な事情もわかりつつ、
なぜ産地経営サミットを?福岡県八女郡広川町の町役場と共に、うなぎの寝床、UNAラボラトリーズ と共に、繊維産地機能強化事業という少し固めの名前の事業を進めています。その中で、この久留米絣を軸にした筑後地域の産地未来ビジョンをまとめようという動きをしてます。 つくりての組合、問屋さんの卸商組合の理事長さんや、地銀さん、そして組合を束ねるための組織の方、役場の方、外部専門家としてててて協同組合の永田さんや、徳山大学の太田先生、産地の学校などを主催する宮浦さんにも参加いただき、意
年明け、新型コロナウイルスの第3波の影響で緊急事態宣言が発令されました。2020年に発令された第1波によるものとは大分状況が違うと思います。 まず、医療従事者の方本当におつかれさまです。感染された方もいらっしゃると思います。ゆっくりいやし休んでください。そして、密をつくらない、そして感染拡大を広げないという事に対しては、もちろん賛成で、基本対策はすべきだと思っています。 ただ、この緊急事態宣言のあり方への対応は結構難しいなと思っていることも事実です。経済をゆるい感じで動か
地域文化をつないでいかなければ未来はない!なぜ地域の文化資源を残すことが重要なんでしょう?何度も何度も考えます。いまだに答えは出ていないですが、ここはあえて言い切ってみたいと思います。ネイティブな(固有性を持った)地域文化・文化資源が残っていない地域は、今後アイデンティティを失い、地域として弱くなっていきます。土地の文脈を解釈し、未来へつなごうと意思を持った人がいる地域に人は訪れ、暮らし、文化と生活をつないでいきます。 僕自身、地域文化、または文化資源というものに憧れや強い