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雑感

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白水高広の日記のようなものです。
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僕らは何度も同じことを唱え続けて伝える努力をせねばならないと感じた8月

人間というのは、飽きと慣れというものが襲ってくる生き物なんだ。僕は久留米絣という織物に携わりはじめて、もう10年が経とうとしている。それなりに、久留米絣、または絣という技術について知り深めてきたつもりである。 であるが故に、面白がれるポイントがマニアックになってきて、一般の人からは感覚的に遠ざかってきたのであろうと思う。最初は単純に織物ってこんな感じで作ってるんだ!知って欲しい!とか、そういう感動を伝えるという役割だったんだが、今は産地の現状や会社、様々な事情もわかりつつ、

地域でつくり、自分たちで伝え売る「自分事化」を進め転換しなければ産地は死ぬ。

コロナウイルスの影響で、産地は打撃を受けてます。僕らが関わっている産業も例外ではなく、かなり売上は落ちています。 私たちうなぎの寝床は、4月なかばから6月末まで店舗を休業して、その間にwebのリニューアル、そして店舗もリニューアルを一気に行いました。そして、多くのお客さんに支えてもらって、この2ヶ月半の店休はありましたが、前年同比程度の売上を確保し、なんとか1年を終えることができそうな見込みはたちました。 しかしながら、やはり、伝統工芸や産地は厳しく、日本産のものづくりが

200329 ぐるぐると考える日々。

週末のUNAラボラトリーズ の企画展のトークイベントは流れた。前日に苦渋の決断だったが、中止を決定して参加者に連絡している途中に福岡県の自粛要請が発表された。よかったのだろう。多分。 経営者としての自分と、個人としての自分が僕には存在する。経営者としての自分は、やはり経済的な側面に不安を抱えている。地域文化商社としてものづくりと関わってきている中、僕らの売上が止まるということは、作り手の売り上げが止まるということ。僕らの卸先の売上が止まるということは、僕らも作り手もとまると

Facebookアカウント凍結事件。個人と法人の人格は一致させるべきではないのか。

1ヶ月前くらい、Facebookの個人アカウントがセッション切れになって凍結されようとした。自転車旅に行っていた時で、更新場所がガンガン変わっていたことと、パソコンとスマホ両方から入っていたことと、僕が個人的な情報じゃなくて、うなぎの寝床のアカウント、BILのアカウント、旧寺崎邸のアカウントのシェアしか行っていないことと、おそらくところかまわず、気になるイベントや、ページにはいいねして情報収集していたこと。多分その辺が複合的に作用して、Facebookの凍結ルールにそいながら

書くことがないというのは、どういうことか?

大学1年生のころから、つい3年前くらいまで、人に伝えたい、共有したいことが多すぎて、mixiやfacebook、そしてうなぎのHPなどで、自分が感じたことや、見たものや、調べたものをひたすら毎日書いていた。しかし、この2、3年、人に何かを伝えたい、何かを共有したいという感情がかなり薄れている。なぜだろうか? 大学生のころ、自分の感覚を人に伝えたかった。そして、僕は大学1-2年は小説をあれこれ読んでたから、感情的にも感覚的にも新しい「文章」というスパイスが体の中に入って来てい

人間は情報社会と反比例して、より体感をもとめる。(あれ、反比例か比例か?)情報社会が加速すると体感を強く求めるようになるから、比例だな。

Bike is Lifeという自転車の事業を、去年立ち上げをやって、先月リリースをした。うなぎの寝床としては、2012年、お店を立ち上げた当初からレンタサイクルをやりたかった。なぜかというと、車で作り手のところに行ってもらうよりも、雨や風や暑さや寒さも含めて、自分の力で作り手のところに行った方が、途中も含めて楽しめるし、その地域の雰囲気や、なんとなくの慣習なども体感として掴めるからである。あとは寄り道をしたり、実際目的地に行き着かなかったり。それでいいんじゃないかなと思う。

とりあえず、自転車乗ってみる。

家に使ってないロードバイクがあったのを、Bike is Lifeの大五郎さんにメンテナンスしてもらい、乗ってみた。今、地元である佐賀県小城町周辺で事務所となるところを探してたので、とりあえず土地と建物を調査しに、山にガーッと登りながら、探した。やっぱり車と歩きでは、また見えない景色が自転車だと見える。 「えりやま」という地区があって、そこを超えて、林道をとおって、天山酒造におりていくというぐるっと10kmくらいあるのかな?のルートを自転車で回った。ロードバイクは、やっぱりな

白い風船を食べながら。

朝起きて、今日はどう過ごせば良いかと考える。考えていたら夜になって、1日が終わる。ここ2-3年はそんな感じで1日を過ごしているような気がする。元来怠け者な自分は、リスクがないと、なかなか行動が弱い。この2-3年、自分の中での新しいチャレンジができていないと思っている。仕事云々ではなくて、僕が人間的に成長しないといけないチャレンジだ。 とにかく、人間としての成長は4-5年前に止まっている。うなぎの寝床をはじめて2年くらいは、僕はチャレンジをやっていたと思う。自分の手を動かし、

長男の大食いと、変化の話。

今日は八女で目覚める。朝までの締め切りの原稿をプリキュアとか見る子供の横で書き、終えて、少しだらだらしていたら、また寝てしまう。 そこからココイチにカレーを食べにいく。ココイチのカレーは量が多い。カニクリームコロッケとスクランブルエッグのカレーにトマトを角切りしたやつをトッピングしたものを注文したが、なんと食べ終えることができなく敗北感を味わう。その横で来年小学生になる長男が、とんかつカレーを完食する「カレーうめー!!カレーー!クー!!」と言いながら、完食してしまった。その

「ヒゲ剃り」と「経営」との関係について。

今年に入って、2ヶ月弱が経過しようとしている。生まれてこのかた33年間、僕は怠惰な生活をしている。夜更かしをして、朝は起きるのが遅い。多分、これはやめれない。やめれないことはわかっていた。だから、大学のころ「僕は絶対に社会人として成立しない」と判断し就職することをやめた。 もともと、身内親戚に会社員と呼ばれる人たちがほとんどいなかったので、会社員というものがどういうものかもよくわからなかった。というのももう一つの理由ではあるが。 そして、今日書きたいのは「ヒゲ」の話だ。ど

#21 181205 一日家にいることは不健康極まりないことなのか?来年の計画と今年の締め。

今日は一日家で過ごうとて作業をした。10時過ぎからネット会議。沖縄の琉球絣組合の組み立てを行う。人間どこにいても、何時でも、誰と話しても違和感というものはなくなってきたものだ。昔は、スカイプをつないだときに、わー!つながったー!と感動があったものだが、今は感動もへったくれもない。いつどこにいても打ち合わせをするはめになる。仕方ない。 午後はカレーを食べて、税理士さんと、今年の振り返りと今後の打ち合わせ。今年は、前年比130%の売上で順調にいったと言えるだろう。もちろん課題も

再生

伝統工芸とマニュアル運転、機械生産と自動運転の比較。イチロー×豊田章男×小谷真生子 2018 「ここだけの話」(後編)

まだ途中までしか見ていないが、この議論が結構おもしろいなと思った。豊田章男さんの自動運転の話にのっかり、イチローさんが「自動運転が発展する一方で、マニュアルを求める人もかなり出てくると思うので、それを出しまくったらいいんじゃないですか?」という提言をした。豊田章男さんは「それは、リアル体験のことだね。」と言われた。 このやりとりは、僕にとっては、結構スンとくる議論だった。なぜなら、今ものづくりをしていて、機能性・利便性・価格性を追求していったら、やはり産業レベル、機械化をしていって、消費者ニーズに答え、利便性を高めていくほうが、圧倒的需要がある。しかし、その一方で伝統工芸的な領域が重要なポイントは僕はこの「リアル体験 = 原理を知れる、体感できる、見れる。」というところに文化的価値があると思う。 海外の人をたまに、久留米絣の工房や、伝統工芸の工房に案内する機械がある。欧米の人は特に「まだこんな世界が先進国にあるなんて。」と驚かれる。そして、自分の国では、こういう手仕事の領域はなくなってしまったよ。非常に残念だとおっしゃる。 欧米先進国では、伝統工芸、クラフト的な領域を仕事として続けるのは困難なのである。日本においても、その状況は一緒で、産業としてみると非常に難しい。収益的、収入的な側面からみても、IT企業や公務員、世間一般の仕事よりも平均年収が多いとは言えないだろう。 その中でも、文化的価値、原理をしれる、見れる、知れる、体感できる。という側面においては、僕はとても価値があると思う。それを、機能性や利便性で語るのではなく、自国に文化的な価値がまだこれだけあるということを認識してほしい。そして、作り手もそれは誇りを持って自覚するべきだと思う。そして、重要なポイントをしっかりしりながら、アピールしていく必要がある。なおかつ、消費者、使い手、パトロンといった人に、しっかり訴求していく必要もある。 かつては、殿が支えた文化や陶芸、芸術もたくさんある。単純な消費物としてではなく、文化として価値を認めてもらったり、価値をしっかりつけていくことが重要だとこのやりとりを通して感じた。白水

#22 190103 駑馬十駕(どばじゅうが) / 今年の四字熟語。

駑馬十駕(どばじゅうが)「才能がない人でも、努力をすれば才能のある人に並ぶことができるということのたとえ。「駑馬」は足の遅い馬。足の速い馬は一日で千里もの距離を走るが、足の遅い馬でも十日も走り続ければ追いつけるという意味から。」 常に個人的には毎日、毎年チャレンジはしているつもりだ。それが、社会的であれ、そうでなかったとしても、毎日自分なりにチャンレジや思考は積み上げる。その総量でしか、社会的な役割は担えないと思っているし、戦えないとも思っている。基本的に自分の能力は人より

#20 181110 バザーでの掘り出しもの。おもしろプロダクツ。

今日は久しぶりにおやすみでした。まーおやすみといっても、あれこれ仕事はしてるのですが、子供のバザーです。バザーといっても、なんかお祭りです。バザーというよりお祭りです。うん、祭りだ祭り。 手作りのもぐらたたきをしたり、風船をもらったり、くじ引きをしたりと、ひとしきりアトラクションを楽しんだあと、日用品のバザーにいきました。佐賀だから、有田とか伊万里とかの結構くだらないものも、わりと悪くなさそうなものも出ていた中で、僕が買い物をしたのはこのパナソニックのマグカップ、30円。き